第5話 なぜ、「養護施設」を小説で描くのか?

 私はもともと、小説はほとんど読まないし、ましてや書きもしませんでした。

 とはいえ、文章を書いて何かしていきたいという思いはずっとありました。


 14年前に父が亡くなった年に書いた本名名義での著書にしても、あれは旅行記と半生記を合せたようなもので、少なくとも、小説とは言えるシロモノではない。それまでとそれからの十数年来、読むものと言えばほとんどが、ノンフィクションやら野球本、ビジネス本、鉄道関連の書籍(父がなくなる2年前に大量にその筋の本屋に売ったら合計で30万円近くにもなった!)、学習塾という仕事柄、勉強法だの過去問集などなど。小説が入り込む余地と言えば、それこそ、高校受験や大学受験で紹介される小説程度、という感じでした。あとは、生徒の読書感想文で指定された本とかね。確か2013年だったかな、あの年は、「チャーシューの月」なる本が指定されていて、それが、養護施設を舞台としたものでしたな。

 2012年から約6年間、アマゾンのレビューだけはしっかり書いておりました。

 しかし、そこで対象となる本は多岐にわたっていて、絵本が出たかと思えば、フランス右翼の人のことが書かれた本が出てみたり、まあ、すさまじい世界でした。諸般の事情で現在非公開にされていますが、まあ、この戦線で金にならんことばっかりやってもしょうがないと思い立って、小説を本格的に書こうと思った次第。


 小説を書き始めたのは、2018年の年明け。

 とある映画を観て、ふと思い立ったのです。

 その映画は、「Little DJ~小さな恋の物語」(永田琴監督、鬼塚忠原作)


 最初は、鉄道マニア絡みのものということで、その映画に出てきた主人公がともに大学生になった(実際にはそのうちの一人の少年は白血病で亡くなってしまったことになっているが、無事に完治したこととして、出すことに)頃と、中学生の私が出会うという設定。

 あちらは映画で描かれた人たちですが、こちらは実在の私をモデルにした人物。小学生で鉄道研究会に「スカウト」されたのは、実話ですし、中2の年、岡山大学の入学式の日に新歓のビラをまいていたのも事実ですから、それをベースに、あちらのヒロインと私のそれぞれの影が出会うところ。そこから、スタートさせました。あちらの少年については、彼の家の中にあった「鉄道部品」が、創作に入るヒントになりました。昭和50年代の少年宅、それも、野球少年で特に鉄道少年でもなかったような少年の家に、サボなどの鉄道部品があるのはあまりに不自然(地域性は問わない)。盗品の線は考えられないし、当時鉄道雑誌は少年読者の多い鉄道ジャーナルあたりで特にその手の話=部品窃盗の話はよく出ていましたからね。

 しかしその「演出」が、私に本格的に小説を書かせることになったわけ。

 アマゾンレビューの最後に私は、病気の治った少年とヒロインがともに成人を迎え、後に結婚して夫婦でDJを行う姿を描くような小説があってもいいかな、と書きました。

 書いてしまったら、もう後には引けまい。

 それで、書き始めた。

 最初にしては、それなりに書けたと思う。


 しかし、鉄道趣味がらみのことばかり書いてもな、というか、私の場合、どうしても、6歳から18歳までの12年間少々の養護施設時代の経験というのがあるから、そこを避けるわけにもいかない。かといって、当時のことをそのまま書けばいいというものでもない。それではノンフィクション(よく言えば)、下手すれば、単なる告発本の「デキソンジ=出来損い」にしかなるまい。

 そこで、養護施設がらみのことも書かねば・・・、と思ったものの、ずっと養護施設にいて育った形にしては、小説自体が持たないと思った。

 そこでそこで!

 私の「影」を二手に分けて書くことにしました。

 さらには、父方の叔父(父の弟)というのを作り(実際にいないわけではなかったが、生まれてきていないということを父の生前に聞かされていた。これがあったからこそ、そういう設定ができたとも言えます)、次回の書籍化あたりから、本格的に登場してくるというわけです。まあ、こちらカクヨムのほうにも少しばかり出ておりますけどね。


 養護施設を描くと言っても、普通にその中での子どもたちの生活を描いたものは存外多い。施設内のことを延々描いてもしょうがないと考えた私は、施設内と施設外と、どちらかと言えば後者の割合を増やし、子どもたちの様子よりむしろ職員たちの様子、そして、元「入所児童」が成長して卒園後の様子とか、そういうことをどんどん書いていこうと思ったわけ。

 これなら、物語に幅が出てくるじゃないですか。

 あるいはね、地域の人とか、その施設に縁のあった人とか、そういう場面を描いていけば、どんどん書けるだろう。

 そこまで「養護施設」にこだわって書いている作家はほとんどいません。

 それこそこれ、ランチェスターの法則を応用した経営理論の「弱者の戦法」を地で行くようなものです。


 というわけで、このカクヨムの検索で「養護施設」というワードで検索してみたら、22件ほどヒットして、そのうちの10件近くが私の「作品」、それに、創作分野も多種にわたっており、総文字数で言えば、ほぼ50%近くになるはずです。正確な現状のデータをここで述べるのは控えますが(これを書いたらますます増える仕組みだ~苦笑)、この区画においては、


 (カクヨムにおける)養護施設小説作家 (文字数・作品数ともに)

 ナンバーワン!


ということが言えるようになっておる次第。特に狙ったわけじゃないけどね。


 だけど、ナンバーワンになるところを意図的にであれ作り出していくのは、なかなか大変です。他の小説家サイトで私が一切出していないのは、ひとつに集中するためです。もちろん、今後他のサイトに進出することや書籍化されていないものの電子書籍化を進めていくことは、大いに検討したいと思っている。


 まあ、それはそれとしまして、小説にしようと思ったのは、ノンフィクションなどに比べて、とにかく参入がしやすいと思ったからです。それだけでなく、展開もしやすい。それは取材に基づく割合が少なく、また、ストーリーを広げていくことが相対的に容易であるから。また、名誉棄損云々で訴えられるリスクも少ない。

 そういうわけで、小説という媒体を使って「養護施設」という世界を書いていこうと思った次第なのです。


 養護施設というのは閉鎖的な環境と言われて久しいですが、それはその施設内だけを見ているから、それも、旧来の孤児院時代からのイメージで見ているからにほかならんのです。現実にある養護施設の内外に目をやれば、そこに関わっている人、実は我々が思っている以上にたくさんいるのです。そういう人たちから見た養護施設というものを描いていくことで、さまざまな物事が見えてくる。

 だったら、これを書かない手はない。

 そこまで書けている人というのは、いるようで、いない。


 私がここまで書けるのは、まさに、12年間にわたって「孤児扱い」されたからですよ、社会(=行政)によってね。

 その「報復」という趣旨も、実は、こもっていると言えばその通り。

 そのことがうかがい知れる言葉、よくよく探していただければ、このカクヨム作品内でも結構あるかもしれませんよ。

 書籍化される次作でも、その言葉、はっきりと使っております。

 ともあれ、私の作品、よかったら、読んでみてください。

 ということで、拙文を終わります。

 続きは、そのうちに! 

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