夢の在処
働気新人
進路希望
——他人はやりたいことをどうやって決めていくんだろう?
ざわざわと騒がしくなる教室で、ツヤのある黒髪を腰まで伸ばした、若い新人の先生が大きな声を出す。
「進路希望は来週までだよ! 出してない人は出してねー!」
適当に返事する者。もう提出し、周りを煽る者。無言でプリントをしまう者。頭を抱えて悩みを話す者と様々な反応を示す中、俺はため息をついてプリントを睨みつける。
第三志望まで書ける空白のプリントを睨みつける。
「
「……うす」
出入り口あたりから名前を呼ばれて、プリントから目を離し先生の所に向かう。
「お? 告白されるのかー?」
そんなヤジがいくつか飛んでくる。それを聞いて俺は大げさに笑い、虫を払うように手を振る。
「うるせぇよ! 俺にあるとしたら説教しかありえねぇだろうが!」
「あはははっ! 確かに」
クラスの何人かがそう笑い声をあげるのを確認し、待ってる先生に笑顔の余韻を残しつつ振り返る。
「
茶化しながら無言で歩く先生の後ろを付いていく。
生徒が寄り付かない端の教室まで行き、鍵を開けて中に入る。
入った途端に、先生が振り返り、腕を組む。
「
「そうでもないよ。いや、そうでもあるかな。ただ、こっちの方が色々楽しいから」
「君はもう少し自分を出してもいいんじゃないかな? だから、進路も決められないんだよ?」
敬語使わないんだと呟きながら、心配そうな顔で語る先生。最近のご時世では珍しい、生徒のことを必死に考える教師。今年入ったばかりの新米で、年が近いのもあるんだろうけど——。
「
そう、この先生はたまに見せる表情が、普段の雰囲気とかけ離れてる。
給料の話や、友人、恋人の話になった時にその表情を見せる時があった。
疲れた表情や、ムカついた表情。一瞬だけしか見せないが、それがこの人の本質だとしか俺には思えない。
「なんでそう思うのかな?」
「そりゃそうでしょ。たまに素の表情でてるよ?」
若干表情が硬くなり、どことなくぎこちない笑みを浮かべる先生。その表情にまた違和感を感じる。
「授業以外の現実的な話をすると、そういう表情になるよ」
俺の言葉に先生がペタペタと自分の顔を触り、首をかしげる。
「そ、そんな変な顔してるかな? 私、いつも通りだと思うんだけど?」
「いつも通りの人間はそんなこと言わないし、そんな顔しないと思うけど?」
「い、いや! そんなことは! 私ちゃんとやってます! はい!」
もう色々酷いことになってるけど、これ以上無駄な話をしてたら始まらない。
ツギハギのような表情で焦る先生に、ため息をわざとらしく吐いて話を振る。
「
矢継ぎ早に話を畳み掛ける。先生の表情がコロコロと変わっていき、話についていけてないことが見て取れる。
まあ、それでもやめないけどね。帰りたいから。授業あるけど、話し終わったらサボろうかな。
「朝は俺たちが8時半までに登校する関係上それより早い。その上新人だからって雑用を任されるだろうから7時に出勤かな。帰るのは大体9時前後か? 早くて七時くらいに帰ってるのは見てるから知ってるし、軽く12時間労働。やっぱ教師ってブラックだよね。その上パワハラがあるから下からの改善はしずらいし、新人だから反論するより先に、仕事をしっかりこなすように意識がいく。帰れない中飲み会や、生徒からの相談や、無駄な話が多い会議、どうしようもないな」
「やめてっ!」
甲高い金切声が無人の教室に響く。
パニックになった人間の声。追い詰められていた人間をさらに追い詰めるとこうなるという典型。よくやらかす。そのせいで嫌われることがあって、最近は気をつけてたんだけどなぁ。俺も、少しイライラしてたのかな?
「わかってる、僕だってわかってるよ。ブラックだし、飲み会は強制。遅れればアルハラが始まるし、仕事が終わらなくて10時過ぎにここを出たこともあるし、それでもやりたかったことでしょって親から言われるし、楽しいよ? 楽しいんだよ? でも、辛いのは当たり前じゃないの? どうすればいいの?」
パニックになった先生が、頭を抱えて小さな声でブツブツと呻き始める。
こわっ! この人、闇抱えすぎじゃない!? でも、リアル僕っ子という属性は美人であればあるほどいいな! いや、違う! 俺がテンパってどうする!?
「せ、先生。ちょっと落ち着こう?」
「誰のせいだよ! 分かり切ってることを言葉にして詰めてきたのは君だろう!?
ヒステリックになって会話が成立しない。
それくらい溜まりに溜まったものがあるという証拠でもあるけど、ちょいちょい俺にぶつけてくる感じ、生徒にも溜まってたんだろうなぁ。
すみません、先生。ユルシテ。
「進路希望は他の先生から突かれるし、僕の仕事はそれだけじゃないし、生徒を自分のステータスにしてんじゃねぇ! このハゲ!」
ハゲって、絶対隣のクラスの
「ゴミみてぇなやつのこと話題にあげんじゃねぇよ! とりあえず俺に話あんだろ!? いいから話せや! 愚痴ならそのあとで時間作っていくらでも聞いてやっから!」
「じゃあ! この際だから正直に全部言うけどねっ、
「なげぇ! 正直正直うるせぇ! ボロボロじゃねぇか! 元々の話って最後のだけだったよなぁ!? 色々申し訳ねぇけど上から物言ってるつもりはねぇ! そう思うんなら自分が下だって認めてんじゃねぇのかっ!? あぁ、おい!?」
売り言葉に買い言葉と言うんだろうか? 怒鳴り合いが始まり、感情のぶつかり合い。生徒同士ならたまに見る光景なのに、教師と生徒が行う。問題と言われたら問題だが、俺が初めてしまったことだし、最後まで付き合うべきだろう。そう思った瞬間に先生——
「夢があるって話をしてたのにいきなり就職するとか、正直バカなの!?」
今まで冷静に相手の話を聞いて、自分の中で適切な回答をしようとしていた部分が吹き飛ぶ。多分、これが理性とか、冷静さとかなんだろうと不思議と考えた。
ここまで頭にくることってそうそうないと思う。
「もういっぺん言ってみろやクソゴミ! 夢があるさ! そのために努力をしたと思ってる! それでも、才能がねぇんだよクソがッ! 10年間だ! 夢のために使った! でも、俺じゃ無理だってわかったんだよ! 才能がねぇんだ! 秀才と天才の違いをテメェは知ってんのか、なぁ、おい!? その足りねぇ、スポンジみてぇにスッカスカの脳みそで考えてみろ! 現実見て、やりてぇ職について、悩んで、やめたくなってるやつにはわからねぇよ! なれるかなれないかじゃねぇんだよ! なれねぇんだよ!」
感情が溢れ出てくる。今まで抑えに抑えた感情が。誰にも相談せず、自分の中で結論をつけて、現実を見て、結果を予測して、自分の中で出した自分の答えをぶちまける。
普通に相談したら二択しか言われないのはわかりきっていた。「頑張れ」と言ってくる少数派か「お前には無理だ」と言ってくる多数派か。
それ以外の答えは期待していない。期待しても無駄だし、意味がない。
そんなもの、この先にいらない。それを期待してしまったら、諦めきれなくなるから。
「やりたいことを、希望を持って、期待して、胸を張って誇りなさいな!」
「は、はぁ!? 話聞いてたのか! そのクソみてぇな耳は飾りか? なぁ、おい! 俺の夢はもうダメなんだよ!」
「何もやってないでしょ!?」
「希望してた専門に落ちたんだよ! 俺の絵は薄っぺらいって! 見たものしか絵に乗らない、君には才能がないって! それから絵が、描けねぇ……!」
そう、学校に何も言わず、親にも言わず、専門を受けた。今までバイトで稼いだ金を使って受験料をまかない、自分の実力を見に行った。
誰にも知られないようにして、誰にも知られずに、——心が折られた。
「ハッ!」
その音に、落とした視線を上げる。
先生が鼻で笑ったと認識したのは少しだけ遅くて、次の言葉を”言わせて”しまった。
「
根拠のないことを形のいい胸を張って、自信満々に言い切る。俺の絵をよく知らない人が、俺に才能があると言う馬鹿げたことを言い切った。俺は頭に来るでも、喜ぶでもなく、ただただ疑問が浮かんだ。
でも、胸が沸き立ってしまった。どうしようもない
「何、言ってんだ……?」
「ぼ……私の生徒は才能があるって念押ししてるだけだよ。専門の話も知ってた。あちらの先生がうちの学校に連絡したの。親御さんもご存知だよ。でも、君に何も言わないでおいてる。結果を知っているし、気を使ってね」
何を言っているか理解できない。結果を知ってる? なんで?
「結果は本人、親御さん、学校に送られるんだよ。その内容も。『あなたの絵には他の応募者の方々と比べ、技術が高く、言えることが少ないと感じました。ただし、作者の感情や、顔が見えてこない。見えてるものをただ書いてる無個性な絵だと感じました。こちらでは技術面での指導をメインで行っております。感性の指導は人により違い、混乱や、違う方向性になるため行っておりません。この度は残念ながら不合格とさせていただきます』だったかな?
技術面はずば抜けてる。しかし、感情を乗せていない。よって、うちの学校では見切れない。そう言うことで不合格」
何度も何度も読み返した文面。それを一文字も間違えずに暗唱してみせる先生。
訳が分からな過ぎて視界がかすむ。誰にも知られたくなかった。努力したことを、積み重ねてきたことを無駄だと、そう言われたそれだけは。
「ま、専門学校だしね。技術がある人間を入れても仕方ないところはあるよ。スタートが全く違うわけだし。
「限界なんだよ! ……独学じゃ。どうしても基礎を学ばないとやりたいことができない!」
やりたいことを独学で学ぶと、どこから学んでいいかわからなくなる。だからこそどう学んでいいのかを、最初から学ぶために学校に行きたかった。
美大の授業に俺がついていけるなんて思わない、だからこその専門学校だった。その道が閉ざされた。夢のその先がないと言われれば、そりゃどうすればいいかわからなくなるだろ。
「一つ躓いたら挫けるような夢なの? なら、やめてしまってもいいと思うよ。
——ちょっと自分語りをするね」
乱れた髪を整えながら何もなかったかのように椅子に座り、俺に座るよう身振りで示してくる。机を挟んで正面の椅子に俺も腰をかける。
目の前で少し遠い目をした先生が、今まで近い存在だと思っていた先生が、——ひどく、遠く感じた。
「私、いや、僕はね。この一人称だったりとか、変わってるらしいんだ。あんまり自覚はないんだけどね。そんな僕でも教師になれた。
高校生の頃に、憧れた先生がいて、その先生は凛々しくて、まっすぐで、悩みなんてないような、そんなかっこいい先生だったんだ。みんなから人気で、でも知ってしまった。同僚とか、教頭とかから嫌がらせを受けてて、ひどく悩みを持ってたの」
「……」
重苦しい空気で、口を挟めない。いつもシャキッとしてて、まっすぐに見える先生が、今は儚くて、弱々しく見える。
どんなに影があるのが見えても、それを隠していたし、気づいていたのは俺一人だった。
みんなから見たら、美人で、ハキハキして、よく笑う。そんなクラスの人気者。クラスの誰一人陰口を言わないほどできた人間。影があるのを知っていても、どこか俺たちとは違うと思っていた。
それが間違いだと気付かされる。
「その先生は言ってたんだ。人を教えると言うことは、その人の人生を左右することでもある。もし、間違った教育をすれば、その人の人生は正直狂ってしまうって。でも、うまく教えられた時、必ず”ありがとう”って言われるんだよって。
僕はその先生に憧れて、いじめから救ってくれた彼女に、人として憧れて教師になったんだ。僕はね、内気で、気弱で、いじめられてた。人見知りだし、正直にいうと今でもみんなの前に立つと足が震えるよ。
そんな教師に到底向いてない人間が、今教師になれてる。何回も挫折して、何回も現実に打ちのめされて、正直、通ってた大学をやめようかって思うくらいボロボロになって、就職するときもお給料の低さにびっくりして、正直に言うと友達とも会えないくらい休みもなくなって、正直教頭から嫌がらせされるし、アルハラ、パワハラ、セクハラは当たり前。学生からもセクハラあるし。正直嫌になるよ」
俺は何を聞かされてるんだ? 鬱々とした表情の先生が、永遠と愚痴のようなものを言い続けてる。
「夢っていうのはね、
夢を持って大学に行ったけど、ひどいものだったよ。毎日遊び歩いて、学校に来ない人とか、教師になるって言って、高校生や中学生を威嚇するイキリ野郎。体験で言った学校はみんな表面だけを気にして、無難な話しかしないし、たった一人の新人さんに全部雑用やらせて、僕がいた時にその人は倒れちゃったよ。
学生に殴られる先生も見たことあるし、殴られた先生は親御さんへ謝りに行ってた。学生が悪いのにね」
想像よりも悲惨な現実。よく、教師なんかやってる。そんな苦労して、どうしてこの人は……。
「でもね。そんな悪い面ばかりじゃないんだ。学生と、自分の生徒と話して、頼られて、一緒に頭を悩ませる。そして、感謝される。毎日、正直疲れるけど、楽しいんだ。僕の思い描いた教師には程遠いけど、一人でも多く夢を追いかけて欲しいなって、そのために僕の失敗談が必要ならいくらでも話す。どれだけでも力になる」
力強い目に気圧される。現実と夢。たった一つの憧れで夢を選んだ先生。
夢を見ただけで、折れても進んできた実体験。その言葉が俺に刺さる。
「君は、独学だろうが、夢を目指すべきだよ。就職先は相談に乗るし、絵を描きながらでもお金を稼げるところにいこう? 描いた絵は賞に送ろう。なんなら、絵を描く職業に就いてみたら? ゲームのイラストレーターとか。
「…………先生。俺、絵描きに、なれっかな?」
「……正直、なれる! とは言えないよ。びっくりするくらい狭い門だし、才能だけじゃなくて、運も必要って聞いてるから。自分がどんな絵描きになりたいか、そのビジョンがないと難しいかもしれない」
才能あるって断言したんじゃないのかよ。実はこの人お調子者だな。
自然と口角が上がって、机に頬杖をついて、先生を見上げるように覗き込む。
「発破かけられたんだ、やってみるよ。もし、そういう職業応募してたら教えて欲しい。俺も探しながらポートフォリオ作ってみるよ」
目を丸くした先生がふっと笑う。
力の抜けた、完全な素の表情。そんな柔らかで、女性らしい笑みに見惚れてしまう。
「ん? どうしたんだい?」
「いや、なんでもねぇや。見とけよ、有名になって
一瞬芽生えた感情は押し込めて、大切にしまい、決めた夢に向かって意識を切り替える。考えないように、——抑えて、忘れる。
夢の在処 働気新人 @neet9029
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
頑張ることってなんだろうね?/働気新人
★0 エッセイ・ノンフィクション 連載中 2話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます