死してなおそこにある何か

文綴りのどぜう

予定遺書


 深夜2時のコンビニは眩しい。小腹が空いたので、何かつまみをと入店した。昼間いた、研修中のタグを胸につけた若者ではなく、だいたい俺の親父の年代くらいだろうか、壮年の店長が会計をした。手際の良い袋詰めをぼんやりと眺める。少し重くなったそれをぶら下げ、ふらふらと自室へ引き返す。今日もまた、俺は生存している。いったいいつから、こんなにも空虚に時が過ぎるようになったのだろう。端が欠けたコントローラー。黄色く褪せた新聞紙。水黴の繁茂したシンクと小皿。生乾きのTシャツ。気づけば辺りは明るかったし、気づけば陽は沈んでいた。辛かった高校時代の猛勉強を経て無事に大学へと進み、学内へ踏み出したのはもう3年前。初めのうちこそ毎日が楽しかったが、研究室配属が決まった頃、一度体調を崩した。所属する先輩や教授達と上手く付き合うきっかけを失ったその体調不良を皮切りに、わかりやすく「失敗」した。馴染めなかったのだ。段々と研究室へ伸びる足は重くなり、ついにはアパートの狭い一室から出なくなった。今では突然鳴り響く携帯やチャイムに、ひどく怯えるまでになっていた。社会に順応し生きることもなければまともに誰かと言葉を交わすこともないので、声帯はその震え方さえ忘れかけているようだった。発声しようとすれば、絡まった痰が込み上げるばかり。頭に話す文字を思い浮かべることさえ上手くいかない。眼は虚ろに、手元ばかり漫ろに。そんな自分を嫌悪し、いつも人目を避けた。本当は歩いて2分のあのコンビニにさえ、近づきたくなかった。

 一度、反出生主義、とかいうものを掲げるやつの話をネットで聞いたことがあった。この世に生れ落ちる選択権がどうのこうの。アホらしい話だと思った。精子と卵子から胚、胎児、新生児。産まれてもないその胚がどう選択せよというのか。魂が仮に実在していても、生れ落ちて物心つかねば選択権等の滅裂な思想すら芽生えぬだろうに。要はこの世が気に入らねぇんだろ、だのに死ぬことも叶わないから、言葉だけが紡がれていく。そのうちその無駄に育った語彙が、思考が、まるで真理に近づいたかのように錯覚しだして、やがて支離滅裂な思想へと繋がる。アホらしい。

 あぁ、また嫌な癖が出た。落ち込むと、すぐこうやって悪態をつく。空っぽになったはずの頭に、まるでヘドロが湧くようにドロドロとした思考が充満していく。一頻り思考して、また鬱々としたいつもの気分が戻ってくる。早く死んでしまえばいいのに。

 いったいいつから、俺は死にたいのだろう。決して裕福ではなかったが、家族はいつも優しかった。大学にだって、こうして通わせてくれていた。その温かさが、いつからか俺を苦しめ始めた。いつからか。この堕落しきった生活が始まった時からだ。自分には能力も才能もないとわかっていた。心の病気、なんて大層なものじゃない、ただの怠惰だ。怠けて、サボって、逃げ続けている。それだけのことだった。そんな俺を、両親はいつも変わらぬ暖かい目で見守る。助ける。笑いかける。これほど辛いことを、俺は知らない。

 世界中に恐ろしい病が蔓延して、人類のそれまでは跡形もなく壊された。前から余所余所しかった人と人は、余計に距離を取り、まるで病原菌を見るような眼差しを互いに浴びせた。表を歩く人波は絶え、殻に閉じこもる日々が襲った。それすら言い訳にして、俺は引き篭っていた。病気が流行っているから。無闇に人と接触できないから。そう言って、他のみんなが当たり前にすることを避け、するべきことを放棄して引き篭った。このままではいけない、そんなことはわかっていたが、しなければならないと思うほど、それを遠ざけることを止められなかった。周りに嘘をつき続け、それが自らの首を締め、苦しくなってまた嘘をつく。限界だった。早く消えてなくなりたい。毎日そう考えた。今も考えている。不思議なことにそれだけ死にたがっても、なかなか腹に包丁を突き立てることすらできず、まばらに食事を摂り、なんの為でもなく髭を剃り、寝て起きて。いつまでこうしているのだろう。生きる価値があるかと言われれば間違いなく、ない。強く断言出来る。こんな人間はさっさと死んで、輪廻か転生かなんだか知らないが、早く「次」にいったほうがいいのだ。命が尊いと思っている輩は、死にたいと意思表示する者に「生きてみないか」と投げかけるが、俺から言わせればそれは呪詛だ。「命が尊いから生きよ」ではなく「俺も苦しいのだから貴様も苦しめ」「俺が辛いことから逃げてないのだからお前だけが逃げることは許さん」「生きて苦しめ」、そうとしか聞こえない。第一、匿名で色々と正論を述べる輩は、今にも首を吊りそうな誰かを救う手立てなど持っていないではないか。産まれたての赤ん坊が呼吸の為に泣くのが、実はこの辛い現世に産まれてしまったことへの慟哭なのではと、そう思えるほどにこの世は地獄だ。結局のところ尊さとは、生存本能の派生から生じた、命を失う恐怖の一種なのではないだろうか。生き物として血を繋ぐ、その為に途中で息絶えるのは困る、ので守る、保持する。それが尊さの正体なのではないだろうか。

 あぁ、ダメだ。また変なことを考えている。こういう考えの海にダイブして、いや呑まれて、目先の苦難に引き戻されて、また哲学して...その輪の中に俺はいた。余計なことを考える前に、あれはどうするのか。先延ばしにしているあれはどう解決するのか。決めよ。そう誰かに言われている気がする。誰だか知らないがやめてくれ。こっちもいっぱいいっぱいなんだ。死んだらどうしよう。部屋には服や家具や、俺が生きる為のあれこれが散らばっている。せめてこの部屋を借りた時のように、綺麗に片付けて、荷物を纏めてから死ぬべきか。いや、清掃なんてプロがやる。死体だって綺麗に片付けてくれる。金のことも大学に遺す籍のことも、全部誰かがやってくれる。俺がやるべきことは、さっさとこの世から退場することだけだ。不思議だな。死んだらどこへ行くんだろう。なぜ俺が生きた事実は消えないんだろう。俺が使った毛布もテーブルもカップもテレビもゲーム機も、本も服も靴も、俺が死んだら消えてなくなるなんてことはない。俺が触れたものが、俺亡き後もそこに在る。不思議だな。俺が死してなおそこにあるものが、もはや俺自身なのだろう。誰の為にも生きられなかった、誰の為にもならなかった、ただの穀潰し。厄介者。異端者。迷惑。社会の塵。底辺。年間数多いる自殺者の1人。死にたくて仕方のない役立たずの命が今、冷えた麦飯を飲み込んでいる。


 せめて遺書は読みやすく書こう。人生をまるで面白い物語のように回顧し、そう思った。

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死してなおそこにある何か 文綴りのどぜう @kakidojo

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