17日目
仮眠から目を覚ませば夕方がやってくる。そろそろ勤務の時間である。完全な休養日は10日に一度あると入隊時に説明があったが、今回は重大な任務ということで30日すべて、半日北の塔に張り付いていろとの上司のお達しである。下っ端が逆らえるわけないのだった。
今日もパン屋で夕食にと硬いパンを購入したところ、丸太程の腕のパン屋の主人が、試作品だから持って行って舐めろと、リボンでラッピングされた飴玉の袋をくれた。このセンスはパン屋の看板娘のものだろう、間違いない。水とパンだけ持って毎日夜に働きに行く俺の目の下の隈は日に日に濃くなっている。多分心配してのことだろう。夜食に食えってことなのではないだろうか。甘味は疲れを癒すらしい……因みにこれを言っていたのは同僚だから信憑性はいまいちではあるが。礼を告げた後、パンの包みの中に放り込んでおいた。
詰め所まで階段を昇って行くと、案の定同僚はもう帰宅していたが今日は珍しくメイドが1人扉の前に立っている。お嬢様のお食事の時間までは暫く猶予があるはずだが。俺が訝しんでいると視線に気づいたのか、此方を振り向いたメイドは兵士様、と近づいてきた。
「何か御用ですか?またお嬢様が粗相をしたとか。」
「公爵令嬢様がそんなことするはずないじゃないですか!あの、ですね。」
いや、あの破天荒ご令嬢ならする。ブリッジで腰を痛めたり抜け道を探そうとして床を黒い虫のように這ったり筋トレとしてスクワットを毎日したりしているし。と脳内で突っ込みをしていたところ。少し言いづらそうにメイドは唇から音を紡ぐ。
「また、王太子殿下と婚約者様がやってこられまして。」
「はぁ。」
あの2人また来たのか。暇だな?仕事しろよ今国王夫妻世界会議でいないんだけど。重要な書類とかどうしてるんだ。もしかして宰相とか上の人らの言いなりとかなのか?この国本当に大丈夫なのだろうかと俺は少しだけ遠い目をした。溜息を吐いていると、メイドが困惑した顔で言うのだ。
「公爵令嬢様に謝罪を求めたのですが、公爵令嬢様は決して頭を下げなかったため、その。王太子様が公爵令嬢様の髪の毛を……。」
それを聞いて、俺は。
***************
何時もであれば何か奇妙か奇天烈なことや言動を行う筈の公爵令嬢様であるが、今日は静かに窓の外を眺めている。腰まであった髪が、左側一房だけ長さを残して他が肩までに切り落とされている。不揃いなのは刃物で斬られたからだ。女の髪を斬るなんて何考えてんだ王太子は。そこまでされなければならない理由は何だ。家族と1人離され、粗末なものを食べさせられ、湯にも浸からせず苦しめておいてそこまでするか。
お嬢様はふ、と足音に気づいたか此方を向いて。
「あら、アルフレド。いえ、勤務時間だし兵士ですわね。どうしたのかしら?」
いつも通りに話しかけようとしているのだろう。いつも通りのほほ笑みを浮かべようとしているのだろう。だが、その唇は震えているし、微かに瞳が揺れていた。
俺はカギを開けて部屋の中に入る。困惑した表情をお嬢様は浮かべた。そりゃそうだ。こうして越権行為をするのは2度目だが、1度すれば2度しても同じことだろうと開き直った。
「どうしたもこうしたもありませんよ。何、平気な顔してんですか。」
手を伸ばし、彼女の髪に触れる。不揃いな髪の先を持つこの娘が、それをされても涙1つ流していなかったのだろう。眦が乾き瞼も腫れていないままなのが、悲しかった。
「何って。たかが髪ですわ。」
嘘つけ。風呂に1週間に1度しか入れない庶民の娘でさえ髪を丁寧に梳かして整えて。結婚式の時に結い上げるのを夢見て伸ばしてるんだぞ。髪の長さが美しさ、なんて価値観がこの国じゃ主流である。貴族のお嬢様がたかが、なんて思ってるはずがないだろうに。
なのに彼女はたかがという。命あっての物種ですものと平気そうに。
震えも、痛みも隠したまんまで。それが悔しいと感じる自分がいた。たかが1兵士なのに。
「たかがじゃない。あんたの体の一部でしょう、お嬢様。」
本来なら不敬罪でばっさり斬られてもおかしくないだろう。貴族のご令嬢に断りもなしに髪の先に触れてるんだから。平民同士でも失礼極まりないだろう。
俺は夜食の袋に突っ込んであったおまけに貰ったラッピングされた飴玉の袋を取り出す。お嬢様は目をぱちくりとさせていた。が、俺が包みを解くのを見て。
「あっ飴玉!!食べたいですわ!!」
と叫んだ。そうだな、もう2週間以上若い女の子で、貴族のご令嬢が甘いものを口にしていないのだから。
俺はその口に1粒飴玉を放り込ませた後、ラッピングのリボンを左の長い一房に不器用に巻いて蝶々結びにした。青いリボンを髪に巻いた娘は、飴玉を口の中で転がしながら目を瞬かせていたが。指で触って。何やらわたわたとしている。
「ひゃ、ひゃるふれひょ。ほれ……ほれは……。」
「食べるかしゃべるかどちらかにして頂けませんかね。」
結構面白い発音になっているから。俺はそう指摘した後、彼女に飴玉の残りの包みを押し付けてから離れ、扉の外へ出てその鍵を閉じた。がり、ぼりっと急いでかみ砕いたお嬢様は、格子付きの扉の方へ走ってきた。はしたないですよお嬢様。
「アルフレド!こ、これ、これっ。」
「飴玉のラッピングの一部で申し訳ないんですけどね。一房だけを飾るお洒落というのも巷ではあるそうですし。あ、飴は差し上げます。俺甘いもの苦手なんで。」
嘘だ。甘いものは好きだが、そうでも言わないとこのお嬢様食べたいのを我慢して突き返しそうだから。
髪を元通りに戻して差し上げることはできない。ならせめて何かしたいと思った結果がこれだ。なけなしの金を使えば何かましなものが買えたのかもしれないが、今、彼女を飾れるものはこれしかなかった。たかが1兵士なので許してもらおう。
今は勤務時間なので兵士、と呼んでくださいね。とは言わなかった。お嬢様は何やらそわそわしていたが、満面の笑みでありがとう!と俺に礼を言う。
沈んでいた顔が本当に嬉しそうなのを見て。何処かほっとしたのは絶対に内緒だ。
お嬢様は大事そうに飴の包み紙を枕の下に隠している。ところでお嬢様、飴って温めたら溶けてがびがびに固まるんですよね。あと何か変な汁というかじっとりするというか。頭元で大丈夫かなぁと少し不安になったが、まぁ今の季節なのだ大丈夫だろう。と俺は脳内で完結しておいた。
次の日、蟻が枕元に大量にやってきたお嬢様は、半泣きになりつつ蟻を振り払いながら、残りの飴をぼりぼり食べることになるのだった。
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