つもる。
小欅 サムエ
つもる。
ふと、頬に冷たい何かが触れた感触が伝わる。見上げると、曇天の空からは粉雪が舞い降りていた。
何の変哲もない、滑り台と鉄棒があるくらいの公園。その中心部で、私は空を仰ぎながら、無造作に踊る粉雪をただ静かに見つめる。
「たまには、隠してくれてもいいじゃんか」
そう呟き、私は俯く。飾り気のない砂利に雪が落ち、小さな斑点模様を描いてゆく光景が目に映る。
無性に腹の立った私は、それを掻き消すように足で払った。だが、雪は次々と降り注いでいく。私の払った地面も、この雪に覆われてしまうのは時間の問題であった。
うまくいかないものだ。この土のように、掻き消しても掻き消しても、雪という名の侵略者が私の色を上塗りしてゆくのだから。そしてそれは、人の心であっても同じこと。
「うぅ、寒い」
悴む手を吐息で温めつつ、私は公園から足早に去る。もう二度と、ここには訪れないだろう。たくさんの思い出の詰まる場所だったが、それも仕方がない。だって、どう足掻いたところで嫌な記憶しか浮かばなくなってしまうのだから。
一段と激しくなる雪に、思わず目を閉じる。場違いなほどに鮮やかなオレンジ色に塗られた車両止めが、冬の冷たい風を受けてギシギシと唸る。
しかし、それは単に風による悪戯ではなかった。風が止み、私が目を開くとそこには、不思議な格好をした紳士が車両止めを椅子代わりにし、こちらへと微笑んでいたのである。
その刹那、私は言葉を失う。あまりにも不自然な光景に、理解が追い付かなかったからだ。
すると、私の感情を見抜いたのか、その紳士は胡散臭い髭を揺らし笑う。
「おやおや、お嬢さん。そんなところにいては寒いでしょうに」
「……」
見知らぬ人と会話をするな。それは、現代人にとっての常識であった。故に私は、その紳士を無視して通り過ぎようと、速度を上げる。これ以上、不快な気分へと陥るのは御免であった。
だが、その紳士は私の様子を見るや否や、すっとオレンジ色の車両止めから降り、私の前へと立ち塞がる。完全な不審者の行動であり、私は不快感を通り越して恐怖を覚えた。
「そう怖がることは無いさ。僕は、君に何もしないからね」
紳士はそう言うと、少し悲し気に私の顔を覗き込む。その顔はどこか、本当に下心などないようにも見えた。だから、だろうか。私はろくに考えもせず、感情のままに言葉を投げつける。
「どいてよ。こんなところ、もう居たくない。こんなまっ茶色の世界なんて、もううんざり」
それは、紛れもない本心であった。ここにいても凍てつくだけで、何も得られはしない。そう思っていたのだ。
だが、紳士は少しだけ困ったような表情を浮かべると、私にそっと呟く。
「おや、それは困ったね。僕は、君の笑顔を楽しみにしていたのだが。しかし、君にはあの光景が茶色に見えたのかね?」
「え?」
彼の言葉を受け、私は顔を上げる。目の前の紳士は、優しく微笑むと私の背後へと指をさす。そして、私は彼に指示されるまま、後ろへ振り向く。
「あ……」
「どうかね。これでも、君のいう茶色の世界かな?
そこにあったのは、いつもの味気ない砂利の敷かれた公園ではなかった。真っ白い雪に覆われ、まるで世界が漂白されてしまったような光景だった。
驚き、戸惑う私に紳士は続けて声を掛ける。
「どうかね。君の見ていた世界は、ほんの少しのきっかけでも様変わりしてしまう。嫌な記憶、良かった記憶、そのすべては砂上に描かれた図面とも言える。そう、この公園であっても同じことだ。だからこそ、僕はそんな些細なことでこの場所を嫌ってなど欲しくないのだが」
「……」
私は彼の言っている意味を、あまり理解できなかった。だが、少なくとも私の脳裏には、つい先ほど私をフッた男の姿などどこにもない。ただ、純白の世界が広がるだけであった。
この紳士は、恐らく一部始終を見ていたのだろう。そして、不器用ながらも元気づけようとしてくれたのだ。非常にお節介ではあるが、ここは素直にその気持ちを受け止めるとしよう。ここを嫌う理由がなくなったのだから。
しかし、感謝の言葉を述べようと顔を上げた時、紳士の姿はどこにもいなかった。周囲を何度見渡しても、ただ純白に覆われた世界が目に映るだけで、足跡の一つすらない。
夢だったのだろうか……と、そう思ったとき、一つ強い風が吹き付け、鼻がくすぐられ小さくクシャミをする。途端、全身に冷気を感じ足先から悴む感覚に支配される。
紛れもない現実だ。そして、すぐに帰らなければ体調を崩してしまうだろう。
私は急いで家路へとついた。あの紳士のことや、公園、そして彼への想い。それらをすっかり忘れて。
つもる。 小欅 サムエ @kokeyaki-samue
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