-36話
日もだんだん落ちてきて、部活をしていた生徒たちもそろそろ帰宅し始める頃。
誰もいない――はずの、演劇部の部室。
例のあの地下通路に繋がっている床の板が、ゆっくりと外れた。
顔を出したのは、能美絵理。
指紋が語っていた通りだった。
能美は、部室には誰もいないと確信しているのか……少しだけ辺りをきょろきょろしてから、床の下から出てきた。
――真っ先に目についたのだろう。
煌びやかなドレスに。
部屋の奥に置かれていても、輝いている。
作業テーブルに乱雑に置かれていたハサミを手に取り、迷うことなく異彩を放つドレスに近づいていった。
そして、ハサミを振り上げ……振り下ろした!
「ざまぁみろ! 演劇部! この私を侮辱した罰よ!」
笑いながら能美はドレスを引き裂いていく。
あまりにも身勝手な行動だ。
罰を受けるべきは、どちらのほうか――。
「今だ! 捕らえろ――‼︎」
今日、裁きが下される。
部室内に息を潜めていた演劇部員たちが、一斉に能美に襲いかかる。
悲鳴が上がり、漫画研究部部長はあっという間に縄でぐるぐる巻きにされてしまった。
「ど、どういうことよ! これは! 放しなさい!」
「どういうことはこっちのセリフよ」
高千穂部長と千ヶ崎が能美の前に出た。
「私たちの目の前で何をしたか……わかってるでしょ?」
「ひ、卑怯よ!」
「卑怯? その言葉、そっくりそのままあなたにお返ししますわ」
これだけ威圧されてもなお、能美は自分の過失を認めないようだ。
ジタバタともがいている。
それよりも……
「俺たち見つかったら、スパイやってたってバレるんじゃねぇか?」
隣にいる紅紅葉に俺は言った。
「問題ないわ。存在感を消せるのは君だけじゃないんだよ、弐方君」
「……」
……いや、その喋り方をしている時点で大丈夫じゃないだろ。
警戒しまくってるじゃん。
「勝黄先輩だって撮影しているし、映りでもしたら先生もまずいんじゃ」
「こっちにカメラを向けたら殺すと言ってある」
怖いんですけど。
「能美さん、あなたのしたことはこのカメラに収められているし、逃げ場はないぞ!」
高千穂部長や千ヶ崎に混じって、壱岐も尋問に加わっていた。
「誰よ、あんた!」
「俺は――」
名乗ろうとしたが、演劇部員たちが「謝罪しろ!」「反省しろ!」などと騒ぎ始めたので、壱岐の声はかき消されてしまった。
……どんまい。
「ええい、うるさい! 動機は! 私があんたたちに何の恨みがあるっていうのよ! 言ってみなさいよ!」
往生際の悪いやつだな。
「動機は明白じゃないか。あなた自身だって言われなくとも気づいているのでは? 演劇部のせいで、漫画研究部の部室は狭くなるどころか廃部になろうとしている――。まぁ、廃部は演劇部のせいではないが」
自業自得だろ! と、誰かが言った。
全くを以てその通りだな。
「演劇部と漫画研究部の部室にはそれぞれを繋ぐ不思議な地下通路があった。それに気づいたあなたは、この復讐を思いついたのだろう?」
能美は何も答えない。
今度は黙秘する気か。
「どうやら自分の立場をわかっておられないようですわね……」
千ヶ崎が、やれやれと、大げさにため息をついた。
「能美さん、あなたが今日八つ裂きにしたドレスを弁償していただけるのでしたら、この件はなかったことにしましょう」
「はぁ? 何で私が」
「これが請求書ですわ」
「――……」
能美部長の顔から血の気が引いた。
なお、請求書の額は俺たちからは見えない。
あんなに青ざめているのだから、さぞ大変な額なのだろうけど……
「ふ、ふざけんじゃないわよ! 自分たちで作ってどうしてそんな金額になるわけ⁉︎ 私を騙そうっていうのなら、その手には乗らないわよ!」
「騙すなんてとんでもない。事実ですわ。あなたが自分勝手に破壊したのは、演劇部の手作りではなく、我が千ヶ崎家が製作した衣装ですわ」
我が千ヶ崎家……?
お嬢様キャラなだけかと思っていたが、本当に金持ちだったのか?
「千ヶ崎さんのお家は、映画とか舞台で使われるような衣装を作っている会社なんだって」
香坂さんがコソッと教えてくれた。
「父の好意で演劇部のために貸し出してくれたものですのよ。この衣装が出来上がるまでの時間と労力を考えると、この金額は妥当ですわ」
「……」
能美は何も言わなくなった。
これからどうしようか。なんて考えているのだろう。
用意周到すぎるだろ。
請求書があんなすぐに出てくるもんか。
安くはないだろうけど、きっとめちゃくちゃにされても問題のないものだったのだろうけど、ここまでやるか……
「よし、生徒会室へ連れて行け。こいつはもう抵抗できない」
裏切り者扱いされていた上坂さんが、部員たちに指示を出した。
上坂さん……軍隊の指揮官みたいな顔つきになっているんですけど……
うなだれながら歩く能美は、事件を起こして警察に捕まった犯人のようだった。
ぞろぞろと、みんな廊下に出てその姿を見送る。
「これで心置きなくお互い舞台作りに集中できるわね」
高千穂部長が、ホッと息をつきながら千ヶ崎に言った。
「ええ、そうですわね。全力を尽くしましょう」
二人のトップが握手を交わし、拍手が沸き起こった。
互いのチームの間で流れていたギスギスした空気や、疑念などが取り払われた瞬間だった。
だが……
「――一体何事だ⁉︎」
とある男の声に、緊張が走る。
たまたま現れた体育教師の辻の目に、ロープに巻かれて連行されている能美たちが止まってしまった。
「何の悪ふざけだ! お前たち!」
「悪ふざけじゃないですぅ〜劇の練習ですぅ〜」
軍の指揮官から一変、上坂さんがぶりっ子口調で誤魔化そうとする。
「能美は演劇部じゃないだろ。どういうことなのか説明しなさい。これは立派なイジメだぞ!」
何でそうなるんだ。
辻って確か、漫研の部室を縮小した張本人じゃなかったっけ?
「はぁ? 何がイジメだ。ふざけんっ……」
「お前は黙ってろ!」
反抗しようとした上坂さんが、入野先輩に口をふさがれて黙らされた。
「先生、イジメなんて心外です。能美さんは部室が狭くなってしまった腹いせに、演劇部に仕返しをしてきたんですよ?」
高千穂部長が臆することなく事情を説明した。
その際に演劇部は部室を拡張するのではなく、他の空いている教室を使わせてほしいと言ったのに、怠慢な漫画研究部のスペースをもらうことになってしまったせいで、このような対処方法になったということを強調していた。
「だからってこんな罪人みたいにすることはないだろう」
「そうですね。やりすぎたと反省しています。すみません」
高千穂部長は潔く謝った。
開き直っているようにも見えるが、そんなことは感じさせないほど清々しかった。
能美は部長の指示でロープの紐をから解放された。
「全く……お前たちが部室を広くしてほしいと言うから動いてやったのに、イジメまがいのことをするとは」
「……はい?」
場の空気が凍った気がする。
いやだから、広くしてほしいなんて言ってねぇだろ。
それにイジメイジメってしつこいな。
一度思い込んだらテコでも自分の考えを改めないタイプか。
「演劇部は実績もあるし人数も多いから、それなりに優遇してやったり、多少のことには目をつぶっているというのにその態度か」
何だ、その言い方!
関係のない俺でもムッとしてしまう。
ボソッと、俺の隣で「うぜぇな……」と、紅紅葉がつぶやいた。
「弐方、あいつを一発殴ってこい」
「俺を退学にさせたいのかよ」
担任が生徒にとんでもない命令すんな。
「どういう意味ですか、それ。私たちが何をしたと言うんですか」
高千穂部長の口調が穏やかでなくなる。
さすがに頭にきているようだ。
辻の言い方だと、演劇部が何か悪いことをしているように聞こえる。
「何度も言っているはずだ。そこの二人……男子は男子の制服を、女子は女子の制服を着なさいと。それを守らないのではあれば、連帯責任で活動停止にする」
――千木崎とノアか!
部活のときだけ女子の制服を着ている千木崎と、男装の麗人ノア。
今日のノアは、朝凪学園の男子の制服に身を包んでいた。
つーか、脅しじゃねぇか!
「それはおかしいぞ、先生」
ここで壱岐が口を挟む。
「聞いた話だと、千木崎君はきちんと条件付きの許可を得た上で女子の制服を着ている。二人とも演劇部なのだから、色んな格好をしていてもおかしくないのでは? それだけの理由で活動停止など、理不尽にもほどがある」
そうなんだけど、部外者のお前がはっきり言うんじゃない。
先生から見れば、お前も演劇部の一員だと思われてるんだぞ。
「何だ、その言い方は。クラスと名前を言いなさい」
「一年B組、壱岐佳一。――それを聞いてどうする? 担任に報告するのか」
「生徒が教師に口答えをするんじゃない!」
辻が怒鳴ったので、一瞬だけ静かになった。
「怒鳴れば大人しくなると思っているのでしょうか。愚かな大人ですわね」
ここで大人しく引き下がるわけがない千ヶ崎。
やれやれ。と、ため息をついた。
「教師だからと言って、私たちがその理不尽さに屈するとでも? 子どもだからと言って見くびらないでほしいですわ。貴方の価値観だけで、二人の格好を批判するのはやめていただけませんか。それに、壱岐君の仰った通り、二人は放課後……部活中は好きな制服を着ていいと、先生方の許可を得ております。何も悪いことはしていません」
他の部員たちも、千ヶ崎を支持する声をあげる。
「何が理不尽だ。価値観だ。そういうことは、社会を知ってから言いなさい。ここは学校だ。男女それぞれ決められた制服を着るのは当たり前のことだ。当たり前のこともできないのに、偉そうに先生を説教するんじゃない」
今時、そんなことを言う大人がいることに呆れる。
いや、大人だからこそなのかもしれない。
なんて、頭を抱えていたときだ。
ゾワッと背筋に寒気が走った。
俺の前に立っている香坂さんも感じたのか、しゃんと背筋を伸ばした。
原因は……隣にいた、いや。もう隣にはいない。
いつの間にかあの女子高生姿から、元の姿に戻った魔女のせいだ――。
「学校がいいと許可したのだから、個人的に生徒にケチつけるのはやめてもらっていいですか」
辻のやつも、まさかここに玖雅先生がいるとは思わず、突然の登場に顔を引きつらせた。
「価値観とかは人それぞれですからね。辻先生がどう考えていようが、それを否定する気はありませんよ。ただ、狭い視野でしか物事を見ることができなくて、可哀想だなとは思いますけど」
めちゃくちゃ言うな……。生徒が見ているというのに。
「とにかく、こいつらは自分らしくありたいと思って、この格好を選んだ。そこにあなたのくだらない価値観を押しつけるのはやめてください。教師だというのなら、生徒の可能性をつぶさないでください。しつこく特定の生徒をいびるようなら、校長に相談してもいいんですよ?」
校長と言われて、情けないことに辻は何も言い返せなくなったようだった。
担任め……誰にでも脅すな……
「能美の件は、こちらで対処します。それでいいですか」
「……わかりました」
というわけで、玖雅先生が能美部長もとい能美容疑者を連れてこの場を立ち去り、そしてどさくさに紛れて辻も姿を消したところで、この騒動はおさまった。
「壱岐君、ありがとう。演劇部でもないのに庇ってくれて――」
壱岐が高千穂部長をはじめ、演劇部の面々に囲まれている一方で、香坂さんがホッと一息ついていた。
「先生、すごく怒ってたね」
あれは怒っていたのか……?
怒っていたか……
「ビックリしちゃった。体に電気が走ったというか」
香坂さんも何かを感じ取っていたようだ。
「弐方君も感じた?」
「まぁ……隣にいたし……」
けど、いつ元の姿に戻ったのかは、全くわからなかった。
「えー!? 私は何も感じなかったッスよ!」
「俺も俺も」
新聞部の二人が俺たちの話を聞いて驚く。
「玖雅先生、すごいッス。誰にも気づかれずにあんな一瞬で姿を変えられるなんて……魔女ってどれだけすごい力を持っているッスか!?」
「そうだね……」
興奮する赤羽根に対し、何やら考え込むような表情になる香坂さん。
何だ……?
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