第55話 皇太子という無能な働き者

―グレア・ヴォルフスブルク国境付近―


 国境付近に俺たちは、進軍する。

 そこには、魔獣が5体いた。


「殿下、ここは危険です。少し離れた場所から、ご指示ください」

 チャーチルは、俺に指示をする。


 うるさい、うるさい、うるさい。

 いつもそうだ。こいつは、俺を気にするようにして、あえて戦場から遠ざける。最前線は、フランツの野郎が陣取っていて、最後尾に俺が置かれる。


 さては、功績をふたりで独占するつもりだな。こいつらは、自分の剣で魔獣を倒しているが、俺だけがいつも蚊帳かやの外に置かれている。


 こいつらが考えそうなことだ。そうやって、俺をいつか追い落とそうしているんだ。


 この戦争で、俺はいつも兵士たちから白い目で見られていた。それもこれも、全部フランツとチャーチルのせいだ。俺の完璧な作戦も、あいつらによってゆがめられてしまう。


 総大将として、実績を残さなければ、兵士はついてこないのに、武功を立てることもこいつらのせいでままならない。


 もういい。ここの最高指揮官は俺だ。こいつらの意見を聞く必要はない!!

 このまま魔獣騒ぎを治めてしまえば、こいつらの評判だけが上がって、俺は単なるお飾りの無能者として国内の笑い者になる。


 それじゃあ、こいつらの思うがツボだからな。


「殿下、さあ、後方へ……」

 チャーチルは、俺にもう一度うながす。だが……


「そうはいかないぞ、チャーチル……」


「はっ?」


「お前らは、俺を無能者にして、笑いものにしようとしているんだろう。そうなんだろう? だが、俺はむざむざ笑って、お前らの策略にのるわけにはいかないんだ! どうだ、悔しいだろう?」


「殿下、一体、なにを……」


「俺は、俺自身しか信じない。お前らのような無能な臣下は、もうらないんだよぉ!」


 気分が高揚していく。全能感に包まれる。

 そうだ、俺は生まれながらの高貴な身で、次期グレア帝国の皇帝だ。


 にもかかわらず、俺は今、誰からもうやまわれていない。


 これは世界が間違っている。


 天から選ばれた俺には、絶対に特別な才能がある。

 それはまだ、皆が分かっていないだけだ。


 メアリもいつも言ってくれている。


 ※


「殿下は、選ばれた者なんですよ! それがわからずに、フランツやニーナをチヤホヤする周囲の者がおかしいのです。殿下は、もっと尊敬されるべき存在。フランツやニーナなんて、一緒に潰しちゃいましょうよ。あんなやつらがいるから、私たちに日の目が当たらないんです!」


 ※


 ああ、そうだよ。お前の言う通りだよ、メアリ。


 俺は、選ばれた!!


「親衛隊は、俺の周囲を囲め。大将である俺自ら、一番に敵に切り込んでやる! 勇気ある者は、俺に続け。今こそ、英雄が誕生する瞬間だ。なんじらは、歴史の目撃者になる」


 馬に乗り、俺は前線に向かう。


「お待ちください、まだ、魔力攻撃の途中です! 魔獣は弱っていません! 戻ってきてください」

 チャーチルの声が、はる彼方かなたに聞こえる。

 だが、高揚感に包まれた俺は、もう止まらない。


 ※


―シェーネンブール砦―


「大変です、ニーナ様、こちらへ……皇太子殿下が……」

 私はフランツ様達を見送り、引き続き救護活動や物資輸送の計画を作っていたの。

 その途中で、衛生兵さんに呼ばれたわ。


 私が、急いで病室に行くと、胸からおなかにかけて、大きな爪で引きかれた皇太子様が運び込まれていたわ。


 どうやら、最前線の重傷者が先に運び込まれたみたいね。

 でも、どうして皇太子様が……?



「死ぬ……痛い……どうして、俺が――こんなことに」

 目の焦点の合わない彼が、うめき声をあげている。どうして、指揮官がこんな大けがを負っているのよ! 普通は、司令官が最前線に出るなんてほとんどないはずよ。ましてや、負傷者として戦闘中の前線から、帰ってくるなんてありえない。


「どうやら、錯乱して、ひとりで魔獣に突撃したようです。まだ、魔力攻撃も終わっていない段階での突撃だったので……」


「嘘でしょ……」

 大将自ら突撃? それも、魔獣対策の基本すら守らずに、無理な突撃を……


「俺は、選ばれた者なんだよ。特別なんだ。おかしいだろ。なんでだよ……」


「とりあえず、早く応急手当を……ここまで酷いケガだと、高位回復魔法ができる神官様を呼んでこないと――」


 私は、我に返って、自分の仕事に戻ろうと神官様を呼びに動いたんだけど――


「待ってくれ、ニーナぁ」

 私の腕を、瀕死ひんしの皇太子様がつかんだ。


「えっ?」

 久しぶりの彼の手は、弱々しかった。


「やっと、俺の良さがわかったんだろ。だから、俺のもとに戻ってきたんだろ? お前が謝れば、俺も許してやらんでも……」


 何を言っているの、この人?


 大けがを負って、意識がもうろうとしているのはわかるわ。


 でも、どうしてこんなに無責任なのよ!

 そもそも、この遠征軍の大将には自分で志願したと聞いているわ。


 なのに、魔獣との戦い方も調べて来ないで、武功を焦ってひとりで突撃?

 たぶん、皇太子様を救出するために、何人もの犠牲者がでたはずよ。

 それに、そんな無茶な突撃は味方の士気を、トップ自ら下げている。


 

 自分で責任を放り出しておいて、戦場の心配もしないで、まだこんなことを言うの!?


 もし、あの時フランツ様の進言を個人的な逆恨さかうらみで退しりぞけなかったら、今頃兵士たちは、家族のもとに帰れていたはずだし、家を焼かれて絶望する人も出なかったかもしれない。犠牲者はもっと減らせていたかもしれない。


 なのに、彼は逃げた。

 責任を投げ出して、逃げることしかできなかった。


 自分の能力が足りないなら、周囲の人に助けてもらえばいいのよ。フランツ様だって、優秀な官僚を補佐にして、自分の経験不足を補っているんだから。


 それすら、自分の嫉妬心でできないなんて、将来、この国を背負っていける器だとは思わない。


 冷めた目でしか、もう彼を見ることができない私がいた。


「戻って来いよ、ニーナぁ」


 その声を聴いただけで、寒気すら感じてしまう。


「もう、遅いですよ」


 私は、彼の手を振りほどいて、神官様を呼びに戻った。

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