――後編/明けない赤い空

第62話 初接触

「まったく……やってくれたものだ……」


 自警団・団長である柴田は、崩壊したスカイツリーを前に溜息を吐いた。

 見えるのは瓦礫の山、であった。瓦礫の一つ一つが大きく、積み重なれば山であるが――もうそれは、壁とも言えるものでもあった。

 柴田を含め、主な団員たちは崩落に巻き込まれたわけではないので怪我は一つもないが、自警団の本部が倒壊したのだ、組織としてはかなり痛い出来事である。


「……点在するどこかの支部を仮の本部としますか?」


 と、柴田の隣にささっと近づいたスーツ姿の女性がいた……秘書である森野だ。

 彼女は脇に挟んでいたファイルを開き、ぱらぱらとページをめくって、文字列を目で追っている……、データで大抵のことができる今でもファイルと紙にこだわっているのは、森野が機械音痴だからだ。というよりは、知ったばかりの技術である――。


「いや……、本部もそろそろ撤退するつもりだった。ちょうど良いタイミングか」

「ですが、まだ『敵』に対抗できる人材を集め切れていませんが……」


「いや、問題ない。ある能力者が死んだことで、奪われていたものが元の場所へ戻ったのだ……今まで戦力にならなかった能力者が、前衛に立てる力を取り戻したわけだ」


「あ……強奪、ですか……」


「ああ。事前に確保していた能力者が、ここで活きることになる。

 十位圏内でなくとも、数で補えば同等の力は得られるわけだな」


 十位圏内を確保することにこだわる必要もなくなった。

 まあ、手に入れられるなら確保しておくべきではあるが……今はその時ではない。


「さて……、そろそろ反撃の時間か」

「……でも――」


「十位圏内を確保した方が確実かもしれない? そんなことは分かっているさ。だが、彼らがそう簡単に従うなら、苦労はしなかったはずだ……、だからもういい、こっちから歩み寄るような親切で丁寧な勧誘はしない。だから遠慮なく――巻き込む。

 彼らを巻き込んでしまえば、必然的に敵を協力して討つことになるんだ。どうせ手を組むだろう……、確実な信頼を今ここで手に入れておく必要はない」


「敵の敵は味方、ですか」


「敵の敵は変わらず敵だが、最も厄介な相手であると、印象操作をすることはできる。それを私たちの標的へなすりつけてしまえば、集中砲火が期待できる……違うか?」


「……もしも、『向こう』と結託されてしまえば――」


「それはそれで、展開シナリオに変化があるだろう……、そこが隙となれば、願ったり叶ったりだな」


 柴田が動き出す。


 崩落の直撃こそ受けていないものの、散った瓦礫が壊した建物の下敷きになったりなど、二次災害に巻き込まれ、怪我をしている末端の団員たちの様子を見ながら、


「避難所はもっと遠くへ移すべきだな……どこまでの範囲がか分からない」

「はい、すぐに手配しておきます」


「この町にいない十位圏内の居場所は分かっているか?」

「はい――


 そうか、と柴田が頷いた。


「始めるぞ」

「――はい」


 そして、自警団が水面下で動き出す。


 ―― ――


 能力も、記憶も戻った……そんな気がする。


 体の中に、明確な重さが戻ってきた感覚だった……それは決して、言葉で伝えられるものじゃない。あたしだって、ちゃんと理解しているわけではないのだから。


「ヨート……」

「あ、思い出したんですかっ!? せんぱいのこと!!」


 目の前にいたのは真緒ちゃんだった。隣にはナン子もいる……、別にこれまでの記憶がまったくなかったわけじゃないから、時系列の把握こそしているけど――、だからヨートのことをはっきりと思い出しただけだった。


 なんで忘れていたのか……、信じられないって気持ちね……今となってしまえば分かるけど……、強奪者のせいだ。

 彼が奪った『記憶改竄』の能力で、あたしの記憶がいじられていた……――しかしそれが元に戻ったということは、ヨートが、彼に勝ったのだろう……。


 もしくは。


 ……スカイツリーの崩壊を見てしまうと、巻き込まれて死んだ……とか?


「ねえ、真緒ちゃん……ヨートは……?」


「まだ戻ってきていませんね。

 でも無事だと思いますよ、だってせんぱいの新しい子分がすぐ傍にいましたから」


 子分? ああ、あの子のことね……、名前は分からないけど、お嬢様のような見た目の、あの子……。真緒ちゃんと同等、いやそれ以上にアホっぽく見えたけど、その子はヨートにとって便利な道具として機能するのかしら。


「いま、わたしのことをアホの子と思いましたか?」

「……今更よね」


「アホじゃないです! アホっぽく見えるだけで、アホじゃないんですよっ!」


「あたしもヨートも、アホっぽいと思っているだけよ。

 別に、本当にアホだと思っているわけじゃないわよ?」


「……ほんとですか?」

「本当。これ以上、しつこく追及するならアホってことにするからね」


 もう言いませんっ! と両手で口を押さえる真緒ちゃん……、

 アホじゃないけどちょろいわね。


 ともかく、一旦、ヨートと合流したいわね……、ここまで大規模な破壊が起きたとなると、誰にとってもここは分かりやすい目印になるだろうし……あいつと出会っていなければいいけど。


 ―― ――


 崩壊に巻き込まれた人がいないか、最終確認としてえるまに分裂してもらい、周辺を捜索してもらっている。その間、おれはマコトを探す……近くにいればいいけどな。


 積み重なった瓦礫の上を歩きながら、上がったり下がったり、かなりの運動量である。命懸けで戦った後にこの運動は足にくるな……、気を抜いたら膝が崩れそうだった。

 足場も悪いのがさらに疲労を膝に蓄積させている……、やべえな――マジで倒れそうだ。


 夏だし、暑いし……体力が持っていかれて――、


「おい」


 と、声をかけられた。

 声は下……、積み重なった瓦礫の、坂道の先だった。


 その青年は、真っ赤だった……髪も服装も――。


「怪我して動けねえんなら手を貸すが、どうする?」

「…………」


「おい、親切に手を出してんだぞ、無視はねえだろ」

「あ、いや――大丈夫、だ、です。疲れてるだけで、怪我をしているわけじゃ、ないんで……」


「ふうん、そうか。この先に死体があるが、望んで進むなら驚くんじゃねえぞ」


 言って、真っ赤な青年が背を向けて去っていく……、見えた皮膚にこそ、赤い血はなかったけれど――だけど赤い服のところどころが、別の赤で上塗りされていた。


 それはきっと、本物の血なのだろう。


 赤い服に赤い血は目立たないが、目立たないだけで赤色の中でもやはり差があるわけで……、皮膚についた血は拭っても、服の血は拭わない――拭えない、のか。


 彼が怪我をしているわけではなかった……だったら、あの上塗りされた赤は――彼が浴びた、返り血、なのだろうか――。


「…………」


 ごくり、と、無意識に唾を飲み込んだ。

 その音が、鼓動よりも強く、鮮明に聞こえた。



 それから。

 赤い彼が指差した方向へ向かうと――見えた。


 …………、

 ……………………、は、?


 ごろん、と転がっているのは、頭部だった。


 上半身と下半身はくっついているが、そんなことはもうどうでもいいくらいに、生命は遮断されていた。……首から先がない。繋がっていない。噴出した血は既に渇いてしまっていて、時間が経っていることを嫌でも教えてくれていた……。


 つい最近の出来事とは思えない。

 まるで、数十年前——数百年前のミイラでも見ているような……、

 現在感が皆無だった。


 皮膚が、瞳が、千切れた首の断面が。

 作りものみたいに、もう生物ではなくなっていて――。



「な、あ――、マ、コト……?」


 崩落に巻き込まれた末の死——じゃない……、こんなの、人為的にしか思えないが――ならどうやったらこんな風に人を殺せる……?


 気持ちの問題じゃない、それも、もちろんあるけど、でも、どういう手段を使えばこんな状態を作り出せる!?


「…………いや、難しいことなんかねえじゃねえか……ッ」


 忘れるな、ここは夏休み前までの世界じゃない。

 世界は変わった。他者から寄せられた信頼によって能力が強化される、サバイバルゲームが常時、進んでいる世界だ――【アビリティ・ランキング】の世界なんだ……ッ!


 こんな殺し方、能力を使えば簡単にできるだろう……。


「でも、『できる』と『する』は、違うだろ……ッ」


 できるからする、だとしたら別に、以前までの世界だって頻繁に起こっていたことだ。

 ナイフがあれば拳銃もある、核だってあるのだ、しようと思えばできる戦力を、誰もが大小問わずに持っている……。


 でもしないのは、精神的なセーフティがあるからだ。


 人殺しはしてはいけないと、人として生まれてしまえば自然と理解するから。わざわざ教えてもらわなくとも、されて嫌なことは他人にはしないって分かっていれば、自然と手を出さなくなる常識……、保身として機能する自衛の手段だ。


 でも、こんな殺し方をしたやつは、そんな常識が欠如しているのだろう……。


 歪んだユータとは、違う。彼は殺す意思を持ったことこそが、歪みのせいだった……、だけどこの殺人者は違うと思う……。殺すことを前提とした上で、殺し方が歪んだ――。


 殺すべきじゃないという常識が、頭の中にないとでも言うのか――じゃないとこんな殺し方、しないはずだ。できないはずなのだ……絶対に、躊躇うはず、なのに……。


 マコトを振り分けるとしたら『悪』に入るとは言え――、それでもこんな殺され方をされるべきだって言えるほどの極悪人なんかじゃ、ねえだろうッッ!!



「さっきの……」


 赤い青年。

 困っているかもしれないと、おれに手を伸ばしてくれた――あいつ。


 決めつけたりはしないが、しかし、考えられるのは、あいつしかいないだろう――。


 この殺し方と、さっきのあいつの態度が、合わない。

 でもそれは、明確なルールが彼の中にあるのだろう、という証明とも言えた。


 もしも。


 おれが、彼の中で『殺すべき』ルールに触れてしまえば……殺される。


 こんな風に。

 マコトの、ように……。



「……動けねえ」


 マコトの頭部を抱きながら、おれはしばらく、ここを離れられなかった。


 それは、マコトの死を目の当たりにしたからではない――、

 親友の死よりもさらに強い印象が、おれの体を縛ったのだ。


 絶対的な強者の威圧。


 明確な死の恐怖。


 既におれはこの時、挑むという闘争心を、折られていたのだった――。

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