第14話 自問自答

 夕食を済ませ、麻耶まやの用意した住処すみかへと向かう。

 案内役の燐花りんかが一度道に迷いかけたが、気付かないふりでやり過ごした。


「ここが、私の部屋で、その隣がなぎさお姉ちゃんの部屋だね」

「へぇ、案外広い」


 扉を開けて、思わず感想が漏れた。

 部屋の左手側にはトイレとバスルーム、玄関の正面奥が六畳の居間になっている。

 部屋の隅にはパイプベッドと勉強用の机が設置され、クローゼットも完備。

 二十四号棟は他の場所よりも少し高台の位置にあり、部屋の最奥にあるベランダからは、広大な演習用のグラウンドと施設群が見下ろせた。

 昔より遥かに整っている。前は最低限寝泊まり出来る安ホテルの一室のようだった。

 ベランダからの眺めも申し分ない。

 唯一気になったのが、右壁にある謎の扉だった。

 最初はセカンドクローゼットかと思ったが、部屋の作りと広さを考えると妙な間取りだ。

 ノブの下にある旧式の錠を外しても、扉は開かない。


「壊れてるのかな?」

「その扉は隣の私の部屋と繋がってるの」


 燐花は質問を待ちわびていたかのようにはにかむ。

 扉の鍵は両側の部屋に其々一つずつ、互いの同意があって初めて仕組みらしい。


「お姉ちゃん、どうかした?」

「何でもない、けど。うん」


 お互いのプライベートもあるので、基本的には鍵をかけておくのがいいだろう。


「それにしても、問題は明日の荷物か」

「全部向こうに置いたままなんだよね」

「結構広いけど、家の物を丸々移動するのは面倒かも」

「一緒に行けないけど、荷物の出し入れは手伝うね?」

「そう言ってくれると助かる」


 燐花はグッと両拳を胸元で握りしめた後、思い出した様に手を打ち合わせた。


「あ、そうだ。私の部屋も見せてあげる」

「いや別に、無理には」


 燐花も年頃の乙女おとめなので部屋を見せるのを嫌がるかと思いきや予想外の反応。

 渚の方が面くらって真顔で聞き返してしまう。


「燐花ちゃんがいいなら、だけど」


 彼女の方はむしろ聞き返された事が不思議なようで、「当然だよ?」と頷く。

 そして、可憐なターンを決めて部屋の外へ出ると、廊下を経由して隣の部屋へ。

 やや間が合って、部屋と部屋とを繋ぐ鍵がカチャリという軽い音と共に解かれた。


「はい、どうぞー」


 にこやかに通された部屋は、予想に反して非常にこざっぱりとしていた。

 渚の部屋と鏡映しのような内装だが、壁の色は淡いピンク色でクローゼットが二つという部分が異なっていた。


「部屋もそっくりお揃いだね?」


 床にはモコモコのマットが敷かれ、窓にはレモンイエロー色のカーテン。

 勉強机には大量の教科書が積まれ、机の脇には少し大きめの鞄がかけてある。

 燐花にお似合いの部屋だが、部屋の隅に積み上げられた三つの段ボール箱に目が留まる。

 部屋移動の際の私物なのだろうが、三箱とは随分と少ないように思えた。

 しかし、直ぐに特防の生徒ならこんなものかと見解を修正。渚自身、ここから出て行く際には段ボール二箱とリュック一つで足りた事を思い出したからだ。


「荷物出すの、手伝おうか?」

「やっ、それは大丈夫。服とかばっかりだし……」


 視線を斜め下に逸らし、恥ずかしそうに足の指先をもじもじさせる燐花。

 段ボールの中身で他人に見られたくないものもあるに違いない。


「ごめん。気が回らなかった」

「ううん。手伝ってくれるって言葉、嬉しかったし」


 迂闊な発言だったかなと、渚は自責する。


「でもねっ、もしも何かあったら、手伝って貰っていいかな?」

「ああ。その時は何時でも言って」

「ありがとう、お姉ちゃん!」


 燐花の眩しい笑顔に、思わず視線を反らしてしまう。

 昔の自分を思い出して重ねてしまうからだろうか。


「それじゃ、荷解きもあるし、今日はこの辺で。明日も早いから寝坊しないように」

「うん。お休みなさい」

「お休みの前に、このドアをどうするか決めておこう」


 二つの部屋を繋ぐ扉。

 使い方次第では互いの協調性を高めるのに大きな効果があるだろうが、過度に距離を詰め過ぎるのも本来不要な気遣いの原因になるのでよくない。


「当分、この扉は使わない事にしたいんだけど」

「えー?」

「連絡なら携帯端末で出来るし、最低限のルールは作らないと」

「そうかなぁ?」

「距離感って大事なんだよ。麻耶さんも言ってたでしょ? 大人になれば分かるよ」

「それなら私、大人にならなくて良い」


 駄々を捏ねる燐花を説得するのにそこから更に二十分。

 時刻が九時を見据えた頃、ようやく了承を取り付けた。

 実際は燐花が眠気で判断力が鈍った所に付け込んだ形だが、背に腹は代えられない。

 とはいえ、互いの同意があった場合、何か用がある際はノックをすれば鍵を開けるという譲歩を取り付けられてしまった。

 麻耶ならもう少し上手くやれたのだろうが、これが私の限界だった。


「おやすみ」

「おやすみなさーい」


 扉の鍵を閉めてようやくホッと一息。

 ベッドに横たわると、一日の疲れがどっと襲って来た。思えば怒涛の一日だった。


「もう二度と戻って来ないって、思ってたのにな」


 北極での死闘の後、重症による昏睡状態から目覚めた渚の心に芽生えたのは達成感などではなく、深い悲しみと虚無だった。

 力を失ったのが悲しかった訳ではない。僅かな時間とはいえ作戦遂行で衣食住を共にした同年代の仲間の四分の三が命を落としたのだ。

 犠牲の無い戦いだと思って挑んだ訳ではない。

 しかし、衝撃は自身の想定していたものよりも遥かに大きく、毎晩のように悪夢にうなされた。麻耶のように職員として特防に残る道も用意されたが、頑として首を縦には振らなかった。

 最近になってようやく、あの時の夢を見なくなったというのに。


「『二人で英雄になるのも悪くないんじゃない?』……か」


 今日見た映画のセリフを思い出す。

 あの時、彼女が本当にそう言ってくれていたら、自分は救われたのだろうか。

 それとも――、


『君は素敵だから、死ぬなんて間違ってる。私の分まで生きて』


 一生忘れる事は無いだろう。親友ティナの悲しそうな笑顔と震える声を。


「本当は、戻って来たかったの?」


 自問に答えは出ないまま、渚は眠りに落ちて行った。

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