第4話 相模麻耶の罠

「こういう輩が出て来るのは、世の中が平和を取り戻し始めた証拠よ」

「ポジティブだなぁ。麻耶まやさんらしい」

「ありがと。でもやっぱり、最近はフリーの方が儲かる事も多くて、ウチの入隊希望者が減ってるの。ただでさえ適応者が少ないのに」


 活動がグレーゾーンとはいえ、安全で儲かる方に良い人材が流れてしまうのは道理だ。


「きちんとトドメ刺してくれるなら良いんだけど、崩壊間近の奴は銀粉の旨みも少ないし」

「面倒な後処理だけだと士気も上がらない、か」

「その通り、流石は元メンバー」


 彼女の鬱陶しいウインクをかわし、『ご苦労様です』と心にもない労いの言葉をかける。


「出来れば渚も戻ってきて、協力してほしい」


 ――やっぱり、そう来たか。


 渚は上げ足を取られないように慎重に言葉を選ぶ。


「……今日も暑くて、蝉が煩いなぁ」


 右手で目元を守りながら、白々しく青い空を見上げる。

 あからさま過ぎる話題逸らしは、しばしの沈黙を生んだ。


「そうね。北極は寒かったわね」


 丁度、五年前の今日。

 敵の地球侵略拠点が築かれた北極と南極に対し、各国精鋭として選ばれた計四十八人の魔法師と魔法少女、そして数千人規模の連合軍による大規模な奪還作戦が行われた。

 結果、北極の敵拠点を破壊。

 南極は半壊に持ち込んだが、人類側の犠牲者も決して少なくなかった。

 最前線で戦った魔法師、魔法少女の犠牲者は全部で三十一名。

 死亡率は六割強に登り、特に南極側の二十四名は全滅という最悪の結末を迎えた。


「夢子は死にました。私は何にも出来ない。三年前に麻耶さんが言ったんですよ? もう関らなくて良い、って。普通の生活をして良い、って」


 麻耶は頷いた後、静かに「本当にごめんなさい」と続けた。


「状況が変わったの。最近、新しい技術が確立されてね。きっとびっくりすると思う」

「聞きたくありません。結構です。遠慮します」

「でしょうね。でも話だけ聞いてくれると嬉しいんだけど」

「しつこいですよ。嫌です」

「そうよね。立ち話だと暑いし、場所を移しましょうか。紹介したい人も居るし」

「話、聞いてますか?」


 いつものパターンだ、と身構え警戒する。

 麻耶の表情が笑顔に固定され、一方的に話を無視するようになったら危険信号。

 最も警戒し、憂慮しなくてはならない事態である。出方を間違えば、言葉尻を都合よく解釈されて飲み込まれる。こと舌戦における彼女の手腕は他の追随を許さない。

 交渉と並行して既成事実を積み上げるのが彼女の常とう手段。

 沈黙さえも彼女の前では肯定と同義にされる。

 呼び出しの前から、彼女の筋書きは決まっていたに違いない。

 その証拠に、彼女の告げた『紹介したい人』と思しき人物が、少し離れた墓石の影に隠れてこちらの様子を窺っていたからだ。


「関係者以外は立ち入り禁止ですよ、ここ」

「彼女も関係者よ。私のね」


 苦言を都合よく肯定の意に変換した麻耶が人影に向かって手招きをする。


 ――失敗。麻耶に彼女を呼ぶ口実を作ってしまった。


 合図を待ち侘びていたように、小柄な少女が笑顔でパタパタと駆け寄って来た。

外見的に小学校の高学年。

 淡い栗色の髪はストレートで、前髪は眉の少し上、後ろ髪は首を覆わない程度に切り揃え、ひまわりのような笑顔とドングリのような眼は活発で明るい印象を受ける。

 似ている訳でもないのに、その姿は遠い記憶の中の夢子と重なった。

 服装は白のシャツの上から渋茶色のブレザーとスカート、胸元には濃い朱色のリボンが弾んでいる。見覚えのある、いや見間違える筈がない制服。


「ほら、お姉さんにご挨拶」


「始めまして。東京とくちゅ……ッ、特殊、防衛、学校の五年生、箍道燐花たがみち りんかです!」


 燐花と名乗る少女は、言い切れた事で気が緩んだのか、締まらない笑顔のまま頭を下げる。


「麻耶さん」


 頭を下げる少女を余所に、『説明して』と睨む。


「今名乗ったでしょ。ほら、貴方も挨拶。彼女にだけ自己紹介させる気?」

「はいはい、解かりました。……朝宮渚。新三河台高校の二年」


 ぶっきらぼうな挨拶だったが、彼女は気にも留めず目を輝かせて渚と握手を交わす。

否、強引に手を取りに来たと表現した方が正しい。


「相模校長に聞いてた通りの人ですね!」

「校長?」

「二年前ぐらいから兼任してるのよ。人手不足だから」


 面倒臭そうに装っているが、まんざらでもないと分かる。

 しっかりと握られた腕が、上下に激しく振り回された。


「私、朝宮夢子さんに憧れてて。えっと、その妹さんですよね!?」

「……一応、ね」

「北極奪還作戦にも参加したって聞きました!」


 一体、どこまで話しているのかと渚は麻耶を睨むが、彼女は視線を反らして煙草を吹かすばかり。

 身内に限りなく近い麻耶に対してなら斜に構えた態度も取れるが、純粋な好意を向けて来る年下の少女の気持ちを無下に踏み躙るほど冷徹にはなれない。

 結果、困惑の度合いの強い、傍から見れば滑稽な笑顔で頷くので精一杯だった。


「私、夢子さんみたいな立派な魔法使いになりたいんです」

「えっと、なれると良いね。応援してる。影からね」


 ――夢子のようになりたい、か。


 渚の沈黙を他所に、麻耶は肩を竦めながら煙草の火をもみ消して出口の方を指さした。


「それじゃ、挨拶も済んだ所で行きましょうか?」

「行きません!」


 その場の流れで連れて行こうとしても、そうは問屋が下ろさない。

 麻耶はごく自然に渚の腕を掴もうとしたが、間一髪で振り解いて踏み留まる。

 あと一秒遅ければ、関節を極められる所だった。


「油断も隙も無い」

「……ッチ、往生際が悪いわね」

「そっちこそ、いい加減諦めてもらえません?」

「まったく。燐花からも頼んで」

「だから、どれだけ頼まれても――」


 牽制けんせい余所よそに、燐花が無防備に目の前に歩み寄る。


「ねぇ、お願い。話を聞くだけでいいから」

「悪いけど、そのお願いは聞けない」


 彼女の表情がみるみる曇りはじめ、今にも泣き出しそうだ。

 この表情は正直ずるい、と思いながらも、心は冷静で余裕があった。


「麻耶さん、この待ち合わせ場所は大失敗。他に誰も居ない所じゃ、泣き落としの効果は低いです」

「でしょうね。というか、元から効くとは思ってないし」

「はぁ?」


 疑問を抱くより先に、腹部に激しい衝撃。


「ふゅっ!?」


 意識が途切れかけ、目の前の景色がゆっくりと傾く。

 何、何が起きた?


「お姉ちゃん、ごめんね?」


 激しい嘔吐感と一瞬の静寂の後、腹部に拳をめり込ませた燐花の姿を認識する。


「なるほど、そういう……」


 朦朧とする意識と嘔吐感の中で全てを理解する。

 人目につかない場所を選んだのは、この為だったのだ。

 何か文句の一つでも――、と思考を纏める暇も無く意識を失た渚は、燐花に覆い被さるように倒れ込んだ。

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