第3話 お墓参り

『明日、例の映画館で午前十時に。後は例の場所で一時に。待ってるわね』

 

 唐突な電話とチケットコードを貰ったのは、日付をまたぐ二分前の事だった。


「やっぱり来なきゃよかった」


 昨日の夜から今日の午前にかけて振り続いていた雨は昼前にぴたりと止み、今は眩しい日差しと澄んだ水色を空一面に覗かせている。

 午前の遅れを取り戻そうと泣き喚くせみの声が、雨上がりの涼しさを台無しにしていた。

 逃れられない大合唱の只中ただなかたたずんでいると、このまま別の世界に連れていかれてしまうのではないかという曖昧な錯覚が体を満たしていく。


「はぁ……」


 呼び出しの通りにした自分が、心底間抜けに思えた。

 周囲は見渡す限りの墓石の群れで、これほど待ち合わせ場所として不適切な所も無いだろう。


 三十年前。


 この場所は無数のビル群が立ち並び、見上げられる空はごく僅かだったという。

 今、その光景を知る人間は百万も居ない。全ては瓦礫と共に押し潰された。


『二○九八年。七月二十日。朝宮夢子あさみや ゆめこ、ここに眠る』


 名前が彫られただけの石の塊。本当に埋葬されている訳ではなく、遺骨すら無い。

 五年前。世界の人々を窮地から救った今は幻の英雄。

 人類の未来の為、敵地で華々しく散ったと伝えられる魔法少女。

 

 献花けんかが三束と少ないのは、関係者以外立ち入り禁止の為だ。

 一般用の豪華で物々しい特設献花台は別で設置されていて、きっと今頃はマスコミと献花の人々で賑わっている事だろう。

 いくら涼しいとはいえ、これだけ待たされては全身にじっとりと汗が滲む。

制服の首元を指で開き、風を送り込んだ。

 やはり帰ろうかと思い始めた頃、狙い澄ましたように近付いて来る足音があった。


「……三十四分の遅刻。重役出勤ご苦労様です」

「待たせちゃってゴメン。例の映画のインタビューが押しちゃって。怒ってる?」


 黒のスーツとタイトスカートに着替えた麻耶は悪びれた様子も無く、肩を軽く叩きながら詫びの言葉を口にした。

 二十九歳とは思えない、若さと溌剌はつらつさが全身から滲み出していて、二十代前半とうそぶいても通用しそうだ。髪は緩くウェーブのかかった黒のセミロングで、口さえ開かなければ淑やかな大和撫子と言える。


「中々、いい映画だったわね。実際の戦いよりも魔法は派手だし、色々美化されてたけど」

「夢子もきっと天国で喜んでいるんじゃないかな」

「心にもない事を言うのね。途中で抜け出したのに」

「……見てたんですか」

「そりゃね。一応は貴方の保護者をやってた身だから。気分を害しただろうから謝るわ。ごめんなさい」


 渚は出来る限り深刻な表情を作り――相模麻耶さがみ まやを睨みつける。

 対する彼女は少しの反省の色を乗せた表情で肩を竦めただけだった。


「だけど、もう五年よ? そろそろ割りきらないと」

「いっそ、こんな墓が無くなれば、ね」

「滅多な事を言うもんじゃないわ。貴方にとっては辛い過去かもしれないけど、心の支えにしている人だって居るんだから」

「心の支え? どうだか」


 朝宮渚あさみや なぎさは視線を斜め下に逸らして吐き捨てる。

 およそ二十年前に突如として地球を侵略して来た未知の敵。

 圧倒的な力を前に成す術の無かった人類の窮地きゅうちを救ったのが、敵の持つ未知の力に適性を持った、後に魔法師や魔法少女と呼ばれる少年少女達だった。

 

 こうして今、呑気のんきに墓参りが出来ているのも彼らの活躍と犠牲があってこそ。


「学校は楽しい?」


 唐突かつ露骨に麻耶が話題の転換を計る。この人は都合が悪くなるといつもこうだ。

 せみが一層けたたましく泣き叫ぶ。額から一筋の汗が頬を伝って流れ落ちた。


「楽しいですよ。友達もいるし」

「よかった。三年前は、あんなに塞ぎこんでたのに」

「三年も前の話は止めてください」

「これは『たった三年前』よ」


 麻耶は皮肉たっぷりに意地悪く笑い、胸ポケットから薄紅色の煙草ケースを取り出した。


「こんな所で、怒られますよ?」

「薬煙草だから良いの。吸ってると落ち着くしね」

「……変な薬じゃないですよね?」

「はっ、まさか」


 慣れた手つきで薬煙草をくすぶらせる。

 悔しい事に、その振る舞いはとても絵になっていた。

 元魔法少女で、力の行使の反動で体に疾患を抱えている者は少なくない。

 麻耶は後遺症で肺に大きなダメージを抱えている。


「どうして私を呼び出したんですか。本気で映画に誘おうって性格でもないし」

「さっき助けてあげたのに、その言い草? たった数年でこんなにも可愛げがなくなっちゃって。お姉さんは悲しいわ。昔はあんなに従順で、背も私の半分ぐらいで」

「もう高校二年です。背だって二年もすれば抜く予定だから」

「あっそ。すっかりお姉さんになって。頼もしいけどちょっと悲しい」


 まだ本題を切り出さないつもりかと辟易へきえきするが、苛立ちは彼女の思う壺だと波立った精神を一呼吸で鎮める。


「天下の局長様が、こんな所でサボるのはどうかと思うけど?」

「夢子の活躍様々で、今は南極のゲートを経由出来る中型サイズが多いからね。執務室の椅子で居眠りしてても、文句の一つも言われないわ」

「嘘。最近は面倒なのが増えてる……って、噂で」

「案外詳しいじゃない。感心、感心。敵さんも倒し難くなったけど、昔みたいに命を落とす確率はグッと減ったし。面倒なのは、ウチの組織に属さない野良のグループが」

「迎撃する戦力が増えるのは良い事でしょ」

「向こうの狙いは敵の殲滅せんめつじゃなくて、アルカンシエルが撒き散らす銀粉。高額で取引されるから私達が駆け付ける前に出来る限り絞り取ろうと無茶をするし。ノルマ分を回収したら敵が健在でも『はい、さようなら』。尻拭いは全部私達のお仕事、って具合」

「酷い話」

「自分さえよければ周りの被害も気にしない。……この辺は新しい法案で罰則化されるから減るだろうけど、ホント勘弁してほしいわ。私が現役なら片っ端から殴り飛ばしてたわね」


 麻耶は口元を不敵に歪めるが、しかし悲観する事ばかりではないと胸を張った。

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