チーズフォンデュとふたりの境界線
しぼり
本編
冬の夜、俺たちはチーズフォンデュをしていた。
四足のテーブの向かいに座っている女に誘われ、彼女の部屋でフォンデュパーティの運びとなった。
点火したガスコンロの上のフォンデュ鍋がグツグツとチーズを煮立たせている。
むせ返るようなチーズの匂いが部屋中に漂っている。
「うちでフォンデュしない?」
「は?」
「いや会社の飲み会のビンゴでフォンデュ鍋もらってさ。折角だからあんたとしたくてさ、フォンデュ」
「俺らフォンデュってガラじゃないだろ」
「押し入れで腐らせるよりはマシじゃん。しようよフォンデュ」
これが数時間前の会話だ。
いつもはLINEで簡素なやり取りで済ませる彼女にしては珍しく電話をかけてきた。
大学時代に出会ってからずっと腐れ縁。彼女とはつかずはなれずの曖昧な関係を今まで続けてきた。
センスのない柄の皿に一口大のバゲットが山のように盛られている。
この部屋に着く前に近所のスーパーで俺が買ってきたものだ。
正直な話、ふたりきりのフォンデュの際に消費するバゲットの量が分からなかったので、かなり買い込んでしまった。
レジ袋に突き刺さったバゲットの束を見た彼女に「ほ~んとあんた計画性ないよね」と呆れ顔で言われたのがかなり心に来た。
やけくそになって包丁で切り刻み、こうしてバゲットの山を築き上げた次第だ。
「あ、そろそろいい頃合いじゃねぇの?」
「はいはい」
彼女は仕上げとしてコショウ、ナツメグをチーズに振りかけた。
これでできあがり。
「いただきます」と合掌し、フォークをバゲットに突き刺しチーズに浸す。
口に運んで
「いや~おいしいね~。満足度ナンバーワン!」
安物のワインをはさみつつ、フォンデュに舌鼓を打つ。
熱いチーズとアルコールで体の芯から温まっていくのを感じた。
「あのさ、こんなおいしい物を俺なんかとふたりきりで食っていいのか?」
「なんで?」
「いやお前顔だけはいいんだし、彼氏でも作ってさ、フォンデュでもなんでもすりゃいいじゃんか。そうしたらもっとおいしくなるぞ」
「え~別にいいよ~彼氏なんて。まだお一人様の気楽さを堪能したいし」
「ご両親からなんか言われない?」
「うるさいうるさい!喋ってないで食べて!」
「ああわかったよ。デリカシーのないこと言って悪かったな」
しかし、食べても食べてもバゲットはその数を減らさない。
その一方でチーズのかさがどんどん減っていく。
これはやばいのではないか?
「追加のチーズはないのか?」
「ない!今溶かしているのが全部!」
「新しく買ってくるか?」
「もういいよ。外寒いしこんな時間だし。折角温まったのに外出すのは酷だよ」
「悪い。バゲットじゃなくてチーズをもっと買ってくるべきだったな」
「別にいいよ。これを教訓にしてさ、またフォンデュしようよ」
「また……か。それは無理かもな」
少なくともふたりきりは無理だ。
「知ってる。あんた彼女ができたんでしょ」
「ああ……」
最近、共通の友人の紹介で知り合った女と恋人の関係になったばかりだった。頭の片隅にこいつのことがあったので躊躇していたが、ほとんど相手から押し切られた。
それからあまりにも目まぐるしく日々が過ぎ、向かいの腐れ縁に伝える暇もなかった。
恋人ができたから、もうこれまでの様にふたりきりで遊べない。今日そのことを伝えるつもりだった。
「結婚とかするの?」
「いや、わからねぇ。あいつはその気らしいけど、付き合ったばかりってのもあるし、俺まだ社会人になったばかりだしさ、身を固める覚悟はまだできてないよ」
「ま、おいおい考えていけばいいよ」
「他人事だな」
「いや他人事だし」
ははは、と笑う。いつも通りの態度に安心した。どうやら俺の自意識過剰だったようだ。
彼女はいつの間にか手に持っていたお玉でチーズの海をさらっている。
「何してんだ?」
「まあ、あんたに餞別があるしさ」
お玉を鍋中に動かしている内に目当てのものが見つかったようだ。
それを掬って俺に見せた。
「はい隠し味」
そこにあったのは細長い……肉片、女の指だった。
「……!」
本当に驚いた時は声が出ないものだ。
「なんだよこれ……」
「あの女の指」
「あんたさ、フォンデュってなんて意味か知ってる?」
「溶けるって意味なんだってさ」
「あいつに何したんだ!」
「溶かしちゃった」
「は!?」
「私の家ってさ結構金持ちでしょ。随分前にさ、死んじゃったおじいちゃんの家を相続したんだよね」
「それがどうしたんだ」
「それなりに広くてね。人気のない場所にあるんだよ」
「だからそれとあいつに何の関係があるんだ!」
「あの女をね、お家に呼び出してさ。刃物で切り刻んでやったの。こんな感じにね」
彼女はバゲットの山を指差す。
「……!」
「それからね、死体が邪魔だったからお風呂場で薬品で溶かしてやったの」
「お前!」
「いや~チーズより臭かったぁ~」
はははははと心底くだらなそうに乾いた笑い声をあげる。
現実味がなかった。彼女が語る凄惨な殺しを信じたくなかった。
こいつが人殺しに手を染めた。しかもその対象が俺の恋人。まさに悪夢だ。夢であって欲しい。
「嘘だろ。冗談だって言ってくれよ」
くだらないいたずらであって欲しい。俺は部屋の陰から恋人が現れるのを心の底から望んでいた。
「嘘じゃないよ。こんな体でするには重労働だったよ。お給料を貰いたいくらい」
「こんな体って……?」
聞きたくなかった。心当たりがあったからだ。
まだ恋人ができる前のある夜に、ふたりで酒を浴びるように飲んだあと、彼女の部屋で眠りに落ちたことがある。
夜が明けて酔いが覚めた後、彼女はからからと笑いながら「もう少ししたらさ、いいこと教えてあげる」
「いや~あんたも薄情だよね。腐れ縁ったって男と女だよ。もっと考えなよ」
「今はゆったりしている服を着ているからわからないと思うけど、お腹も出てきているの」
「まああの女を殺したのは罰。あんたへの罰。もう二度と私に不義理を働かないでね」
「まあじっくりコトコト関係を育もうとした私も悪いんだけどね」
「ほ~んとあたしたち計画性ないよね」
おわり
チーズフォンデュとふたりの境界線 しぼり @sakuretu_sora
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