一月十日 部室
「うわー、部室久しぶりだな」
ユア先輩がようやく私を見たのは、部室に入って椅子に座った時だった。
何か変わったところなんてないのに、大袈裟にキョロキョロと見渡すユア先輩。
「あの、この、文集の話なんですけど」
「半分も余っちゃって捨てるの大変だよね」
当たり前のように捨てる前提で話すユア先輩。これを作った苦労や、みんなが書き上げた物語については何とも思わないんだろうか。ユア先輩だって自分のお話を載せているのに。
「この余ってしまった文集は、学校の外で売ることにしたんです。それで文集の中にはみんなが書いた物語があるので、一応許可を取っていて」
「へー! いいアイディアじゃん。頑張ってね」
にっこりと笑うユア先輩の他人行儀な様子に、ふつふつと湧き上がる感情が私を翻弄していく。怒りや、惨めさや、情けなさや、悔しさや、憧れや、羨望。
「……ユア先輩は、なんとも思わないんですか?」
本当は、文化祭のあの日ユア先輩が考えていたことを聞きたかった。それより前、いつからユア先輩の中に辞めるって選択肢が生まれたのか、知りたかった。レン先輩のことをどう思っていたのか、戦うことさえできなかった誰かを好きな気持ちをどうやってやり過ごしたらいいのか、教えて欲しかった。
だけどそれを聞いてしまったら、一緒に過ごした時間の全てが本当に、本当に無駄になってしまう気がして、怖くて仕方なかった。
「いい考えだと思うよ。私のお話ならいくらでも使っていいから! シズカ先輩もレン先輩も卒業しちゃうから、カレンが部長だね。きっと上手くやれるよ!」
それなのに、ユア先輩に部長だと言われたことに、ほんの少しだけ嬉しくなってしまう自分が嫌だった。
「私が部長なんて、務まらないですよ。何一つ上手くできないですし」
「そんなことないって! カレンはみんなが思ってるより頑張り屋さんだし、大丈夫だよ!」
なんの根拠があってそんなことを言うのだろう。ユア先輩は私の何を知っているというのだろう。恋の行方も、みんなの心を一つにすることも、上手く他の人と関わることも、何一つ敵わなくて。キラキラと輝く背中を追っかけていたかったのに、突然辞めてしまって。今日見た背中は、私の知る背中じゃなくて。
「ユア先輩はどう思ってるんですか。部活のこと、文化祭の日だって……。私なんかよりずっと、たくさんのものを持ってるユア先輩の方がいいに決まってます」
「いいって、何が? カレンならできるよ! 一生懸命なの知ってるし」
「そういうことじゃ……」
どうして話が通じないんだろう。ユア先輩なのに、どうしてわかってくれないのだろう。私ではなくユア先輩だから、できることなのに。なのになんでやろうとしないのだろう。それってすごくズルいんじゃないか。
「あ、ごめん。そろそろ行かなくちゃ。とにかく、頑張ってね! 応援してるよ」
ユア先輩はにっこり笑ってそう言うと、さっさと部室を出て行ってしまった。
今まで見てきたユア先輩と何も変わっていないような姿なのに、何かが全く違っていて、その変わりように悲しみと怒りが沸き起こった。こんな形で新部長だって言われたって、一つも嬉しくない。ユア先輩にとって文芸部は大切な場所じゃなかったのか。私たちは特別じゃなかったのか。取るに足らない、どうでもいいことだったのか。
どうしてこんなふうになってしまったんだろう。決定的に埋められない溝が私たちとユア先輩の間にはあった。ユア先輩はその溝を埋めようなんて、ひとかけらだって思っていなかった。私にできることなんて、何も残されていない気がする。こんなに急に突き放すなんて、ひどすぎる。
私の目からは涙が溢れていた。一体なんに対する涙なのか全然わからない。悔しいのか、悲しいのか、怒っているのか、寂しいのか。わからないから余計に止まらない。さっきまでのユア先輩とのやり取りを思い出す。こんなはずじゃなかった。こんなことになるはずじゃなかった。じゃあなんだって言うの。
~~~♪
涙でぐちゃぐちゃに濡れた顔と同じくらい、ぐちゃぐちゃになった脳みそで混乱していると、私のスマホが鳴った。
ごしごしと顔を拭ってスマホを確認すると、シズカ先輩からの電話だった。もう一度顔を拭いて、深呼吸をして電話に出た。
「もしもし」
「あ、カレンちゃん? 今、学校? ちょっと生徒会室来てくれる?」
「生徒会室ですか?」
「うん。来れる?」
「すぐ行きます」
「うん、待ってるね~」
電話を切って、すぐに生徒会室に向かった。
何があったのだろうか。どうしてシズカ先輩が生徒会室にいるのだろう。わからないけれど、とにかく行ってみないことには。
階段を一段飛ばしで降りて、ユア先輩とのやり取りを置き去りにするよう急いだ。
「失礼します!」
勢いよく生徒会室に入って、奥のスペースを目指す。
「お疲れ様~」
まったりとしたシズカ先輩の声が私を出迎えてくれた。けれども、対面に座っているメグミ先輩とルナ先輩の表情は険しかった。
「なにか、あったんですか?」
さっきまでの涙と小走りで、少しだけ上がった息を整えながら聞いた。
「昨日の話、生徒会顧問の大葉先生に聞いてみたんだけど断られてしまったの」
「生徒会顧問の先生は他の先生より、私達生徒の味方をしてくれるし、やりたいことを後押ししてくれたり、かばってくれたりすることが多いんだけどね。その先生にさえ『無理だと思うぞ』って言われちゃって」
ルナ先輩もメグミ先輩もうなだれている。
それよりも私は、大葉先生が生徒会顧問だということに驚いていた。のんびりしていて、ゆるい雰囲気の先生が生徒会のまとめ役だなんて。キリッとしたところを見たことがないから想像がつかないけれど、少なくともルナ先輩とメグミ先輩からはかなり信頼されているようだった。
「そうなんですね。なんで無理なんでしょうか」
「今までに例がないからだって。文化祭や学校行事ならいざ知らず、通常の学校生活において不必要だからじゃないかって大葉先生は理由を言ってたわ」
「前例がないからって挑戦しなかったら、どんどん小さくなってつまらない場所になってしまうのに」
「わ、私の担任なんです、大葉先生。私からも聞いてみても、大丈夫でしょうか」
先輩たちを疑う訳じゃないけれど、やっぱり自分の目で、耳で、確かめたかった。それでダメなら納得のいく説明がほしかった。
「大丈夫だと思うけど、結果は同じだと思うよ」
ルナ先輩が気の毒そうに私に言った。
「ところで、ユアちゃんとは連絡ついた?」
シズカ先輩が唐突に話題を変えた。
「あ、はい。さっき、話したんですけど、許可はもらったんですけど……。もう部活に関わる気はないみたいな、そんな態度で。応援してるって、頑張ってねっては言ってくれたんですけど」
大丈夫なつもりで報告したのに、思わず涙が溢れてしまった。
大好きだった、頼りになる文芸部部長はもういない。眩しかったユア先輩はもういない。
「そっか……」
「あと、部長は私がやったらいいって言われました」
シズカ先輩が泣いている私の頭をそっと撫でてくれる。その優しさにもっと涙が溢れてくる。
「まあ、そうなるだろうね。カレンちゃんに押し付けるみたいで、ごめんね」
「だい、大丈夫です」
こらえようとすればするほど、あとからあとから涙が作られる。視界が滲んではクリアになり、また滲んではクリアになる。
「どうにか先生たちを認めさせる方法を見つけなくちゃね。週明けまでに、何か考えておきましょう。生徒会の二人にも、苦労かけてごめんね」
シズカ先輩が私の肩をそっと抱きながら、二人の先輩に言った。
「いいんです。今更ですけど、文芸部じゃなくて生徒会って立場ですけど、私も関わらせてください」
メグミ先輩がそう言ってシズカ先輩を見ていた。
「生徒のやりたいことを後押しするのが生徒会、って、中条先輩に言われてきたんで、気にしないでください」
ルナ先輩もそう言って笑ってくれた。
「ありがとうございます」
私は泣きながら、お礼を言うことしかできなかった。
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