十月二十五日

『横に一列、寝転んで見た

頭の上にあるはずのものが 今は眼前に落ちて来る


小さく大きく 強く弱く

時々立ち上る白い煙


いつかな

いつだろう

見たいな

見れるよ


ぽつりぽつりと短く声を発しながら

背中から伝わる冷たさにキンとしている


そうして視界を埋めていたら

ぴかり、すぅっと流れていった


願い事は?


願い事は心の中で何べんも唱えてる

この夜中に 一回くらいは言えるはず』



「お疲れさまです」


 文化祭二日前で、ようやく部室で全員が揃って顔を合わせている。レン先輩の気持ちを知って、そう思って改めて同じ空間にいるのはとてもつらい。けれどもみんなが集まったということに、ホッと安心している私もいた。


 部室には印刷を終えた紙を運ぶだけで長居しなかったし、レン先輩にはほとんど毎日会っていたけれど、みんなの顔を同時に見るのは久しぶりだった。文芸部が帰ってきた。殺風景だった部屋に血が通ったような、あるべき場所にあるべきものが納まったような、そんな気持ちになって、自然と顔がほころんでくる。


「レン先輩、カレン、印刷本当にお疲れ様でした! 毎日お昼休み返上で印刷してくれてありがとう。いつも全然手伝えなくてごめんね。昨日から製本作業に入った訳ですが、今日明日で絶対に完成させて、楽しく文化祭当日を迎えましょう! おしゃべりは手を動かしながら。早速取り掛かりましょう!」


 ユア先輩が話す声をぼんやりと聞いていた。昨日はシズカ先輩とレン先輩と三人で作業をしたけれど、思ったよりも進まないことに焦りを感じていた。今日は五人もいるし、もっと早く作業が進められるはず。印刷をしただけでは、お客さんのもとに届けることはできないんだな、なんて当たり前のことに思い当たる。


 ページ数を間違えないように、順番に紙を重ねながらクラスのことをうっすら考えた。ケイとユカリに任せっきりにしてしまって申し訳ない気持ちも、頭をよぎる。


 きっと二人は気にしないでって言って笑ってくれるんだろう。文化祭の準備をやっていなかったら二人と話すこともきっとなかった。私にとって学校行事なんて苦痛にしか思ってなかったのに、二人の存在がそうじゃないって教えてくれた。


 そっと顔を上げれば、見慣れた文芸部の部員たち。ケイやユカリ以上に、私の世界をどんどん広くしてくれた大切な人たち。心が苦しくなる思いも、幸せで胸がいっぱいになる日も、楽しみでわくわくしたことも、全部そう。


 今月に入って、初めて全員揃って同じ作業をしている。何の変哲もない光景なのだけど、これをずっと覚えていたい。今日の温度も、自分の気持ちも、指先が紙を触る感触も。


~~~♪♪


「あ、ごめん!」


 突然鳴り響いた着信音は、ユア先輩のもののようだ。慌てて謝り、部室から出て行く。


 ふっと、さっきの感情が幻のように、部室の空気に溶けて行ってしまった。


「ユアちゃんは人気者だね~」


 シズカ先輩がのんびりとした口調で言う。


「本当に申し訳ないんですが……」


 すぐに戻ってきたユア先輩がもじもじと入口に立っている。


「ちょっとクラスの方に行かなくちゃいけなくて……。今日はみんなで作業するって言ったのに、本当にごめんなさい」


 肩をすぼめて申し訳なさそうな顔でぺこりと頭を下げるユア先輩。


「仕方ないよ~。行ってらっしゃい」


 シズカ先輩がひらひらと手を振って、快く返事をしている。少しだけホッとしたような顔でユア先輩はバタバタと部室を出て行った。


 ドアが閉まり切った時、部室の明るさが一段下がったような気がした。温もりみたいなものも一緒に出て行ったように思えて、部室が寒々しい。ユア先輩がいるか、いないか、それだけの違いなのに。


「ユア先輩、文化祭始まってから、いつもあんなですよね」


 タケルがボソボソと言った。


「いつも途中でいなくなるじゃないですか。部長なのに」


 尚も不満げに漏らすタケル。


 タケルだってクラスの準備ばかりで、たいして部活に顔を出していなかったから、言える立場でもないと思うのだけど、でもそういうふうに言いたくなる気持ちは少しわかる。ユア先輩に頼まれて文化祭の説明会や、生徒会室に行った時のことを思い出す。私なんかが行ってなんの役に立つのだろうかとか、場違いなんじゃないかとか、心配や不安や申し訳なさなんかが混ざって苦しかった。


 だけどユア先輩も大変なのだから、私でできることは頑張ろうって思ったのも本当だった。私にとって大切な場所だから、ユア先輩のこともみんなのことも好きだから。


「クラスでも頼りにされて忙しいんだから、仕方ないだろう」


 タケルの言葉に、ぴしゃりと返すレン先輩。


 その言葉にはユア先輩のことを好きだと言う心が潜んでいることを、私は知ってしまっている。そのせいで、勝手に胸が苦しくなっていくけれど、無理やり気がつかないフリをした。


「それはみんなそうじゃないですか。俺だってクラスの準備で頼まれていることがありますし、先輩たちは準備以外に勉強だって大変じゃないですか。なんだか、不公平ですよ」


 タケルが口を尖らせて不満をぶちまけていく。


「まあまあタケルくん、そう言わずに~。ユアちゃんも大変だし、タケルくんも、レンくんも、カレンちゃんも、みんな大変だよ~。助け合わなくちゃね」


 シズカ先輩がふんわりと受け止めるけれど、まだ何か言いたそうな顔のタケル。


 今日の部室にみんなが集まった時の感動に似た気持ちとか、いよいよ「本」としてできていく私たちの物語とか、明後日に控えた文化祭をわくわくしながら準備して待っている気持ちとか。そういうものが、ユア先輩が出て行ったことで一緒になくなってしまったような気になって、残念に思う気持ち。


「ユア先輩も一緒にいての文芸部ですから、クラスの方にばかり行ってしまうのはちょっと寂しいです」


 自然と私の口から言葉がこぼれていた。


「そうだな。一緒に同じ作業をして苦労を分かち合ったり、同じ目標に向かって準備する楽しさは、やっぱり共有したいよな」


 ぽつりとレン先輩が言う。分かち合う。共有する。そんなことを考えたことがなかった。


 だけどレン先輩が言葉にしたことで、そのことがすんなりと心に落ちて来た。


 タケルの不満げな表情は変わらないけれど、でもこれ以上何かを言うつもりもないみたいで、黙々と紙を重ねて束を作っていた。


 私も作業に集中することにした。こんなに小さいグループでも、いざこざみたいなものや恋愛関係があるなんて、自分の世界じゃないみたいだけど、本当のことで。私自身、モヤモヤするものもこともあるけど、今はただ、目前に迫っている文化祭のため、一生懸命になろう。

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