五月九日 放課後
「今日は帰りどこ行く?」
「カラオケは昨日行ったしね」
「あー、部活楽しみ!」
「よくあんなキツイ練習楽しみとか言えるよな」
「あ、今日はあの人の配信日だ」
「YouTuber? VTuber?」
「授業だるかった〜」
「明日の小テストの勉強一緒にしない?」
「まじ小杉のやつほんとムカつく」
「だっさいジャージ着てるのもキモいよね」
「なんかおもしろいことないかなぁ」
「時間はあるけど金がねぇ」
自分の世界に没頭することもできず、かといって教室で話す人もいない私は、耳から入ってくる声に振り回されていた。
昼休み、ユア先輩と約束したことが気になって何も手につかない。平穏な頭の中に留まっていればいいものを、外の世界、現実を見ようとしてしまうことが苦しい。
なのに、放課後を心待ちにしている自分もいて、どうしていいか分からなくなる。
誰もが誰かと対になったり、グループに属したりして、それで自分の世界を守っているんだ。誰かと一緒にいれば、その誰かに裏切られるかもしれないのに。
私の前の空席をぼんやりと眺める。村上タケルは、教室入り口付近に固まっている男子グループに属して、一番大きなリアクションを取りながらギャアギャアと騒いでいる。ほんの少しだけ、私の存在を気にかけてくれるかもしれない人。頭の中の世界から切り離された私には、たった二言三言話しただけのクラスメイトにさえ、すがってしまう脆い人間だ。
ミコを見れば、柳崎さんたちと仲良し五人組に収まり、髪の色も化粧も派手になって、私と見分けがつかなかった頃があるなんてとても想像ができない。ミコはあんな顔で笑うんだ。かつての友人の知らない表情の一つ一つを、顔に垂らした前髪の隙間から覗き見るだけの私。
「ほらー、席に戻れー」
大葉先生が教室に入ってきた。良かった。もうすぐこの地獄からもさよならだ。濁流の中に放り込まれた、一枚の木の葉。そんな想像が、今の私にはぴったりだ。
私の前の空間にあるべき主が戻ってきて、視界が狭くなる。私を遮るものが戻ってきて、少しだけホッとした。
制服をまとったその背中をまじまじと眺める。広い背中。男の子の背中って感じがする。あの先輩の背中もこんなに広いんだろうか。
「じゃ、そういうことで今日は終わり。気をつけて帰れなー」
先生の一言でホームルームが終わったことを知る。すぐにでも教室を飛び出していきたい気持ちに駆られたけど、ぐっと抑えて、わざとゆっくり帰る準備をした。
図書資料室はこの教室がある教室棟の向かい側、管理棟の三階に位置している。確か図書室、図書準備室、図書資料室という並びだったはず。特別教室や文化部の部室として使用されている教室が多く存在する管理棟には、なかなか足を運ぶ機会がないから記憶が怪しいけれど。
それにしても、文芸部。私の書いたお話をユア先輩たちに見せなければいけないのだろうか。見せられるようなお話があっただろうか。
ノートやメモ帳をそのまま渡してしまうのは恐怖だった。今までみたいにバカにされるかもしれない。見せられそうなものを別の紙に書いておけばよかった。
「由良さん、準備できた?」
だらだらと用意をしていたら村上タケルに声をかけられた。
「えっ、え?」
「ユア先輩、ちょっと強引じゃなかった? あの人、こう思ったらこう!のタイプでさ、由良さん困ってないかなって心配してたんだけど」
「ちょ、待って」
どういうことだろう。私はユア先輩に誘われて、文芸部の見学に行くために放課後図書資料室で会う約束した。なんでそれを村上タケルが知っているの?
「ん、ああ、俺も文芸部なんだ」
「え……」
「見えないだろ。よく言われる」
そう言って笑う顔は、ほんの少しだけ切ない表情をしていた。だから、私に何を書いているのか聞いたりしたのかな。自分もそうだから。
「そう、なんだ」
「ユア先輩に場所分かんないと思うから連れて来てって言われてさ。だから一緒に行こうよ」
さっきまでの心細さがしゅわしゅわと淡く溶けていくのを感じた。知らない人ばっかりじゃないってことが、こんなに安心するなんて。
「うん」
―――――
「連れてきましたよー」
「わぁ、本当に来てくれた! 嬉しいな、こっち座って」
教室の半分くらいの大きさの小さな部屋。出入口正面に机が三個ずつ向かい合わせにくっつけてある。普段使っている机よりも大きな机は、とても作業がしやすそう。
その一番奥右側にユア先輩、その手前にシズカ先輩、そして左側窓際には私のメモ帳を拾ってくれたあの先輩が椅子に座って本を読んでいた。
「タケル、連れて来てくれてありがとうね。カレンもこうして来てくれてありがとう。文芸部へ、ようこそ!」
屈託なく笑う顔が西日と相まって眩しい。シズカ先輩もニコニコと穏やかな表情でこちらを見ているし、あの先輩もうっすらと笑みを浮かべて私を見ている。注目を集めているし、先輩と目が合ってしまって、どこを見ていいか分からなくなる。というか場違いすぎて、恥ずかしい。消えたい。
「一応もう一度自己紹介するね。私は二年の華谷ユア」
「わたしは三年の諸星シズカ。カレンちゃんが来てくれてホッとしてるよ~」
「三年、古峰レン」
「俺は村上タケル、て、流石に俺のことは分かるよね?」
「あ、はい、一年の由良カレンです」
古峰レン先輩。心の中で何度も呼んでみる。ようやく、ようやく先輩の名前を知ることができた。それだけで、嬉しくて舞い上がってしまう。
「タケルから聞いてたんだけどね、カレンが何か物語とか作ってそうって。私たち、十月の文化祭で文集を出そうと思ってて。仲間は多い方がいいし、一緒にやろうよ、カレン」
「えっ、でも……。あの、その」
「大丈夫。今まで自分で詩を書いたり、物語を書くことを誰かにバカにされたりしてきたかもしれないけど、ここにはそんなことする人、一人もいないよ」
「そうだよ~。それに、わたしたちそれぞれに書いたりしてるし、カレンちゃんが慣れるまでは作ったの見せなくてもいいし」
「俺は早く読んでみたいっすけどね!」
「ゆっくりでいいよ」
口々にかけてくれる言葉が、私が欲しかった言葉ばかりで混乱する。こんなこと、あるのかな。これって現実のことなのかな。また私が頭の中で作り出した妄想じゃないのかな。
じわじわと両目の奥が熱くなっていく。俯いて、下唇を噛んでこらえた。
「毎日放課後、ここで書いた物語を読み合ったり、最近読んだ本の話をしたり、まぁおしゃべりが多いかな。だから気軽に来てよ、カレン」
ユア先輩が私の手を取って顔を覗き込んできた。
「あーもう、かわいいなぁカレンは!」
そう言ってユア先輩に抱きしめられる私。よしよし、と子供をあやすように頭を撫でられる。涙目なの、バレたんだろうか。ふわっとした温かさが伝わってきて、心がじぃんとした。ユア先輩は優しいな。スルッと私の心に入ってくる。
「えっ、あの、ユア先輩?」
「ユアちゃん、カレンちゃん困ってるからほどほどにしてあげて」
「由良さん、そういうの慣れてないっすから勘弁してあげてくださいよ」
ユア先輩の肩越しにうっすら見えるレン先輩は楽しそうに笑っている。
それだけで充分、私がここに来る理由が見つかった。
「入ります、文芸部」
私の口が勝手に動いて、私の声がそう言っていた。
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