第三話 守れ補給線。乃木軍合流まで耐え抜くのだ!

現在、鈴得小隊が守る「自家窩棚」より100キロ先にある「沙河」では、日露両軍が対峙している。


両軍の陣は東西70キロメートルの長さとなっており、

距離だけをみてもこの戦の大きさが分かる。


後に言う「沙河対陣」である。


また、ここ沙河では、

3ヶ月前の明治37年10月、

会戦が勃発した。


「沙河会戦」だ。


日本軍12万に対しロシア軍22万。


圧倒的にロシア有利であったが、

日本側は「花の梅沢旅団」をはじめ多くの部隊の活躍もあり、

ロシア軍の猛襲を退けることに成功した。


だが、日本側の被害は甚大であり、

2万近くの死傷者を出すこととなった。


一方でロシア側も4万近くの死傷者を出しており、

どちらも多くの犠牲を払いながら戦線は膠着状態に入ることとなる。


その後、睨み合いは続き、どちらも動けぬまま現在に至る。


両軍考える事は同じ。


「どちらが先に動くか……」


「先に動いた方がやられる」


何もできないまま時だけが過ぎていった。


季節は冬に入り、満州の極寒の風が日本軍陣営に吹きすさぶ。


寒さに慣れているロシア軍に比べ、

体力を削られていく日本軍が

日を追うごとに不利になっていくことだけは確かであった。


だが安易に動くわけにはいかない。


どうすることも出来ない日々が続く中、

明治39年1月1日の正月。


沙河の日本軍に大吉報が届いた。



「旅順陥落」である。


永久要塞とも呼ばれていたロシア軍の難攻不落の「旅順」が、

日本軍の手に落ちたのだ。


指揮官は乃木希典。


これにより、5万近くのロシア陸軍を降伏させ無力化させることに成功。

また、港湾に逃げていた日本軍の脅威であったロシア海軍旅順艦隊も

38サンチ砲の砲撃により撃滅させた。



これには沙河の日本軍も奮い立った。



旅順が日本軍の手に落ちたことにより、

乃木第三軍が「沙河」に合流すれば、

膠着していた戦線は、俄然日本有利となり、

ロシア軍をさらに満州の奥地へ追いやることが可能となる。


そうすれば講和も目前だ。



だが、乃木軍を一日千秋の思いで待つ沙河の日本軍は、

別戦線で「コサック軍団が突如として姿を消した」という知らせに、

不安を隠せないでいた。



「もしもコサック軍団が先に沙河のロシア軍に合流したら、乃木軍無しの日本軍の兵力ではまともに戦えない」


どちらの援軍が先に到着するか。


勝負は時間との戦いとなっているように思われた。


だが、この時、事態は日本軍にとって最悪となっていたのだ。



コサックの精鋭は、ミスチェンコ将軍の統率のもとに、

遠く戦場外を廻り、

「日本軍の背後を襲え! 背後へ! 補給線へ!」と

満州の荒野を黒龍のごとき勢いで疾駆し、

日本軍の背後に迫ってきていたのだ。


そう、旅順を陥落させられたロシア軍は、

沙河での会戦を避けて戦術を変更し、

日本の背後「補給線の破壊」に狙いを定めてきたのだ。


なお「補給線」とは軍隊の生命線であり、

戦闘力を養う動脈のことである。


戦地の「補給線」には大倉庫が所々にあって、

戦線に補充する食糧、弾丸、衣類、衛生材料、

そのほか山のごとく積まれているが、これらはみな、補給線によって運ばれてくる。


もしも、この大動脈である補給線がロシア軍に切断され、

大倉庫が焼かれ、あるいは奪われたら、日本軍の弱体化は避けられなくなる。


どのような豪傑も、7日も飲み食いが出来なければ、

女や子どもにでも倒されてしまうのと同じことだ。



つまり戦争では補給路を守ることは何より重要なことであり、

これを疎かにすると敗北は必須となる。


また、現在、日本軍の補給線は伸びきった戦線のため、

各所手薄になってしまっている。


度重なる激戦で消耗しきった日本軍は補給線を守る余力が無い程に、

兵力に限界がきていたのである。


そして「背後へ! 日本軍の背後へ!」と、

勝ちに乗じて押し寄せるコサック大騎兵団は、

次々に日本軍の手薄な補給路を破壊しはじめたのだ。


ミスチェンコ・コサック軍団は、猛烈な勢いで

「自家窩棚」の鈴得小隊へ、ただ一蹴と襲い掛かろうとする。


もし日本軍の補給線の最後の砦である「自家窩棚」がコサック軍団に落とされれば、沙河の日本軍は補給が途絶え弱体し、日本軍の敗北は濃厚となってしまう。


それを防ぐのは、わずか六七名。

対するは精鋭コサック一万。


圧倒的な戦力差。


だが死守しか道は残されていない。


「危機は目の前である。だが逃げる事は決して許されない。お前たち。俺と死んでくれ!」


鈴得中尉の指揮のもとに下士卒たちは、

集落の外側にある土壁を盾として、

ピッタリと壁にねばりついた。



死の前の重大な任務。

土壁の上に突き立ち、遠く四方を展望する鈴得中尉は、

茫漠たる満州の原野を眺めながら今こそ自分の死を思った。


だが、ふと一瞬に、故郷の光景が目の前に思い出された。


妙技、榛名、赤城の山々。


上州の田畑。

澄み渡る川。

女たちの機織り歌や母達の子守歌。

  

そして3年前、妻となった美知乃と2年前に生まれた娘の幸子。


大きくなったのだろう。

出来ればこの手で抱きしめてやりたい。


しかし、鈴得はハッと我に返った。

「今、この様な感傷は許されない」と。


自分だけではないのだ。

部下達も故郷に別れを告げてここにきたのだ。


いや部下達だけではない。

皆が皆、大切なものと別れをつげ、ここにきているのだ。


国を護って死ぬ告別、愛郷の思い。


もし国が敗れれば、家族も故郷も無事では済まない。



「俺がやらねば誰がやる」


鈴得中尉の全身に闘気が燃え上がった。


軍刀を握りしめ、覚悟を決めた刹那、

そこに、右前の小高い高地から、警戒に立てておいた歩哨が二人走ってきた。


「敵を発見したか?」


鈴得中尉は土壁の上から、二人の歩哨を見つめる。


瞬間に、故郷の思い出も死の覚悟も消えて、

守備の任務が自分そのものになった。


自身の身そのものが任務となったのである。




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