9-8 ユニコーンと洞窟《後編》


 外界から隔離された朝の世界、草原の家。

 アボカドは魔物フェンリルに奪われた“心”を取り戻してから眠り続けている。

 レモンはミカンと交代でアボカドの寝顔を時折覗く。


 何の表情も浮かんでいないアボカドの顔は、眠っているとより端麗さが強調されてしまい人形のように冷たく見える。

 金髪の鮮やかさがカーテンで閉じ切った部屋に翳っている。


 とそこで、アボカドとよく似た輝くような金髪のミカンが慌ただしく駆け込んできた。


「ねえ! レモン! 皆が来たよ~!」


 満面の笑みで飛び跳ねるマネキンの子にレモンは目を瞬かせた。



 ダイヤは黒い狼の背から草原に降り立った。


 朝日が森の木々を透かし、眩しく降り注ぐ。

 森にぐるりと取り囲まれた草原の中央には小さな家が建っている。クリーム色に塗られた木がウエハースに見えて何だか美味しそうな可愛らしい家だ。


「ここって……」


 ここは朝の世界なのだ、とイツキがダイヤたちに説明する。

 イチゴ、レタス、キウイはこの場に着くなりお菓子の家に一直線に走っていった。


 イツキの説明を受けながらダイヤたちも歩いて子供たちを追いかける。

 ここに着く前に安物っぽい缶バッチを配られていた。これがないと人間界に帰れないのだとか……。


 お菓子の家の玄関が開くと、ブラウンの髪の女性と、中性的な容姿のマネキン人形が出迎えた。

 女性は元魔女のレモン、マネキンはミカンだと名乗った。


「「「アボカド団長はー?」」」


 口をそろえて尋ねる子供たちにレモンはどう伝えるか思案している顔だ。


「ごめんね……。今、調子が良くなくて休んでいるの……」


 レモンはがっかりしている子供たちの髪を困ったように手櫛で梳いた。


 カナトがはしゃぎまわって「この家食べれるのー? すっごい美味そーなんだけど!」とまさに椅子に噛り付こうとするのを、ダイヤが「待て待て待て」と身体を張って押さえ込み、カズマがその隙に椅子を滑らかにカナトから遠ざける。

 ジロウはジロウで「これはあれだ。ヘンゼルとグレーテルの魔女の家さながらの……」と一人解説を始めている。


 イツキや店主は通い慣れているようで実家かというほどリラックスしている。


 そのイツキの隣にダイヤの見覚えがない、ライトグリーンの清楚なワンピースを纏った黒髪の女の子がいる。高校生くらいの感じだ。


「え、その子誰?」


 思わず口に出したダイヤに、


「あ、私、ホノカと呼んで下さい。狼人間です」


 ぺこりと礼儀正しく頭を下げた女の子。

 

 先程ダイヤたちを運んでくれた黒い狼の魔物は目の前の女の子だったわけか、と納得しかかる。がすぐに脳内に突っ込む。


 いや、普通は有り得ないんだけどね! ってか最初にミノタウロス見ちゃったもんだから、有り得ないことのオンパレードでもう感覚が麻痺してんじゃねえ? マズくないこれ?



 ミカンがプラスチック製の腕を薙ぐように広げると細かな光が散って、また収縮した。目の前に一瞬で清潔そうな馬小屋が建つ。


 ユニコーンがゆっくりとした足取りで小屋に入り、日の匂いで一杯の藁にしゃがみ込む。

 イチゴとキウイとレタスの三人は藁を蹴り上げないように注意してユニコーンの傍に屈んだ。


「随分と無茶をしたね……」


 不意にイチゴたちの背後から気遣うような声が掛かった。


「アボカド団長……」


 イチゴが名を呼ぶと、返答に窮するようにアボカドは微笑した。

 アボカドは最後にイチゴが見た時より憔悴しているようだった。

 無地のパジャマにブランケットを羽織っているのはさっきまで寝ていたからだろう。


 普段は凛とした立ち姿に細身の男性だと言われても違和感がないほどなのだが、今の青白い顔は普段より女性らしい細い輪郭を際立たせている。


 アボカドは膝をつき、藁に伏せたユニコーンの頭に触れた。

 掠れた声はけれど、彼女の持つたおやかさを損なってはいない。


「私は、あまりに……自分のことしか考えていなかったのだね……。この子は、魔法道具店に?」


 視線を向けられた魔法道具店の店主は「まあね」と素っ気なく首を竦めた。


「サーカス団で使ってたもんはうちが引き取ったんだが、この間そいつが逃げ出してね」


 そいつ、と口にしてユニコーンを視線で差し示す。


「挙句ミノタウロスたちに格好の材料として捕まっちまったわけだが。……まあ多分そいつは最期にここに来たかったんだろうね」


 淡々と呟いて馬小屋から出て行った。

 レモンとミカンも後に続いて小屋を離れたので、四人だけになった。イチゴは呆然としたままアボカドに説明を求める視線を向ける。


「最期って……?」


 アボカドは慈愛に満ちた目を眇めて、


「この子はね、もう寿命なんだ。もう何十年も私たちと共に旅をしてきてくれたろう? だから、もう休ませてあげなくては……」


 寿命……死? 死ぬって何だろ?


 店主はイチゴたちを人間界に送り出す時、イチゴたちは年を取らず死なないのだと話した。


 成長しないイチゴたちを周囲に不審に思われないために、数年経てば周囲とのかかわりをリセットして……断ち切って誰の記憶にも残らぬ生を積み重ねていくのだと。

 言われた時は、そうなのかーとしか思わなかった。死が、生がどういうことかについて実感が湧かなかった。


 イチゴの伸ばした手の先にはユニコーンが横たわっている。

 弱々しく吐く息に胸元が上下する。白い身体に帯びているパープルの光は以前より薄れているようだ。


 穏やかに死期を悟った目だった。だからこそ、もう空を飛ぶ体力も無かったはずなのに最後にキウイとレタスを背に乗せ、アボカドに会いに来たのだ。

 早くも懐かしく感じてしまうサーカス団のメンバーを集めたのだ。


 気が付くとユニコーンは瞼を閉じていた。癒されるようなパープルの光は消えていた。

 眠るように命を終えたのだとイチゴは知った。


 激流が押し寄せるように、共に旅をした日が蘇る。

 アボカドがエルフに追われているユニコーンを保護し唐突に団員にしてしまったことがユニコーンと旅を始めるきっかけだった。


 サーカスの公演の度、優雅に空中を駆け回るユニコーンの背にイチゴが飛び乗ってみせるショーに観客はいつもどよめいだ。

 旅路では隙間風の冷たい夜、ユニコーンの温かい背に皆で身体をくっつけていた。勿論ピエロ人形になっていたイチゴたちには寒さを辛いと感じることも眠る必要もなかったけれどそうすると酷く安心した。

 食事を差し出すと手のひらを舐めたユニコーンの舌がくすぐったかった。


 朝日の柔らかく差し込む馬小屋の中。キウイやレタスは泣いていた。

 レタスは小屋の隅に膝を抱え、顔を覆って嗚咽を堪えていた。キウイはユニコーンの羽に頭を埋めるようにして肩を震わせていた。


 二人ともイチゴ同様に死が何であるかをここにきて目の当たりにしたのだと思われた。

 アボカドはユニコーンを労わるように撫で続けていた。


 イチゴの目にも涙が滲んでくる。

 込み上げてくるものを押し殺そうと必死だった。

 喉の奥で燻る息を吐いてしまえばそれが嗚咽になってそのまま泣き崩れてしまうんじゃないかと怖かった。


 百年も前の母親の言葉が耳の奥で響いた。

 硝子の破片を胸に突き立てられてズタズタに傷ついていくようだった。


 ――この癇癪持ち。癇癪持ち。ほら、またすぐにそうやって泣いて、みっともない――


 ダメだ。私、泣き虫の、癇癪持ちの、嫌な女の子になってしまう……。


「イチゴ」


 アボカドが量り兼ねたような、曖昧な位置に腕を伸ばしていた。

 無表情だが、困っているようだということは分かった。


 イチゴは疑問に思いながらも近付くとそっと抱きかかえられ、膝の上に乗っけられた。温かくはないけれど細い懐かしい腕がイチゴの腰に回る。


 アボカドが耳元に囁く。


「泣きたい時には泣いていい……と言われてもきっとイチゴは困ってしまうだろうね……。けれど知っていてほしい。泣くのは我慢が足りないからではないよ。君の“心”が動いたからだ。ちゃんと君に“心”があるからだ。私は笑っているイチゴも、泣いているイチゴも、……泣けないイチゴも変わりなく愛している。君にそれを……そのことをもっと早くに伝えておけば良かった……」


 その一言に我慢が決壊した。


 イチゴの中にあった母親の強固な言葉が溶け始めてから漸くそれが呪いだったと気付いた。思いを封じる呪縛がきつく胸を締め付けていたのだと。


 喉の奥が熱かった。

 涙が溢れて、すぐに手のひらで拭ったけれど後から後から零れる涙を拭い切れなくなった。


 アボカドはそっとイチゴの顔を自身の肩に埋めさせた。泣き続けるイチゴを抱き締めていてくれた。





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