夜明けの前に

夏目久

夜明けの前に


スマートフォンのバイブレーションが不規則なリズムを奏でながら

枕元で動いている。

静まり返っている室内ではその振動音だけが鳴り響いていた。彼は慣れた手つきで

アラームを解除し、暗闇の中にぼんやりと浮かぶ白い天井を見つめていた。

時計の針は午前3時を指している。

しばらくするとベッドから起き上がり、カーテンと窓を片方だけ開けた。

月は少し陰っていたが、部屋を照らすには十分な明かりだったし今の自分には

これくらいのほうが合っていると思った。


何も考えずにただぼおっと。彼とは反対に深い眠りについている街の呼吸に

耳を傾けながら、まるで時間と一体になったかのように過ごしていた。


時折、将来のことや浮気していた恋人のこと、職場でのミスや人間関係など

普段から思い悩んでいることの数々が彼の頭の中を支配しようとやってきた。

しかし、その時ばかりは頭を抱えて悩むということもなければ、枕に頭を突っ伏して

泣きじゃくる必要もないのだ。


夜は彼を孤独にし、この生きづらい世界から切り離してくれる唯一の存在であるということを彼は知っていた。


生きていれば様々なことを考え、体験する。

涙がでるほど嬉しいことがあったり

逆に涙もでないほどの途方もない悲しみに暮れることだってある


そのたびに人々はその“喜び”や“悲しみ”を誰かに共有し、共感してもらいたがる。

しかし、時にはその“誰か”さえも信用できず悩み、もがき苦しむことがある。

きっと彼もそのうちの一人だったのだろう。


夜中の3時にアラームをセットし、起きてただ何も考えずに

寝静まった街に身を寄せ、ぼんやりと窓の外に広がっている景色を眺める。

 

彼のこの“習慣”というには少々馬鹿馬鹿しく、人々からしたら眉をひそめ

首を傾げられるようなこの行為が唯一の救いなのだ。


“何も考えずにただぼおっと”


と書いたが、きっと彼の頭の中で複雑に絡み合う様々な問題は

孤独や夜といった存在が糸のようにゆっくりとかつ丁寧に解いてくれているんだろう。



彼はひとしきり孤独な夜を堪能し、ふと時計に目をやると30分しか経っていなかった。外はまだ暗く、街灯の明かりに群がる虫たちが コツンコツン と

音を立て飛び回っている。


重い腰を上げ窓を閉じ、ベッドには戻らず近くのソファで眠ることにした。


目を閉じ、朝が来れば世界は動き出し

そのたびに打ちひしがれ、またこの孤独な夜が恋しくなるだろう。

夜明けの前に全ての苦しみや悲しみが解きほぐされることはきっとないだろうが

それでも彼は生きていくしかないのだ。



















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夜明けの前に 夏目久 @natsumeku

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