新たな出会いと果たされた約束5
今日は恋愛小説の中でも、騎士ものがいいわね。
恋愛小説といっても、種類は様々だ。私が好んで読むのはやはりヒーローが王子のものが多いが、騎士ものや使用人ものも根強い人気がある。王子もの、使用人ものはその身分差やすれ違いに焦点が当てられることが多いが、騎士ものは溺愛の要素が強い。疲れた今は特に、甘いものを求めていた。
「──この辺りかしら」
私は書棚から、地味な装丁の一冊を手に取った。華やかな装丁に埋もれがちだが、こういったものは民間に流通しているものなので、より娯楽色の強いものが多いのだ。
めぼしい本を選んで、私はあまり目立たない位置にある席に座った。バルニエ家の令嬢でありジョエル殿下の婚約者である私が恋愛小説を読んで浸っているなんて、あまり外聞の良いことではない。そんな、平民や下級貴族の令嬢達のようなこと──私が大っぴらにやるなんて、許されるはずがない。ジョエル殿下やお父様、お母様が許しても、世間が許してくれないだろう。私がここにいることだって、きっと何かの勉強や調べ物のためだと思われているに決まっている。
しばらく誰にも見られないその場所で夢中で本を読んでいると、突然、無音だったその場所に小さな声が響いた。
「リュシエンヌ様?」
びくりと肩を揺らして顔を上げた。そこにいたのは、あまり目立つタイプではない、大人しい印象の令嬢だった。
「あら、あなたは……」
「お邪魔して申し訳ございませんでしたっ。すぐに出て行きますから──」
私の方がびっくりしているのに、令嬢は何かを恐れているように慌てて踵を返そうとする。
「お待ちになって」
呼び止めてしまったのは反射のようなもので、私はすぐに後悔する。私は今、隠れて恋愛小説を読んでいるのだ。それでも黙っていられなかった。こんな場所くらいしか、この令嬢と話をすることはないだろう。
見覚えがあるはずだ。直接話したことはないが、隣の席だったのだから。
「いつも騒がしくて、こちらこそごめんなさいね。図書館は皆のための場所。私のことはお気になさらないでくださいな」
「恐れ入ります……」
できるだけ優しく見えるように微笑んで見せると、令嬢は安心したようにほっと息を吐いた。私が本に目を戻すと、令嬢も奥の書棚に移動していく。どうやら、邪魔をせずに済んだようだ。
作中では、騎士が王女を溺愛しながら、身分の差に苦しんでいた。
「──はぁ……」
思わず溜息が漏れる。やはり少し古い恋愛小説は王道で、それがまた良い。
視線を感じて顔を上げると、さっきの令嬢が向かいの席からこちらを窺っていた。首を傾げて、言葉を促す。
「あの……リュシエンヌ様がお読みになっているの、恋愛小説ですよね」
どきりとした。背表紙のタイトルを見れば分かることだろうが、今、私は本を開いている。まさか言い当てられるとは思わなかった。とはいえまだ確証はない。
「どうしてかしら?」
「ええと。その本、私も読んだことがありまして」
私はその言葉に分かりやすく顔を輝かせた。
「まぁっ! あなたもお読みになるの?」
これまで、こういったものは一人で楽しんでいた。内緒で、一人で読んでいたのだ。バルニエ侯爵家でも使用人同士が楽しそうに話しているのを、羨ましく見ているばかりだった。
目の前の令嬢が頷く。
「私の家は、男爵家でして……リュシエンヌ様のような高貴な方々とは違って、その、そういった本もよく読まれるのです」
「そう……ね。ねえ──」
ええと、この令嬢の名前はなんだったかしら。ラ、ラ……そう、そうよ!
「ラマディエ男爵令嬢。私がこういった本を読むこと、秘密にしてほしいの」
ファミリーネームしか覚えていなかったわ。どうしましょう。思い出そうとするのだが、どうしても思い出せない。特に目立ったところのない印象の令嬢だったから、今の今まで意識していなかった。
「構いませんよ? そんな、大勢に話すことでもないですし」
令嬢が机の上に筆箱を置いた。若草色のそれは、令嬢の優しげな雰囲気によく似合っている。その筆箱のキーホルダーに、私が欲しかった答えがあった。
「ありがとうっ! レア様、あなたは私の恩人だわ……っ」
令嬢の名前はレアだ。レア・ラマディエ男爵令嬢。思い出せば、途端にレアとの距離が縮んだような気持ちになる。若草色のリボンを使って低い位置で二つに束ねた髪は柔らかそうで、低い身長が可愛らしい印象だ。よく見れば、野に咲く名も無い花のような優しげな面持ちをしている。
「そんな、大袈裟です。それに──」
レア様はこれまでで一番言い辛そうに、上目遣いで私の顔色を窺っている。私は言葉の続きを促した。
「それに?」
「恩人じゃなくて、お友達になれたら……なんて、私には分不相応ですよね。申し訳──」
「お友達になってくれるのっ!?」
嬉しかった。同性の友達は初めてだ。レオンス様は友達だけど異性だし、ジョエル殿下は友達ではない。ジョエル殿下とレオンス様が仲良くしているのを、羨ましいと思っていたのだ。
頭の中から貴族名鑑を引っ張り出す。ラマディエ男爵家は、バルニエ侯爵家とは対立していなかったはずだ。それどころか、傘下の伯爵家の下に位置している。仲良くしても得になることはないが、問題はないだろう。
「私でよろしければ、喜んで。私のことはレアとお呼びください、リュシエンヌ様」
「ありがとう、レア。これから、いろんな話ができると嬉しいわ」
レアはやはり裏表のなさそうな笑顔で、頬を微かに赤く染めている。私と友達になれることを、レアも喜んでくれているのだろうか。そう思うと私ももっと嬉しくなって、同時にとても恥ずかしかった。
こんな気持ちになるのは久しぶりだ。学院に入学して良かったと、私はこのとき、初めて思ったのだった。
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