円満な婚約と初恋1
「わあ、すてきなドレス! お母さま、今日はどうしてこんなに可愛いドレスなのですか?」
わたしは鏡の中の自身の姿に感動した。空のような澄んだ青色のドレスは、薄い柔らかな生地が幾重にも重ねられ、ふわふわと動くたびに揺れる。ウエストに巻かれたシフォンの大きな白いリボンが、小さな羽のように見えた。
「今日はね、王子様にお会いするのよ」
「王子さま! 王子さまって、本物の王子さま?」
「そうよ。だから、あなたも可愛くしないとね」
「はい、お母さま。王子さま……王子さまか……ふふっ」
わたしは浮き立つ心のままに、服と同じ色の靴で小さくステップを踏んだ。王子さまなんて、絵本の中でしか見たことがない。絵本の王子さまはみんな、かっこよくて、優しくて、お姫さまを幸せにする。
リュシエンヌ・バルニエ、九歳。金色の髪は子供らしく細く柔らかで、お母さま譲りの紫色の瞳はアメジストのようだとお父さまにも褒められている。お母さまはとっても綺麗だから、同じ瞳はわたしのお気に入り。
王子さまに会うのは緊張するけれど、きっと大丈夫。だって、家庭教師のお姉さまの言うこともちゃんと聞いているし、お勉強だって、いっぱいしてる。だから、ちゃんとお話できるはず。
「リュシエンヌ、準備はできたかな?」
「はいっ」
扉の向こうから、大好きなお父さまの声がした。お父さまは、このドレス、可愛いって言ってくださるかしら? 早く見てもらいたくて、わたしはステップを踏んだ勢いのままぱたぱたと扉まで走る。
ノブに手をかけようとした瞬間、外側から扉が開いて──わたしは、固い足に思いっきり頭から突っ込みそうになる。
「おっと」
ぎゅっと目を閉じたけれど、ふわりと身体が浮いて、思っていた衝撃は来なかった。おずおずと目を開けると、そこにはたまにとっても怖いけど、いつもは優しいお父さまの顔。
「お父さま!」
「私の天使は何をしているのかな?」
目線が高い。お父さまが大きな手で抱き上げてくれたおかげで、わたしはお父さまの足にぶつからなくて済んだらしい。痛くないのも、たまにしかしない他所行きの薄いお化粧が崩れなかったのも、良かったのだけれど、これは叱られてしまうかしら。
「ごめんなさい、お父さま」
抱き上げられたまま、しゅんと俯く。お父さまはゆっくりとわたしを降ろして、代わりに屈んで目線を合わせてくれた。
「走ったら危ないだろう? 気をつけなさい」
「はい……」
やっぱり叱られてしまった。でも、今日はなんだか優しい気がする。
「今日は特に可愛いね。──あーあ。連れて行きたくないなぁ」
「可愛いですかっ? ありがとうございます、お父さま!」
わたしはドレスのスカート部分を摘んで、家庭教師のお姉さまに習った、大人の人がするような礼をした。お母さまやお父さまのお友達にする以外にまだほとんどやったことがないから、多分そんなに上手じゃないと思う。でもお姫さまは綺麗にお辞儀をしていたから、憧れて、いつも練習しているのだ。
お父さまが頭を撫でてくれたのが嬉しくて、わたしは目を細めて笑った。
「ミレーヌ、今日はお断りしないか?」
「あなた、何を言ってますの。陛下と王妃様とのお約束ですのよ。それに、リュシエンヌだって楽しみにしているみたいですし」
お父さまはお母さまと話をして、またわたしに向き直った。そんなに思い詰めた顔をして、どうしたのかしら。
「リュシエンヌ、王子様との約束だけどな、お前が嫌なら、行かなくても良いんだぞ。どうだ?」
「ううん。わたし、王子さまに会えるの、楽しみですわ! お父さまは……お嫌ですの?」
こてんと首を傾げて問いかける。お父さまはじっとわたしの顔を見て、深く深く溜息を吐き出した。
「仕方がない、かぁ……。他所の禄でもないのに目をつけられるよりは……それに、お気に召していただけるかまだ分からんし。まぁ、うん。──よし、王子様に会いに行こうな」
ぶつぶつと呟いたお父さまは、最後の言葉だけしっかりと言って、わたしを抱き締めた。ぎゅうと回された腕が少し苦しいけど、お父さまの抱擁は、いつもわたしを幸せであったかい気持ちにしてくれる。
「はい、お父さま!」
わたしもお父さまの大きい身体いっぱいに腕を広げて、しがみつくように抱き締め返した。お父さまが嬉しそうに頬擦りしてくれるけど、もじゃもじゃのお髭が痛いからちょっとやめてほしい。
「あなた、お化粧が崩れてしまいますわ」
「む。化粧をしているのか」
お父さまはわたしの肩を掴んで、身体を離した。そしてまじまじとわたしの顔を見る。お母さまの侍女のマリーがしてくれた化粧は、ほんの少ししかしていないのに、いつもよりもっと可愛くなった。まるで魔法みたいだ。
「──まだ早くないか?」
「お顔合わせですから。ねえ、リュシエンヌ。お化粧嬉しいわよね」
「はい! あのね、わたし、お姫さまなのですわ」
にこにことお父さまに笑ってみせる。
魔法をかけられたお姫さまは、綺麗なドレスを着て、お城に行く。そして、すてきな王子さまと恋をする。
わたしがお会いする王子さまも、すてきな人かしら。期待と不安を胸いっぱいに詰め込んで、わたしはお父さまとお母さまと一緒に馬車に乗り込んだ。
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