隣人
阿紋
1
暗闇に光るTVモニター。
映し出されている深夜番組。音は消されていて聞こえない。たまに聞こえるのは隣の部屋の喘ぎ声。2週間前から聞こえている。空き部屋に誰かが引っ越して来たらしい。挨拶はない。都会の現実。留守の時に来たかもって、それはないよ。僕は一日中この部屋に居るのだから。気づかないはずがない。もちろん、こちらから挨拶に行くこともない。どんな顔をした女なのだろう。喘ぎ声から、若い女のように思えた。10代か、それとも20代か。30代の女は想像したくない。
「まだまだ若いなあ」
ニヤついた顔で、僕を説き伏せるドミトリー・イワノビッチ。「俺は工場だ」と自慢げに言う典型的日本人。もちろん偽名だ。「でも俺の父親はイワンなんだぜ」とうそぶく。
「30を超えてからが、本物の女なんだぜ」
そう言ってイワノビッチは、昼間につまみ食いした女の話をする。
「一回だけなら、浮気にもならない」
「若い女はめんどくさい。しつこくて、ひとりよがりだ」
イワノビッチは悟りきったような薄笑いを浮かべる。
「どうして確かめない。部屋から出るときは音でわかるんだろう」
「わざとらしいようで」
「少しずらせばいいじゃないか。階段を下りたころを見計らって、上から見ればいいんだよ」
「振り向かないか」
「そっと見れば、振り返らないさ」
「ところが振り向くんだ。勘がいいんだよ彼女たちは」
「ずいぶんと経験豊富のようじゃないか」
イワノビッチは箱から抜き出したタバコを口にくわえて、ニヤリと笑う。
「笑い事じゃない」
「気が強いんだな」
イワノビッチはマッチを擦ってタバコに火をつける。
「強くはないよ僕は、弱い方だ」
「その気が強いじゃない。あんたから出ている気が強いんだ。だからわかっちゃう」
イワノビッチの口から空に向けて、煙が吐き出される。そしてタバコの箱を僕の手元に差し出す。僕は一本タバコを取って、口にくわえた。イワノビッチがマッチを擦って、僕はタバコの先を、マッチの火に近づける。コンビニの駐車場の隅に置かれた灰皿に向かって佇む男が二人。
「これから、確かめに行くか」
「いいよ」
僕はタバコの煙を、大きく上に向けて吐いた。
「そろそろ帰るよ。人が集まってきた」
「そうだな、俺も帰るよ。ガキどもの話を聞いてもつまらない」
僕とイワノビッチはコンビニの袋を下げて、反対の方向に歩き出す。
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