第5話  ラクタスの後宮

 

 ◇◇◇


 ゆらゆらと心地良い振動と柔らかな暖かさを感じて、サリーナは無意識のうちにそっとアレクサンドルに身を寄せた。安心しきったようにぐっすりと眠るサリーナを抱きかかえながら、アレクサンドルはなんとも落ち着かない気持ちになっていた。


 サリーナを抱えながら黙々と歩くアレクサンドルをゲインは呆れた顔で眺めている。


「で、アレクサンドル様、どうして急にこんなことをしでかしたんですか?」


「しでかしたとかいうな。感じが悪いぞ」


「しでかしたんでしょうがっ!三年もかけて口説いていた花嫁候補をいきなり誘拐してきたんですからね?しかも花嫁の国を滅ぼして!どんな暴君ですか!」


「うるさい」


「うるさくもなりますよ。いきなりどうしたって言うんですか?」


「ダルメールがサリーナとの結婚をほのめかして、他国からも金を巻き上げていたこと、知ってたか?」


「知ってましたけど?」


「……は?はぁ!?知ってたのか!?」


「何いってるんですか。そんなの多かれ少なかれどこの国でもあることですよ。花嫁候補に贈り物をするのは、結婚相手として財力を見せ付けるためでしょうが。サリーナ様の場合は人よりも言い寄ってくる男の数が多いだけです」


「……」


「まさかそれが理由じゃ無いでしょうね?」


「……そんなこと、知らなかった」


「知らなかったじゃないでしょうがっ!それじゃあまるっきり暴君じゃないですか!」


「そもそも、俺と他の男を天秤に掛けて比べようなど、不愉快だ」


「まあ、確かに誠意ある対応とは言えないでしょう。ただ、サリーナ姫ほどお美しいかたなら、致し方ないことなのでは?」


「俺はそうは思わん。馬鹿にされて黙ってられるか。それこそいい笑いものだ」


「はぁ、大人気ない。大体結婚のことは私どもにまかせると仰いましたよね?王子の身勝手な行動のせいで、今までの苦労が台無しです。婚約にこぎ着けるまでに、金も労力も一体いくら掛けたと思ってるんですか!」


「それは……悪かった。だが、サリーナは俺からの贈り物を受け取っていないみたいだぞ?必ず身に付けるようにと渡した国宝のピンクダイヤも、ちゃんと身に付けていなかった」


「ああ、あのダイヤは……王妃様の形見の品ですもんね。贈り物の全ては私が責任を持って手配しましたので、間違いなくダルメール王国に届いているはずです。すでに支度金としてかなりの額も支払っています」


「そういえば、王と、王の周りにいた女たちは随分派手に着飾っていたな」


「ふーん?サリーナ姫の国での待遇に、問題があったのかも知れませんね。我が国の国宝も、手癖の悪いものにネコババされている恐れがありそうです。騎士団長が戻ってきたら、こちらからも話を聞いてみましょう」


「頼んだ」


「とにかく、ここまでやってしまったからにはどうしようもありませんが、サリーナ様には誠意ある対応を頼みますよ?」


「この俺が奴隷にするといった。当分変えるつもりはない」


「はぁ?当分っていつまでですか!嫌われても知りませんよ!」


「……サリーナは、他国の王族からも恨みをかってるかもしれないだろう?」


「ん?あ、あー、それで奴隷に落としたことにして、後宮で保護するおつもりですか?」


「……」


「はぁ、わかりました。ようやくアタマが冷えてきたようで何よりです。では、くれぐれも後宮の中では未来の王妃候補として、丁重に扱ってくださいよ!」


「分かった」


 ◇◇◇


「では私は、先に部屋の様子を確認して参りますから。しばらくお待ちください」


 ゲインはそう言うと、メイドを数人つれて後宮の奥に入っていく。


 ラクタスの後宮は、王宮にほど近い離宮になっており、かつての王妃や側妃達のために作られた。友人たちを招いてお茶会を開いたり、趣味を楽しんだりするプライベートなサロンとしての役割も持つ場所だ。王といえども後宮内のことに口出しするのはマナー違反とされている。


 つまり、後宮内では王妃こそが最高責任者であり、女王なのだ。


 しかし、現在の王であるアレクサンドルの父王は、若くして亡くなった王妃ただ一人を心から愛し、片時も側から離さなかった。


 そのため、かつての後宮は長い間無人の状態となっている。定期的に掃除はさせているが、すぐに客をもてなせるような状態でないことは確かだ。ゲインがメイドたちにてきぱきと指示を出し、急いで部屋を整えていた。


「ベッドや浴室の掃除は済んだか?とりあえず今夜過ごす部屋はきちんと整えておくように。ドレスや夜衣は後で届けさせる。姫は長旅でお疲れだ。ゆっくり眠れるように心掛けてくれ」


「はい、ゲイン様。お部屋のお支度は整いました。浴槽にお湯は張っておきましょうか?」


「そうだな。目が覚めたときいつでも入れるように整えておいてくれ。後は軽い食事を用意して、すぐにお出しできるようにするといいだろう。気の利いたメイドを何人か世話係として付けるように。そうだな。取りあえず姫に5人、後宮付きとして30人ほど配置するように。明日から掃除を徹底させてくれ」


「かしこまりました」


「アレクサンドル様、取りあえず部屋の準備はできたようです。今夜はこちらでお休みになられますか?」


「……は?」


「サリーナ様とご一緒にお休みになられるか聞いてるんですが?」


「いや待て、こんな子供相手に何を言ってるんだ。お前は馬鹿か?変態なのか?」


「……奴隷としてさらってきた王子にそのように言われるとは心外です」


「……」


「……」


「はぁ、わかった。俺が悪かった。サリーナは疲れているようだからゆっくり寝かせてやってくれ」


「かしこまりました。では、私はメイド長と後宮について打ち合わせをして参ります」


「ああ、頼む。お前たちも、もういい。ご苦労だったな」


 ゲインとメイド達が軽く一礼をして部屋を後にする。


 ◇◇◇


「さてと」


 アレクサンドルは、美しく整えられたベッドに腰掛け、ゆっくりとサリーナを寝かそうとする。しかし、サリーナはアレクサンドルの服をしっかりと掴んで離そうとしない。困ったアレクサンドルがそっと指先を開いてはがそうとすると、ますます強く握り締めてしまった。


(赤子かっ!はぁ。まぁ、しばらくこのままでいいか。今日はもう疲れたな)


 サリーナを抱えたままゴロンと横になると、アレクサンドルも徐々に眠りに落ちていくのだった。



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