第10話
もっと彼を揺さぶりたいけど、そんな悠長なことをやっている暇は残念ながらない。
「はるかから一度君の演奏を聴いてほしいって言われてて、こっちに出張に来たついでもあって寄ったんだ。さっきも言ったけど、フライトの最終便予約していて、あまり時間がないから、率直に聞くね
君、ピアノの道に進む気ある?」
俺の質問に驚いたのか、急に顔を上げて俺の顔を見る。
「…いえ」
そうか、ピアニスト志望というわけではないのか。
そうだよな、ピアニスト志望であのテクニックでは、明らかに練習不足だと殴るところだ。
「ああ、聞き方が悪かったね。音楽大学の教授について習ってみようとは?」
「ないです。僕はこのままピアノが続けられれば」
そうか、将来、ピアノで成功したいとかそういう野望みたいなものはないのか。
今流行りの草食系?いや、ゆとり世代??
野望だらけだった当時の俺とは、全く違うタイプなのかもしれない。
「でも音楽祭のジュニアコースは受けたことがあるんだよね?」
「はい」
「楽しかった?またああいうのを受けてみるのは?」
「チャンスがあれば」
これ、なに?
野望はないけど、ピアノは続けたい?
音大の教授につきたいとは思わないけど、音楽祭のジュニアコースみたいなのはチャンスがあれば受けてみたい?
「…分かった…」
はるかに習い続けたいのか。
というか、はるかに習いたいからピアノを続けているのか?
女目的のピアノ?!
ピアノに対して野望だらけだった当時の俺より、もっとたちが悪いタイプなのかもしれない。
いや、しかし、冷静になれ俺。
俺の仕事は、未来のピアニストを発掘することでもある。
ここで感情のまま『お前、女に振り向いてほしくてピアノ弾くなんて、バッハに殴られて地の果てまで飛んでいけ』と殴り倒すのは簡単だ。
本当に殴り倒してしまいたいが、我慢だ、我慢。
冷静に語りかけなければ…
一呼吸おいて、言葉を何とか紡ぐ。
「今日の君の演奏を聞いて、はるかがわざわざ俺を呼び寄せた意味が良く分かったよ。
タケルくん、君は音楽的にとても良いものを持っている。
テクニックは、はるかがいう通り、もう少し頑張った方がいいけど、スケールやセンスはかなり完成されてきている」
彼は、何か気に食わないという顔で、俺の顔を見ながら話を聞いている。
言葉を選びながら、語り続ける。
「どうだろうか、マスターコースやアカデミー、あとはスポットで色々な先生にレッスンを受けてみるのは。
俺は、そのサポートをすることができると思う。育成事業でマスターコースの企画もしているし。本当は君が望むなら、音大の奨学生への推薦をしようと思ってたんだけど。各地を回って、ピアニストの卵を探して中継ぎをするような仕事もしているんだ」
はるかのことを抜きにしても、音楽的な何かを持っている彼をこのまま野放しにしておくのは、俺のポリシーとしてNGだった。
それが、どんなに気に食わない男だったとしても。
しかし…本当に話さない子だな。
高校生になったんだから、少しは気を遣って話すくらいの社交性がないと…。
…そうか…
腑に落ちて、急に可笑しくなった。
「君はあまり話さないんだね。急に俺みたいな男に話しかけられたら、そうなるか。
さっき、演奏前にはるかと一緒にいた君を見ていたから、もっと話すのかと思ってたよ」
あれは、惚れた女にだけ見せる顔だったのか。
何の縁か、一番先に見た彼の姿が、俺の元カノへのあの表情。
「はるかに習って長いんだろう。楽しそうにしてたからさ」
あの姿を見られていたことは、彼にとって不都合なことだったのだろうか。
微妙な顔つきになる。
でも、俺にとっては、好都合だったかもしれない。
あんな姿を目撃していなければ、20歳も年下の君がはるかに恋慕しているなんて、すぐには気付かなかっただろう。
「あ、そんなに警戒しなくて大丈夫だよ、俺、結婚してるし可愛い子供もいるからさ」
俺のプライベートを知れば、君はホッとして俺を
でも残念ながら、俺はそんなことを赦すほど、君を甘やかせないよ。
「…はるかとは、今はピアノだけの縁」
一瞬、彼の瞳が揺れたのを確認して、満足する。
椅子から立ち上がって、カバンを持つ。
「フライトの時間があるから、そろそろ行くよ。返事ははるかにしておいて。18日にまたこっちくるから。でも、きっと君とはまた会うね。そんな気がするよ」
そう、君とはまた会うだろう。
タケルくん、君がはるかの側を離れない限り。
運命の女 第1部 完
運命の女 第2部は
本編「ピアノ男子の憂鬱」第2部 第19話~
「ユーチューバータオの初恋」第2部 第7話~
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