「賢者への道」
サカシタテツオ
□賢者への道
「加藤さんって魔法使いなんですか?」
なんの前振りも無く唐突に投げかけられた”その言葉”は俺のピュアな心を大きく深く容赦なくエグってくれた。
真実を突きつけられると人はひどく動揺するという。まさに”今” ”この瞬間”それを身を持って体験している。
「えっと・・・それは俺が三十歳童貞なのかって意味で聞いてるの?」
今にもピクピクと引きつりそうな眉をなんとか抑制しつつ、一呼吸おいてからゆっくりと振り返る。動作をゆっくりにする事で心の余裕を演出してみたつもりだ。
先程の声の主はベリーショートが印象的な開発部の期待の新人"長瀬瞳"嬢。10分あれば誰とでも仲良くなれるという特技を持つ脅威のモンスター新人君だ。
「そんな事は聞かなくても分かります!」
即答だった。
「わかるんだー」
蚊の鳴くような俺の声は長瀬嬢には届かなかったみたいで、しょぼくれる俺の様子を1ミリも気に留める事もなく彼女は先程の言葉の続きを投げ付け続ける。
「そうじゃなくて、先月のアレ! 営業さんの無茶振りの例の案件! 今うちのチームでもめちゃくちゃ話題になってるんですよ!」
長瀬嬢はフロア全体に響き渡るような大きな声でそう一気に捲し立てた。今この瞬間、フロアの人間全てが彼女の言葉に聞き耳をたてているに違いない。
「あぁ、アレね。うん。凄く大変だったよ、うん」
長瀬嬢の勢いに押されてしどろもどろになる三十歳童貞の姿はさぞ面白おかしく見える事だろう。
「あんな無茶苦茶な案件をサラッとこなすなんて、加藤さんのチームはどんな魔法を使ったのって今うちのチームで話題になってるんです!」
と、これまた一息で喋りきった長瀬嬢は鼻からフンッと大きく息を漏らした後、メモ帳を取り出しまっすぐコチラを見つめ直していた。
「いや、あれはね、えっと…」
「はい!」
長瀬嬢のまっすぐな視線が鋭くて痛い。そして眩しい。もう一つ付け加えるなら超照れくさい。
「その…コア部分の変更は無かったし、厄介なところは全部遠藤君がやってくれたから・・・遠藤君に聞くといいんじゃないかな・・・」
なんとか大人の余裕ってモノを演出しようと試みるも、長瀬嬢の圧倒的な勢いに気圧されてしまい、しどろもどろになる三十歳童貞の発する言葉は更に小さく弱くなり最後は周囲の空気に溶けてしまった。
「はい?」
俺の発する言葉が上手く聞き取れなかった長瀬嬢は短く簡潔にかつ威圧的な雰囲気を混ぜ込んだ疑問符を返してよこす。
「や、だから、その、ね?・・・遠藤君が全部やってくれたんだよ?」
なぜ疑問形で答えてしまったのか自分でも理解出来ないけれど、コチラの意図はなんとか長瀬嬢に伝わったみたいだった。
「遠藤君が?」
「そうそう! 遠藤君が出したアイデアを中心に三浦君とか矢田君とか若手メンバーが頑張ってくれたんだよ! いやー、若い人の発想って凄いよね! 三十路オヤジな俺にはあんなアイデア出せないよー! だからその話は遠藤君達に聞くといいよ!うん! 歳も近いし話しやすいだろうし! ね? ね?」
と、ここまで自分でも情け無くなるような若干気持ち悪い早口で言い訳と言い逃れの言葉を放出してしまう。
だがもちろん遠藤君達若手が優秀なのは本当だ。
その言葉には嘘はない。
「分かりました! ありがとうございます!」
そう言って長瀬嬢は軽く一礼した後、バッと上体を起こすと遠藤君達若手の方へと走り去ってしまった。
「台風みたいなコだな・・・」
そう呟いた声もまた空気の中に溶けて消える。
ふと時計を見ると昼休み終了の時間が迫っていた。
「加藤さん」
台風娘は15時ジャストに戻ってきた。
左手に緑茶のペットボトルを持ち、少しだけ不貞腐れたような表情を作りながら右手をコチラに差し出している。
「ひよこです。営業さんのお土産」
「あぁ、それはどうも有難う・・・」
何も考えず反射的に長瀬嬢から差し出されたお菓子を受け取ってしまう。"しまった"と思いつつ、そっと長瀬嬢の顔を見上げると不貞腐れた表情は固定したまま口元だけが少し緩んでいるようにも見えた。
「嘘つきなんですね加藤さん」
長瀬嬢はすぐ横のコピー機にもたれかかりながら少し気だるそうに言葉を吐き出す。
「嘘つき?なんで?」
まったくもって心当たりはない。少々みっともない対応をしてしまったけれど、紡ぎ出した自分の言葉の中には嘘偽りなんてなかったはずだ。
「遠藤君に聞いたら『加藤さんのおかげです』って言うし、三浦さんや矢田君も『加藤さんが居なかったら出来なかった』って・・・それにうちのリーダー・・・瀬戸さんも『いつもの加藤マジックだな』って」
長瀬嬢は先程の台風みたいな勢いを綺麗さっぱり消し去って、今度は捨てられた子犬のような少し寂しいって感じの雰囲気で攻めてきた。
ーー結構あざといな長瀬嬢。
なんて事を考えていたら怒られた。
「聞いてますかーー?」
「はい!聞いてます、聞いてます」
「本当、瀬戸さんの言ってたとおりのタヌキなんですね加藤さんって」
「タヌキ?俺が?」
確かに二十代後半から肉付きが良くなって全体的にふっくらしてきた自覚はあったけれど。
ーー陰でそんな風に言われたのか…と言うか瀬戸のヤツ、後で〆る。
「瀬戸さん曰く『加藤は絶対に自分の手の内を明かさないよ、のらりくらりとはぐらかすのが得意だからね』って」
「いやいやいやいや、まったく全然はぐらかしてなんかないよ? さっきも言ったけどシステムのコアな部分に手を入れる必要は無さそうだったし、修正ポイントは遠藤君の得意そうな範囲だったし、本当に全部みんなに丸投げしちゃっただけだからね?」
前回、途中で空気に溶けてしまった言葉達をあらためて長瀬嬢に伝え直してみた。先程よりは落ち着いた喋りが出来たので今回は正確に伝わったと思う。
「・・・・・・」
「え?なに?」
長瀬嬢は沈黙を維持したままコチラの目をまっすぐ見据えている。
「・・・・・・」
「気まずいから何か喋ってくれないかな・・・」
本当に気まずい。と言うか落ち着かない。お尻の辺りがムズムズして今すぐにでも逃げ出したくなってしまう。
「これもダメかぁ、目力には自信あったのに・・・」
「・・・・・・」
今度はコチラが沈黙する事になってしまう。長瀬嬢の言葉の真意が分からなかったからだ。それに気恥ずかしくて色々と限界が近づいてもいた。
「瀬戸さんのアドバイスも通じないなんて、加藤さんのタヌキ度高すぎです」
「アドバイス?瀬戸の?」
「そうです。加藤さんは瞳をまっすぐ見つめて喋っていると時々シッポを出すって教えてくれたんですけど・・・まったく通用してないですよねぇ・・・」
「・・・・・・」
ーー瀬戸!なんて事を吹き込んでやがるんだ!後で絶対泣かす!絶対だ!
「あ、そろそろ戻らないとですね」
「へ?あ、うん」
瀬戸を泣かす方法に思考能力の殆どを持って行かれている間に長瀬嬢との会話は終了してたみたい。
もたれていたコピー機から身体を浮かせ、ゆっくりと歩き出す長瀬嬢の背中は何故だかとても小さく見えた。
一歩二歩とためらうようにゆっくりと歩く彼女を見つめていると、なんとも言えない罪悪感にも似た胸の奥がザワザワするような気持ちが込み上げる。なんだコレ。
ーー何か言った方がいいのだろうか?けれど何を言えばいいのだろうか?
ほんの一瞬、そんな思考に気を取られている間に長瀬嬢が立ち止まってコチラに向き直っていた。
「加藤さん、今度一緒にご飯に行きませんか?ビールでも飲みながらとことん話し合ってみましょうよ」
長瀬嬢から発せられた言葉の意味は頭では理解できた。出来たけれど反射的に出てきた答えはコレだった。
「だが断る!」
俺が答えを口にすると一瞬の静寂のあと周囲からどよめきに似た重たい低音が響いてくる。
「加藤さんならそう答えると思ってました!フフッ」
長瀬嬢の発する声に道を譲るかのように周囲の重たい低音の波が急速に遠く小さくなっていく。
再び訪れた僅かな静寂の時間。
「えっと、さっきのはその…」
状況の整理が追いつかずしどろもどろが再発動してしまう自分の豆腐メンタルが煩わしい。
「大丈夫です、何も言わなくても解ってます」
そう言うと長瀬嬢は言葉を止めて目を閉じてしまった。
数秒後、肩が揺れてすぅーーと大きく息を吸い込み再び目を開ける長瀬嬢。
「私、諦めませんから!」
「覚悟してて下さい!」
相互理解と戦線布告を混ぜ合わせたような不思議な言葉を置いて自分の席へと戻って行く長瀬嬢の後ろ姿は、さっきとは違ってなんだかとても楽しそうに見えた。
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