第5話

 荒野を疾走する馬車は、激しい揺れによって車輪に異常をきたしていた。

 それでも速度を落とさずに、ひたすら狼煙の元へと向かっていた。

 村人達の無事を願っているが、もはや赤い狼煙は消えている。

 それだけの時間が経っている今、どれだけの被害が出ているというのか。

 目的地が近づくにつれて、その実情が色濃く表れ始める。


「レイゼル、止まって」


 晄が声を上げ、ある方向を指さした。

 その先を見て手綱を引き馬車を停止させる。

 そしてとっさに馬車から飛び降りた。

 地面に倒れていたのは、年端もいかない子供だった。

 

「傷を確認しろ、晄! 薬を用意する!」


 腰の薬品類の入った革袋を外し、中身を取り出す。

 量は多くないが、傷を癒す魔法の薬品から一般的な止血薬まで揃っている。

 冒険者が必要とする品々であり、値段は張るが効果は劇的だ。

 だが晄は立ち尽くしたまま、子供を見下ろしていた。


「いえ、その必要はないわ」


「だが!」


「もう死んでる。薬は生きている人間にとっておいた方が賢明ね」


 鼻を突くのは、むせかえるような濃い血の臭い。死の臭いだ。

 近くの土は血を吸い込み、浅黒い色へと変色していた。

 なにより子供の小さな背中には、骨を切り裂く程の斬撃痕が残されてる。

 だが即死ではない。

 血痕が続いているだけこの子供は苦しみ、この場で息絶えたのだろう。

 なにもない、荒野の真ん中で。


「くそ」


 荒れ狂う感情が、たったそれだけの言葉となって口から吐き出された。

 冒険者となれば人が死ぬ事など珍しくも無くなる。

 酒場でちょっと顔見知りになった相手が、翌日には姿を消している。

 酔いが回って共に騒いだ相手が、翌日には無残な肉塊となっている。

 そんな事は、珍しくもなんともない。

 だがそれらは、命を懸けて戦う冒険者達だ。 

 戦う術を持たない人々や、無力な子供が死ぬ姿は、未だになれない。


「感情を抑えよ。理性を失えば――」


「獣も同じ。お師匠の言葉だろ、わかってるよ」


 軽薄な晄も、言葉数が少ない。

 彼女も思う所があるのか。

 それとも、顔を見せなかった二年で感情を抑え込む術を覚えたのか。

 二年と言う歳月は、俺と晄の間に思わぬ差を生み出していた。

 薬品をしまい、そっと名も知らない子供の元から離れようとした、その時。


 おぞましい咆哮が大気を震わせた。


「今の咆哮は……。」


「ねぇレイゼル。アタシの勘がどれだけよく当たるか、覚えてる?」


「忘れられる訳ないだろ。悪い方向へのお前の勘は、百発百中だったからな」


「時々嫌になるんだよねぇ、この体質がさ」


 まさしく俺と同じ懸念を抱いていたのだろう。

 晄と共に声の元へと走り出す。

 その先は、村の方角。

 リリーナ達が最初に向かった場所でもある。


「急ごう。これ以上の犠牲は、出したくない」


 それがたとえ、憎むべき相手であっても。


 ◆


 認められるか。

 こんな事が、認められるか。

 認められる、はずがない。


 リリーナ・ディエンタールは、仲間の一人が内臓をまき散らしながら地面を転がる様を見て、必死に否定しようとした。

 目の前で起こっている事象を。

 自分達が一体の亡霊に追い詰められているという、現実を。

 

 偉大なる傭兵王ゼントールを父に持つリリーナは、生まれた時から傭兵としての生き様を見てきた。

 母親という存在を知らぬリリーナにとって、父こそが世界で唯一無二の目指すべき存在だった。


 豪快にして不遜。権力者に媚びない豪胆さと、権力者に怯まぬ勇猛さ。

 最後に父を見たのは、他国の王族との戦いに参戦し、莫大な報酬を持ち帰った姿だった。


 幼き頃はその背中を見て、いずれは自分もこうなるのだと、誇りを胸に抱いていた。 

 しかし傭兵団を率いる事が現実味を帯びてきたリリーナにとって、その背中は余りに強大すぎた。 


 数百の傭兵達は傭兵王の名の下に集結している。 

 それが次代に引き継がれる保証など、何処にもない。

 それどころか今まで仲間だった傭兵達の食い物にされる可能性さえある。

 

 付き従う数百の傭兵を取りまとめるには、その傭兵達に認められる他ないのだ。

 そこでリリーナが思いついたのは、冒険者となる事だった。

 人間をはるかに超える凶悪な魔物を屠る冒険者として、その勇気と実力を知らしめるのだ。


 中でも最高峰とも呼ばれるゴールド級への昇格こそが、父を超える唯一の方法。

 徒手空拳で傭兵となった父が持たない、大陸全土で通用する実力の証明章。

 それがあれば、少なくとも実力が伴わないなどと言われることは、無くなるはずだ。


 それを思いついてから、リリーナは努力を怠ったことは無い。

 全ての力を成果に繋げるため、寝る間も惜しんだ。命を削って戦った。

 だからこそ、仲間達にも全てを打ち明けた。

 本音で語り合い、心の奥底で繋がりあった、真の仲間だった。


 レイゼルと言う男を除いては。


 父の推薦でパーティに入ったあの男は、自分の監視役だと分かっていた。

 嵐の角笛の情報を、逐一父へと送っているに違いない。

 些細な失敗や小さな諍いも、父に送っているに違いないのだ。


 どれだけ努力をして結果を残そうとも、あの男の裁量で測られる。

 父に伝わるのは、あのレイゼルという男の目を通してみた評価だ。

 珍妙な武器を使い、その上で大した実力も持たない、いけ好かない男。


 あの珍しい剣術を父は気に入ったのだろうが、ただそれだけだ。

 それだけで自分達の評価を色眼鏡で見ては、父に報告する。

 そんな事が、許されてたまるか。 


 父には自分達の本当の実力を知って欲しい。

 あんな曲芸師が見た物ではなく。

 

 だから、すべてを捧げた。

 この身のすべてを。

 仲間と共にゴールド級へ昇格するために。

 ディエンタール家を継ぐために。


 父を越えるために。


 それなのに、届かないというのか。

 それなのに、足りないというのか。

 足掻いても足掻いても、どれだけ手を伸ばしても、届きはしない。


 目標だったゴールド級はしかし、果てしなく遠い。

 唐突に立ち塞がった、この目の前の悪夢そのものだ。


「誰でもいい……!」


 白い衣を纏った亡霊は、返す一撃で再び仲間の命を奪い去った。

 鋼鉄の鎧を身に纏った戦士を、たった一撃で。

 自分達の攻撃は届かず、相手の攻撃を受ければ命を失う。

 あっけなく、死んでしまう。

 共に夢を目指した仲間が。


 そんな理不尽な事が、あってたまるか。

 そんな現実、認められるか。


「誰か」


 上手くいっていたはずだ。

 誰よりも努力をしたのだから。

 結果も残せていたはずだ。

 誰よりも努力をしたのだから。


 なのに、亡霊は私達の努力を嘲笑い、容赦なく叩き潰した。


「誰か」


 眼前の亡霊を前に、剣を構える事しかできなかった。

 逃げ出した仲間は全て殺され、戦った仲間も殺された。

 なにもできなかった、私だけが生き残った。


 凶悪ともいえる亡霊を前に戦う事などできるはずがない。

 しかしゴールド級は手を伸ばせば届く距離にある。

 この亡霊を偶然でも倒す事が出来れば、あるいは。


 その強欲な迷いが、自分を生き残らせた。

 その一瞬の戸惑いが、仲間達を殺した。

 今までの経験も技術も仲間と積み上げてきた実績も何もかも、この亡霊の前では無駄と悟った。


「誰か、助けて……。」

 

 その声を上げてしまった自分に、失望する。

 戦う事を諦め、味方を見捨てて、ゴールド級への道さえ手放した。

 そこでさらに、最後に残った誇りさえも捨ててしまうのか。


 振り上げられた剣を眺める。

 それが自分の最後なのかと。

 

 しかし――


「どうにか間に合ったか」


 絶望の淵で聞こえたのは、そんな声だった。

 続けて、目で追う事さえできない一閃が、終わらせた。

 白き亡霊が、一刀の元に霧散する。


 目の前に現れたのは、自分が追放したはずの男。

 ひどく頼りなく思えた背中が、自分を守っている。

 その事実が、リリーナを深く傷つけた。

  

 曲芸師と見下したはずの、レイゼルに救われた。

 その事実が、より深くリリーナを絶望に突き落とした。


 





 だが、レイゼルがそれを知る由はない。


 ◆


 手の内に残った感覚は、酷く曖昧なものだった。

 少なくとも、生物を斬った手ごたえではない。

 霧散していく白い霧を尻目に、周囲に視線を走らせる。


 地面に転がるのは、嵐の角笛のメンバー達。

 未練のないパーティだったとはいえ、メンバーがこんな姿になるのを望んではいなかった。 

 弔う事も考えたが、ここは戦場であり危険が完全に去った訳ではない。

 ならば生きている人間の保護が最優先だろう。

 膝をつき、茫然自失となっているリリーナの肩を叩く。


「仕留めたって訳じゃなさそうだ。リリーナ、立てるか?」


 仲間を失った整理が出来ていないのだろう。

 短くない沈黙の後に、唸るような声が響いた。

 一瞬、身を固くして周囲を見渡す。

 しかしその声の主は、目の前にいた。


「今さら……今さら、実力を見せつけに来たんですか?」


「なに?」


 怨嗟を吐き出すよう、リリーナは半狂乱で叫んだ。

 抱いていた感情が決壊したかのように次々と。


「それだけの実力があるのに、なぜ私達に協力しなかったんですか。そんな実力があるなら、私達はもっと早く昇格できていたのに! 死んでいった仲間にどうやって顔向けするんですか!? 依頼を失敗して失った信頼と評価も、時間も戻ってこないんですよ!」


「……済まない」


「済まないって……それだけですか? どうせ内心では見下しているんですよね? 本当の実力を隠しておきながら、生意気な態度をとっていた私を見下しているんでしょう!? 身の丈に合わない階級を欲しがって、仲間を殺した無能な私を!」


 悲鳴のようなリリーナの言葉に、俺はなにも返すことができなかった。

 反論しようと思えば、いくらでも出来ただろう。

 一年間の間に受けた、不当な扱いや鬱憤を晴らすことも。


 だが、今のリリーナはあまりに痛々しい。

 自分の仲間を殺した責任を、十分に理解しているはずだ。

 そんな彼女に俺から返す言葉など、あるはずがない。


「やめてくださいよ。せめて、なにか言ってください。でないと……。」


 俺の沈黙を、どんな意味で捉えたのか。

 か細いリリーナの言葉は、途中で途切れた。

 鮮血の臭いが漂う中で、沈黙が訪れる。

 そしてようやく俺がひねり出した言葉は――


「馬車に薬品が積んである。救援部隊が到着するまで、そこで治療をしてるといい」


 そんな、月並みな言葉だった。


 ◆


 馬車の方角へと歩いていくリリーナの背中を見送り、周囲の探索に移る。

 村の入り口付近には大勢の死体が折り重なっており、そのすべてが鋭利な切り傷で息絶えている。

 中には馬ごと両断された死体もあり、あの亡霊が只者ではないことを示していた。

 そして、見た限り生存者はいない。

 微かな可能性を掛けて家屋の中を捜索していく内に、晄が声を上げた。


「優しさに見えるけど、あれって一番残酷な対応だよ。見下してた相手から同情されたお嬢ちゃんに、同情するよ」


「傷心の相手を気遣ってる暇なんてないだろ。今は亡霊の対処が先だ」


 リリーナは少なくとも生きている。

 しかし亡霊をこのまま野放しにしておけば、さらなる犠牲を生むだろう。

 どちらを優先すべきかなど考えるまでもない。

 

「仕留めてはなさそうだよね。きっとすぐにまた姿を表すよ」


「次は本気で斬る。だがその前に、聞いておきたい。あの亡霊はお前が噂で聞いていた物だと思うか?」


「さて、断言はできないかな。でも噂で聞いたような、独特な剣だったね」


 問い掛けに晄は逡巡し、曖昧に答えた。

 言葉を選ばない晄だからこそ、その一瞬の迷いは酷く酷く目立つ。

 晄の性格を考えるに、気を遣わせるのも申し訳ない。


「今さらごまかす必要なんてないだろ。あれはハイランダーの剣だった。俺が見間違うはずがない」


 古い記憶を引っ張り出して、思い出したくない思い出を思い起こす。

 燃える故郷。そして襲来する災厄。決死の覚悟で戦いへ向かう戦士達。

 そんな彼らが手にしていた武器が、あの亡霊の物と重なる。


 間違いない。

 見間違えるはずがない。

  

「同じハイランダーの、この俺がな」

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