第41話 いってきますを言わないで。
――
今の貴方が幸せなら構わない。
今の貴方が楽しんでいるのなら構わない。
貴方のその様子が見れるだけ、私達は嬉しいの。
だからどうか、お願いだから。
その言葉だけは言わないで。
――
小さな頃の事を思い出す。ドライブ好きなお父さんに連れられ家族皆で行った動物園。当日が待ち遠しくて、ドキドキしながら過ごした一週間。でもあの頃からボクの心は少しおかしくて。
長い道のりを超えてようやくたどり着いた動物園。お父さんもお母さんもお兄ちゃんも楽しそうにしてて、でもボクだけは、不安でいっぱいになっていた。
周りを歩く大人達の姿がすごく怖くて。皆がボクを見ているんじゃないかと思い始めて。ボクの服がおかしいのかな?髪がおかしいのかな?顔がおかしいのかな?考えるたびに心をいっぱいに満たしていた楽しさという感情はどんどん薄れていって。積もるのは不安ばかりで。あれだけ楽しみにしていた今日を、早く終わればいいのにと考え始めて。
「大丈夫だ」
そんなボクを察してなのか、それとも親としての役目を果たそうとしているのか。ボクの前を歩いていたはずのお父さんはいつの間にか隣に並んでいて、ボクの小さな手を、優しく、大きくて、温かいその手で握ってくれて。ゆっくりとボクを前に、前にと連れて行ってくれるお父さんの姿が頼もしくて、とっても大好きだった。ボクもいつか、お父さんみたいに誰かの手を引っ張ってあげたいと思ったんだ。
帰り道。車の後部座席の窓から外の景色を見ていたボクはふと呟いた。
「今日みたいな日がずっと続いたら楽しいね」
隣に座っていたお母さんも助手席に座っていたお兄ちゃんも静かに寝息を立てていて、答えれるのは運転しているお父さんだけだった。でもお父さんは、いつも運転に集中していて、皆の会話を黙って聞いているような人だった。
「……いつまでも、その気持ちを持っていてくれ」
そんな無口なお父さんが小さくそう返した。ボクはお父さんの言葉の意味よりも、お父さんが会話に入ってくれた事が嬉しくて笑顔で「うん!」と答えた。それからずっと、あの時の言葉を忘れないようにと心の中に大事に閉まっていた。何年経っても言葉の意味はわからなかったけど、それでもボクは大事にしていたんだ。
「ということで、東京行くことにしました。皆ごめんね。いろいろ引っ掻き回して」
東京キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!
来たか!!
やっぱり来るじゃないか(歓喜)
雹の兄貴に会えるってマ???
現地絶対行きます!!!!
くそ!!!仕事だー!!!
「やっぱりこういう機会って大事だと思うしね。申請も出したし、参加は結果待ちかな」
受かってるといいですね!!
頼むぞ……!!
出来ることならステージで話してる雹夜さんが見たい。
当たってくれー!
オンラインチケット予約しないと。
受かってなかった場合でも東京来ますか??
「受かってなかった場合?うん、もちろん行くよ。
皆と同じ見る側になると思うけどよろしくね」
隣に雹さん(リアル)が居るかもしれないのか……
喋った瞬間バレそう()
リアル雹さんを探せ。
迷惑になるから絶対探すなよ!!
線引大事やで。
生はやて丸ちゃん……ハァハァ……
先輩こいつっす
おう任せとけ
「はやて丸さんとかアカネちゃんとかも来るみたいだねー。会場ではわわ丸が見れるのか……」
はわわ!
他のVtuberさんにアドリブ回されてはわはわしてるはわわ丸見たい
おう早くはわはわするんだよ!!
アカネちゃんのゲーム対決楽しみだなぁ
何回チャンピオン取れるか楽しみ
コミュニケーション大丈夫か心配だ……
現地でアカネちゃん応援します!!
「アカネちゃんのゲーム対決楽しみだねぇ。はやて丸さんは意外とアドリブ出来るから舐めてはいけないぞー?……お?ごめん、ちょっと離席しますねー」
スマホのLINEに母親からメッセージが届いたので配信画面に「離席中」の文字を書き残して自室からリビングに向かった。買い物帰りだった母は買い物袋から買ってきた食材を冷蔵庫に閉まっている。私が来た事に気づいた母は「何かおやつ食べる?」と聞いた。私は「大丈夫だよ」と答えそれに母が頷くと、テーブルの上に置いてあった封筒を私に差し出した。受け取ったそれは、Vtuber祭に関するものだった。
内容はきっと申請に受かったかどうかだと思ったので私はその場で開けた。参加申請の許可が下りた事を示す紙が一枚と、会場に関する注意点や当日の大体の流れ、何日に段取りをするための通話が来るなどなどいろいろと細かい事が書かれている書類が何枚か入っていた。とりあえず参加出来ることを配信を見ている皆に伝えるべく部屋に戻ろうとし、食材を冷蔵庫に閉まり終わって夕飯の準備をしようとしていた母に受かった事を伝えた。
「……そう。良かったわね」
優しい声が返ってきたが、その顔はどこか複雑そうだった。
私はその意味を知りつつも、部屋に戻った。
「雹夜さん、おめでとうございます……!」
「ありがとうアカネちゃん」
配信で合格した事を話した後、アカネちゃんとはやて丸さんからメッセージが来た。二人共配信を見てくれていたみたいで、お祝いをしましょうと誘ってくれたのだ。優しくておじさん泣きそう。別の意味で泣きそうな子が一人居るんだけどね……。
「うぅ……」
「はーちゃん……ど、どんまいだよ……」
「まさかはやて丸さんが落ちるとは」
「かなしいッスぅぅぅぅぅぅl!!」
そう、残念ながらはやて丸さんだけが申請が通らなかった。本人は理由を口にはしなかったが、なんとなく理由はわかる。多分数ヶ月前のあの事件が問題だったのだろう。仕方ないこととはいえ、素直に自分のことを喜べない。こういう時、なぜ何時も俺なのだろうか。
「うぅぅぅぅ……仕方ないので現地でお二人を応援するッス!!」
「はーちゃんの分まで、頑張るね……!!」
「あーちゃん!!いっぱい応援するね!!」
「僕はほどほどに頑張ります」
「わたしの分までいっぱい頑張ってくださいッス!!」
「うぇーがんばるぅー」
そんなやり取りをしつつ、当日どこで会うか、時間が合えばどこかでご飯食べようとか、まだ少し先の話なのに二人の女の子がとても楽しそうに話していて、私はそれを聞きながら書類の確認をしていた。
「そういえば、せんぱいは一人でこっちに来るんでスか?」
「ん?うん、そうだね」
「大丈夫ッスか~?なんならわたしが迎えに行ってもいいッスよ!」
「はやて丸さんが迎えに?通報されない?大丈夫?」
「そ、そこまで小さくないッスよ!?失礼な!」
「ごめんごめん」
「で、でも、一人で遠出って、大変ですよね……?大丈夫ですか……?」
「んー、まぁどうにかなるでしょ。困ったら……アカネちゃんに来てもらおうかな」
「ふぇ……!?え、えと……がんばります……」
「なんでアカネちゃんは良くてわたしはダメなんでスか!!」
「はわわ丸は可愛いなぁ」
「もぅー!!」
ぷんすかぷんすか言ってるはやて丸さんを笑ってた時、スマホの通知が鳴り響いた。画面には父親の文字と「話があるからリビングに来てほしい」というメッセージが写っていた。
「……あー、ごめんね二人共。ちょっと用事出来たから落ちるね」
「え?あぁはい、お疲れさまでス……?」
「お疲れさまです……」
「またね、おやすみなさい」
通話を切って椅子から立ち上がりリビングに向かおうとし、机の上に置いていた封筒と書類を手に持って向かった。きっと、これの事だろうな。
リビングに行くと父親と母親が椅子に座ってて、兄の姿は無かった。きっと部屋に居るんだろう。両親に向かい合うように置かれている椅子に私は座り、持っていた封筒と書類を二人のテーブルの前に置いた。父は静かに書類を持ち上げると、眼鏡越しに見える鋭い瞳でゆっくり確認していた。母は父の顔を伺いつつ、私の顔を見ては何か言おうとし俯く。
そんなやり取りが、20分ほど続いた。私は何も言わず、ただ両親が喋り出すのを黙って待っていた。30分が経ち、父が口を開いた。
「行くのか」
「うん。行くよ」
「……」
それだけ言って、また静かになる。
耐えきれなくなったのか、母が喋りだした。
「あのね……これだけは勘違いしないでいてほしいの。私とお父さんは、貴方が何かに興味を持ったり、楽しんだりしてくれてる今が凄く嬉しいの」
「うん」
「Vtuber……だったかしら?それをやり始めた貴方がとても楽しそうだったから私達は何も言わなかったわ。今は貴方にも収入が出来たみたいだけど、それが無くても、貴方が楽しそうならそれで本当にいいの……でもね。でもそれは、私達が見守れる場所で、私達が安全だと思える場所でやってるからなの。今まで通りなら何も言わないわ。でも今回の事は……わかるでしょ?私達、心配なのよ」
「……うん」
「貴方が今まで一人で遠くに行った事無いから。それも全く知らない場所に一人で。誰か知り合いが居るならまだしも、そうじゃないでしょ?」
「龍がいるよ」
「龍さんって、昔オンラインゲームで知り合った方でしょ?長い付き合いなのもわかるけど、でも結局は他人じゃない。貴方の全てを知ってる人なの?実際に会ったことも無いんでしょ?」
「わかってる。でも龍は違うよ」
「お母さんにはわからないよ。お母さん、古い人間だから。ネットの事とかもよくわからないし、悪い人だけじゃないのもわかるのよ?わかるけど……お母さん、心配なのよ。せめて、せめてお母さんかお父さんだけでも一緒に行かせてほしいの!」
母の気持ちはわからない。でも母親としての気持ちは多少わかる気がする。母さんは私を守ろうとしてくれている。東京に行って何が起きるかわからない。その何かから母さんは守りたいんだろう。きっと私は、いや間違いなく、両親に恵まれているんだろうな。だから、私は答えた。
「一人で行くよ」
「どうして……?お母さん達邪魔はしないから!ただ少し離れた場所から見守らせてほしいの!東京に一人で行って貴方に何かあったら!」
「ありがとう母さん。でも一人で行くよ」
「お願いだから……」
「母さん、もうやめよう」
「お父さん……でも……!」
「この子がここまで言うんだ。もうよしなさい」
父がそう言うと、母は黙り込んだ。小さくすすり泣く母の姿がとても苦しかった。泣かせるべきじゃなかった。それでも、この意思だけは変えられなかった。
「必要なものは揃っているのかい?」
「多少はね。残りはネットで注文したり、明日あたりちょっと買い物行こうかなって」
「そうか。お金は大丈夫か?」
「うん。あ、ちゃんと今月の分置いていくから安心してね」
「それはどうでもいい。お金に困ったら言いなさい」
「うん」
「……当日は、空港まで俺が送ろう」
「え、仕事は?大丈夫?」
「問題ない。本当は休むつもりだったからな」
「そっか。じゃあお言葉に甘えて。ありがとう、父さん」
「ああ。……さぁ、もうお風呂に入りなさい」
「うん。……ごめんね、母さん。おやすみ」
「ああ、おやすみ」
会話を終え椅子から立ち上がった私はリビングを後にしてお風呂場に向かい、ゆっくり湯船に浸かった。大好きな木の匂いがする入浴剤を入れた湯船は心身ともに疲れを癒やした。心も身体も癒やされたが、頭の中は母の小さく泣いた声でいっぱいだった。今の俺は、親不孝者だ。
時が経つのは早いもので。気づけば東京に行くその日が来ていた。前の日に念入りに掃除した部屋を後にする。まぁ、母さんが後でまた掃除するだろう。大丈夫、見られて困るものは置いてない!……はず?あれ、大丈夫だよね?そういうのはちゃんとDドライブに……そんな事を考えながら荷物を持って玄関に向かった。玄関にはスーツを着た父が先に待っていた。父が右手を差し出し私の荷物を持とうとしたが「大丈夫だよ」と答え自分で持つ事を伝えた。父はいつも通り「そうか」とだけ答えた。玄関を出る時、母が「待って」と声をかけた。振り返ると、母が私を抱きしめた。何時ぶりだろうか、親に抱きつかれるのは。
「気をつけてね……!」
「うん。ありがとう。母さん達もね」
「……」
一向に離れようとしない母に、
それでも、この言葉を言うしか無かった。
「行ってきます」
その言葉を聞いた母は静かに私と父を見送った。
小さな頃を思い出す。
父の手を握り、両親と兄の後ろをひたすらくっついて歩いていた頃の事を。きっと、ずっと、こうやって引っ張ってくれるんだと、あの頃は思っていた。俺が一人躓いても、きっと家族が、手を引いてくれると思っていた。
長い長い高速道路の道を超えて、見えてきた大きな空港。ここに来るのも懐かしいなと感じつつ、駐車場に車を止めてくれた父に感謝し、燃料代も込みでお金を渡そうとした。
「それは持っておきなさい」
そう言った父は、逆に自分の財布からお金を取り出し渡してきた。
「これで、美味しいものを食べてきなさい」
こういう時の父は何を言っても譲らないから、私はありがたくそのお金を頂いた。
「皆にお土産買ってくるよ。美味しい物期待しててね」
そう言った私に対し、父は少しだけ微笑んだ気がした。
「ありがとね」再度そう言って車から降りようとした時、父が私の右手を掴んだ。小さかった頃、何度も何度も握った大きな手。暖かくて、大きくて、優しい父の手。この手がずっと私を引っ張ってくれた。これからもきっと、この手に助けられる日が来るだろう。
でも、今じゃないんだ。
いつかは自分の足で再び歩き出さないと行けない日が来る。
何時の日か、父も母も、兄も、いなくなる日がやってくる。
その日が来てからじゃ遅いんだ。少しずつ、自分の足で歩き出さないといけないんだ。この遠出は、そんな想いもあって一人で行くことを決めた。少しずつ、自分に向き合う為に。
「……行ってきます、父さん」
この遠出が例え失敗だったとしても、後悔の旅になったとしても、構わない。一人で行くことに意味があるんだ。そう信じるしか無いんだ。
さて、行くか。長く短い、一週間の旅を。
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