賢者のラブコメ

手島トシハル

1. はじめての朝




     ♡



 世の中には、大きく分けて2種類の人間がいる。


 つまりそれは、『新歓コンパでチャラい先輩に強引に迫られて困り顔の美少女に助け舟を出せる人間』と、そうでない人間だ。


 客観的評価に頼るまでもなく、俺は後者であろうと自覚していたのだが、あの時の俺は正直どうかしちゃっていた。たぶん酒のせいだ。アルコールは気を大きくさせる。


「ちょっとやめてくださいよー、カノジョ嫌がってるじゃないですかー」


 少し記憶があやふやなところはあるけど、多分そんなようなことを言ったんだと思う。件のチャラ男先輩がゴミを見るような目で俺のことを射すくめてきたのは鮮明に覚えているから、少なくとも穏当な割り込み方では無かったはずだ。


 初対面だった俺が言うのもなんだが、チャラ男先輩は全身の毛穴という毛穴から遊び人オーラを放出していた。まず身なりがチャラい。ぶっちゃけそれに尽きる。ファッションに関する語彙が皆無な自分がうらめしいが、とにかくチャラいのだ。揺すったらチャラチャラって音がしそう。服装に頓着する気持ちの無いオタク諸氏にならば、どうにか理解して頂けると信じている。


 ……話を戻そう。なにはともあれ、新入生Aとでも自称すべき出で立ちである俺は何を血迷ったのか、チャラ男から美少女を守るべく勇者的行動に踏み切ったのである。チャラいからといって悪い人であるとは限らないのだが、重ねて言うとあの時の俺はどうかしていた。気分はさながら腐敗した現政権の巨悪に挑むレジスタンスであったように覚えている。


 そこから先は輪をかけて記憶が曖昧だ。というか、気づいたらじぶん家のベッドで寝ていた。


 目覚めた当初は、向かっ腹をたてたチャラ男先輩にアキレス腱でもサクッと切られてオイオイ泣きながら地べたを這いつくばって帰ったのかと思ったが、予想に反して俺は五体満足であった。ただ、頭が割れるように痛む。殴られ吹っ飛びすっ転んで、脳震盪でも起こしたか。なんと間抜けな。


 脳をやられた副作用か、視界の端にはベッドに突っ伏し安らかに寝息をたてる女の子の幻覚が見える。そうそう、こういうのでいいんだよこういうので。チャラ男から美少女を救うという英雄の如き所業、相応の報酬があって然るべきだろう。我が幻覚ながら流石にわかっている。……そういえばこの子、なんだか見たことあるな。艷やかな黒髪が純白のシーツから我先にと滴り落ちる様はさながら風光明媚な渓流であり、そのご尊顔は最奥に秘されているが故に伺い知れないが、剥き出しの肩口と、モノクロのボーダーシャツには確かに見覚えがある。


 ていうかこれ、俺が助けた"美少女"だ。


 そうなると話は色々と違ってくるぞ。つまり、『自室に女の子がいる』という非現実的な現実を前に、これを幻覚であると断定した俺の曇りなき眼は実はポンコツなのではないか、という仮説が立つ。早い話、この"美少女"はもしかするとホンモノなのではないだろうか。


 この子には、この部屋を訪れるに足る理由……すなわち文脈が存在する。それは、『助けてくれてありがとうございます、今夜は同衾どうきんいたしましょう』という、素面の俺だったら一笑に付して地面に叩きつけるであろう可能性。いやそんな、この上なく短絡的で、いかにも使い旧されていて、なんと出来の悪いプロットであろうか。しかし、今この瞬間においても俺は素面ではなかった。視界がぐらぐらする。おまけに、ワンチャンワンナイト、ワンチャンワンナイト、ワンチャンワンナイト、と偏差値低そうな呪文が頭の中を駆け巡っていた。あれこれもしかして、殴られたんじゃなくて二日酔いなのでは……。


 なぜか枕元にあった、半分くらい飲みかけのスポドリを喉に流し込み、たっぷり数分かけて状況把握につとめる。段々と俺は冷静さを取り戻しつつあった。そもそも、なぜ俺がベッドでふんぞり返ってるのに、"美少女"は床に座ってベッドに突っ伏しているのか。仮にこれが朝チュンであったら、俺の人格が疑われる。じゃなんでこんなことに? 冷静にはなれたが、いまひとつ頭が回らない。


 とにかく、この子を起こそう。なぜって、俺が起きたからだ。無理矢理起こすのも良くない気はするが、俺みたいな、行き場のない性欲が偶然人のカタチをとっているだけの童貞まものが闊歩する空間でスヤスヤ寝てるのはもっと良くないだろう。


 これから俺が行うのは、言ってみれば最後通告だ。物語中盤で怪物に成り果てた仲間が僅かな自我を動員して喉から絞り出す『……コロ……シテ』と同質のものである。決して、初めての実戦を目前に臆した新兵が敵前逃亡を図っているわけではない。いやマジで。


 ……起きなかったら本当にどうしようかと思ったので、そこそこ強く肩を揺することにした。


 念の為、彼女の頭がガックンガックンと揺れるたびに、髪からやたらといい匂いが振り撒かれていたことをここに追記しておく。無論、後から思い出してニヤニヤする為である。


 俺はだいたい、この程度の男だ。



     ♡



「ごめんね。なんとか連れてこれたんだけど、私もケッコー眠くて……」


 残念ながら無事に意識を取り戻してしまった彼女は、初手から謝罪で攻めてきた。


「……へー、連れて……なんだって? ごめん、頭痛くて…………ぶっちゃけ全然わかんないわ。ほんとごめん」


 対する俺も謝罪である。我ながら情けないったらない。


「ありゃー……いや、あんだけ飲んでたらそうなるのか、な? お酒ってこわいんだねぇ」


 どうやら俺は酔いつぶれていたらしい。今の状況と噂に聞く二日酔いの症状が概ね合致していたので、最早そこに驚きはない。


「どこまで覚えてるかな? えーとね、『JOY』っていうオーランの新歓だったんだけど……」


 それは流石に覚えている。ちなみに、オーランとはオールラウンドサークルの略称であり、これはその名の通り色々なことをやるサークルのことである。色々とは、酒を飲んだり、酒を嗜んだり、酒に飲まれたりといった様々なイベントを指す。飲みサーとも言う。


 無論、入会する気などサラサラなかった。しかし、新年度初めのサークル新歓は、大抵の場合1年生ならば飲み食いがタダなのである。教材から家財まで入用なこの時期のメシ代を浮かせるために、入りもしないサークルの新歓を渡り歩く人間も多いらしい。俺もそのうちの1人、というわけだ。


「なんか、うぇーい!って感じの先輩に目つけられちゃって……すごい二次会に誘ってきて」


 それも俺は見てた。俺の童貞力によって研ぎ澄まされた聴覚は、ハッキリと『二次会ホテル』という単語を認識していた。ルビについては俺の想像でしかないが、まず間違いないと見ていいだろう。


「そしたら、キミが来てくれて」


 そしてカッコよく言い放ったわけだ。『手を離しな。ソレはオレのだ』と。いやごめん嘘ついた。流石にそれはないわ。恥ずか死ぬ。


「急に先輩からジョッキひったくって、すごい勢いで一気飲みして」


 そうそう、結局……うん?


「『全然足りねえぞなにが飲みサーだこんちくしょー! はよ酒もってこんかー!』って叫び始めて」


 なんか、俺の記憶とだいぶ食い違ってません……?


「その後はもう、お祭りだったね」


 それから、ドン引きする周囲を亜音速で置いてきぼりにしたまま威勢よく1人相撲を始めたはいいものの早々にグロッキーになった俺は、目の前の女の子――桃原杏子ももはらきょうこの手を借りて、早々に帰路へと着いたらしい。なんだそれ。


「他に逃げ方思いつかなくて……勝手にあがりこんじゃってごめんね?」


 どうやら桃原は桃原で、俺の看病を口実に飲み会を抜け出したようだ。そしてなんとかここまで辿り着き、意識を一旦手放してから今に至ると。


 しかし、よくもまぁウチまで辿り着けたものだ。泥酔してわけのわからないことを喚いていたであろう俺から住所を聞き出すのはさぞかし困難であったろうに。


「学生証見ちゃった」


 なるほど。しっかりしている。


「……同い年だよね? お酒、もうあんなふうに飲んじゃだめだよ?」


 本当にしっかりしている。それに比して俺はなぜこうもカッコつかないのだろうか。俺がとった(らしい)手段は、言ってみれば派手な自爆で全て有耶無耶にしようという知性のカケラもない、力 is パワーって感じの解決法だ。おまけに確実性もない。というか、多分あの時点で相当に酔っ払っていた俺が計算づくでコトを起こしたとは到底考えられない。ムカついたから酒を流し込もうと思ったとかそんなもんだろう。


 頭が回らないなら回らないなりに、せめてチャラ男先輩と河原で殴り合うくらいはすべきだった。腕力で敵わなくとも、青春ポイント的な何かで勝負を仕掛けるべきだった。俺は猛省した。


「以後気をつけます……」


「約束ね」


 促されるままに、小指を結んで腕をぶんぶんと振る。正直なところ、こういう大ぶりなアクションは二日酔いの頭に甚だ響いたが、


「宜しい」


 桃原の満足げな笑みは価千金といって差し支えないものであった。


 色々ありすぎて描写を疎かにしてしまっていたが、彼女はたいへんな美少女である。『黒髪 ロング 美少女 清楚』とか検索かけたら最上段に出てきそうな感じだ(後日実際に試してみたら、18禁動画がズラッとでてきた。俺は生まれて初めて検索エンジンにシンパシーを感じた)。なんかちょっとアホっぽいところもポイント高い。その上、いい匂いがする。たぶんマイナスイオンとかもでてる。


「もうこんな時間かぁ。結構寝ちゃったね」


 にへぇ、と笑いながら時計を確認する桃原。何が楽しいのか皆目見当つかないが、まあ楽しそうでなによりである。俺は自分の表情筋が気持ち悪い微笑みを形象かたどろうとするのを必死に押し留めて訊いた。


「桃原さん、授業ないの?」


「今日土曜日だよ?」


 桃原は可笑しげに、クスクスと笑った。


「ちょっと半端な時間だけど、なんか作ってあげよっか?」


 作るって、何を?


「ごはんだよ、ごはん。お腹へってない?」


 へってる。……いや、なにこれ?


 俺はとてつもない頭痛と共にやってきた、かつてない展開を前に平静を装うのがやっとだった。ちょっと整理しよう。現状把握は大事だ。


 酒飲んで暴れる→美少女の手作りご飯


 うん全然整理できてない。一体全体なにがどうなったらこの2つの間に因果関係が生じるんだろうか。


 無い頭を振り絞ってみたが、5秒と経たずに思考の海での行水は終わりを迎えた。俺の脳の容量はカラスもびっくりの小ささを誇っている。早々に分析を諦めて出した結論は以下の通りだ。


 大学ってスゲェな。


「そんじゃ、二日酔いっぽいしおかゆとかかな。えっと、お米は……」


「……あぁ、冷蔵庫に炊いたやつが少しあるはず……」


「おお。そしたら、なんかてきとーに調味料探しちゃうね」


 桃原は、我が家の冷蔵庫の扉に手を掛けながら言った。はて、何か有用なモノは眠っていただろうか。あるとして、いちごジャムだの黒ごまバターだの明らかに米には向かない調味料くらいのものだったような気がする。むしろ食品じゃないもののほうが多いかもしれない。目薬とか、電池とか、アイマスクとか、オナ……


「ちょっっっっっと待て!!」


 突然絶叫した俺に、桃原は何事かと振り向く。冷蔵庫の扉はまだ開いていない。危ないところだった。もう数秒でも気付くのが遅れていたら、俺は非業の死を遂げるところであった。なにもこれは大袈裟な話ではない。何を隠そう、


 俺は今、冷蔵庫でTEN○Aを冷やしている……!!


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