天ぷら弁当

メンタル弱男

天ぷら弁当

 持ち帰りの天ぷら弁当を片手に、待ちきれない舌と溢れ出るよだれを抑えながら、家へ急いだ。遠くはない、あと十分ほどだ。

 蓋の隙間から滲み出るように匂ってくる天つゆの香り。口に広がる幸せが頭に浮かぶ。何度食べても飽きないばかりか、よりその奥深さに魅力を感じていくのは何故だろう。とにかく、一刻も早く帰宅して、蓋に押さえつけられた天ぷら弁当を解放してやりたい。


          ○


 俺は驚愕した。


 家に帰り、手洗いうがいを済ませて、お茶をコップに注ぎ、お箸を準備した。あとは買ってきた天ぷら弁当以外は何も要らない。それだけ美味しいし満足できる量もある。机の上にドンと弁当を置き、餌を目の前にした犬のように、今か今かと待っている。自分で自分をしつけているのかもしれない。

 そして、俺はファンファーレを聞いた。心の中で鳴り響く音が、鼓動を研ぎ澄ませていく。そしていよいよ待ちに待った天ぷら達とのご対面。。。


 俺は驚愕した。


 蓋の下にいつも主役として真ん中に居座っている『エビ天』が入っていない!!!明らかにエビ天の為に空けられたスペースには、ぽかんと天つゆのかかったご飯があるだけだ。あれ?どういう事?落とした?と、頭の中では次々にクエスチョンマークが現れる。お前はええねん、エビ天を求めとんや俺は、、、


 一度落ち着こう。地元の言葉が出た時は深呼吸して落ち着いて、冷静に物事をとらえる必要がある。


 今日の朝チェックした星座占いでは『赤色のジャンパーに注意』とあったから、お気に入りのものではなく、黒いコートを着て行ったのに、、、。こんな風に少し雑な考察をしてみると少しクールダウンできた。


 どうして入っていないのだろう?ビニール袋に入っていたし、蓋は輪ゴムで固定されていたから、あの大きなエビ天が落ちるはずがない。しかもエビ天は通常二つ乗っかっているんだから、絶対にそんな事はありえない。


 俺はここに引っ越してきてから一年半、弁当屋に週三回は行く。そこで頼むのはいつも同じ『天ぷら弁当』だ。ここの天ぷら弁当は名前から想像される、所謂ザ・弁当という、ご飯とおかずが分かれているタイプではなく、完全に天丼の要領で作られている。どんぶりにご飯、そして大葉とナスとカボチャとエビの天ぷらが上に乗り、香ばしいつゆが満遍なくかかっている。


 その弁当屋にはいつも同じおばちゃんがいる。今日もそうだった。あのおばちゃんがエビ天を入れ忘れるだろうか?

 今まで二百回以上、天ぷら弁当を作ってもらっているが、一度もおかしい事なんてなかった。もう今では、アイコンタクトだけで天ぷら弁当を注文できるようになった僕とおばちゃんの関係性を考えると、間違える事はなさそうに思える。

 というより、あのおばちゃんっていつも受付をしながら調理もしているよなあ。そしていつ行ってもおばちゃん一人いるだけだ。あまり深く考えた事は無かったが、あのおばちゃんはひょっとすると、パートスタッフやアルバイトスタッフではなくてあの店の店長かもしれない。


 では何が原因なのだろう?そもそも、よりによってエビ天を忘れるだろうか?決して大葉やナス、カボチャが端役だと言っているわけでは無いが、恐らく彼らも必死にエビ天を引き立てようとしている筈だと思う。実際に俺が天丼を作る時の事を想像すると、真ん中のエビ天を入れ忘れるというのは、サッカーで例えるならボールを持ってくるのを忘れてしまう、模試で例えるなら筆記用具を忘れてしまう、バンドのライブで例えるならボーカルの人が寝坊して来ない、という絶望的な状況なのではないかと考えられる。そんな事をあのおばちゃんがやるだろうか?


 考えれば考えるほど、何も分からなくなる。俺は主役を欠いた天ぷら弁当をちょっとずつ食べ始めた。やはり味はとても美味しいが、心の底ではずっとモヤモヤとしながら、二つのエビ天を求めている。ゆっくりと音を立てる事なく箸を置き、無意識にふとため息をついてしまった。そっと目を閉じると、真っ暗な視界の中でふわふわと浮かんでいるエビ天を見つけた。そしてそのエビ天を弁当屋のおばちゃんが菜箸で挟み、ポイっと後ろに放り投げている。やっぱりおばちゃんのミスなのだろうか?俺はもうすでに考える力もなく単純作業のように、ただひたすら箸を動かしていた。


 どれだけ時間が経ったのだろう?とうとう全て食べ終えてしまった。視線の先では、ワイワイと楽しそうなロケ番組が流れていたが、俺の目にはそのさらに先を見つめるような虚さがあった。『たかがエビ天が入ってなかったくらいで』と言われるかもしれない。俺もここまで執着心があるものだとは思わなかった。

 

          ○


『ピンポーン』チャイムが鳴った。とぼとぼ玄関に向かいドアを開けた俺は目を疑った。

 そこには真っ赤なジャンパーを着た弁当屋のおばちゃんが、息を切らしながらエビ天二つを菜箸で挟んで立っている。

『ごめんね、入れ忘れてたでしょ。メインのエビ天、、、。』


 なんで俺の家を知ってるんやろ、、、



 

 






 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天ぷら弁当 メンタル弱男 @mizumarukun

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ