ひみつの休息
篠崎春菜
「あき」と「さき」
目に留まったのは「女性の添い寝フレンドを募集しています」の文字。
SNSの海の中、たったそれだけの情報が泳いでいた。他の投稿もなく、プロフィールもとても素っ気ない。
自分と同じ性別と「さき」と平仮名で書かれた名前、それから都道府県が載っているのみだった。
ただ、アイコン画像に設定されている紫苑の花が、どこか優しさを帯びていた。
こんなオープンな場所に、女性がこんな情報だけを書き込むなんて怪しい。
そう思うのが普通の反応だろうと頭ではわかっている。ネット上のこんな情報、正しいなんて、正直だなんて、思わない方がいい。
けれど、わたしはなんだか思ってしまったのだ。
この人なら、と。
*
『はじめまして。あきと申します。添い寝フレンドを探しているって本当ですか?』
ダメ元で送ったダイレクトメッセージには、思いの外早く返信がついた。
『初めまして、さきです。本当です』
端的なメッセージに、プロフィールの人柄がそのまま出ているような印象を受ける。
『わたしも同性の添い寝フレンドを探しているのですが、ネットって怖くて』
『そうですね。よかったら、このままダイレクトメッセージでやりとりをしてみませんか。先のことはお互い、信頼できると思ったらということで』
『それがいいです!』
『じゃあ、そうしましょう』
彼女の話し方は、距離感が心地良いと思った。事を急くわけでないというところも好印象で、安心感がある。
若々しい印象のある文章ではないから、歳上なのかもしれない。
『さきさんはおいくつですか? わたしは十六で、高二です』
『同学年ですね。四月生まれなので、私は今十七です』
『そうなんですね! すごく大人っぽいから、年上だと思ってました』
『せっかくだから、敬語やめましょうか』
同い年のさきとのやり取りは、そうして始まった。
彼女は敬語じゃなくなっても女子高生特有のはしゃいだ様子はあまりなく、大人びていて、図書館の似合いそうな女性のイメージが強まっていった。
話題は天気の話とか、その日見たものだとか、中身のない、どうでもいいことがメインで、テレビやネット、アイドルなど、学校で友達が楽しそうに話しているような話は少なかった。
さきは勉強と読書に時間を割いていて、登下校の道の紫陽花だとか、雨の日はなんだか眠くなるだとか、そういう自然なことを話す。
彼女と会話をする上で、話を合わせるためのネタ収集や、頑張ってついていかなきゃ! という努力は必要ないのだと、わたしはぼんやりと、心地よさを感じていた。
『最近暑くなってきたね。梅雨明けて助かるーって感じ』
『あきは暑いのは平気なの?』
『いや、普通に苦手。でも夏って洗濯物が乾くから』
『洗濯物、あきがするのね』
『うん。お母さんと姉ちゃんは仕事だし、妹いるし、家事は基本わたしなの』
『姉妹多いのいいね』
『女ばっかだから、洗濯物多くて大変だよ』
さきと知り合って一週間。わたし達はお互いに、少しずつ、自分の事も話すようになっていた。
さきの家は一人っ子。共働きのご両親との三人暮らし。二人とも忙しいらしく、いつも帰りが遅いと言っていた。家と学校は近い。歩いて十分くらいらしい。途中の家に、立派な紫陽花が咲く家がある。
うちは母子家庭で社会人の姉と、小学生の妹がいる。比較的賑やかな家庭だ。母は看護師で、姉は百貨店で働いている。妹は三年生だけど、結構長い事鍵っこなので結構しっかりしている方だ。
初めて家の話をしたとき、さきは『なんだか正反対で、おもしろいね』と言った。
*
すっかり暑く、半そでの制服で涼しさをまったく感じなくなった。
期末テストが終わり、夏休みはもうすぐそこまで来ている。
さきとのやり取りは相変わらず続いていて、梅雨が明けてから、紫陽花がきれいな家の庭には、向日葵が咲き始めたそうだ。
きっと上品でまめな、お花が好きな奥様がお手入れをしているのだろうな、なんて考えながら、下校道を自転車で駆ける。
高校生がテストが終わって気が抜けるこの時期は、小学校も休み前で短縮授業になる。
妹はしっかりしているし、鍵っこ期間も長いのでそれほど心配しなくても良いと思うけど、家にいる時間がいつもより長いとなると、やっぱりちょっと気になるものだ。
信号のそばの日陰で汗をぬぐい、スカートをパタパタとあおぐ。
中に体操服の半ズボンを履いているとはいえ、良くないことはわかっている。でも、とにかくもう、暑いのだ。
なんで制服のスカートってこんなに厚手なんだろう、と中学生の頃からずっと思っている。
ピロン、とスマホの通知音が鳴る。
「さき」と表示された通知を見て、画面のロックを解除すると、学校を出る前に送った『もうすぐ夏休みだね』というメッセージへの返信が来ていた。
『夏休み、よかったら会ってみない?』
ドクン、と心臓が鳴る。
ミンミンゼミの鳴き声が、いつもより大きく聞こえる。
期待なのか、不安なのか、ドキドキする心臓に手を当てて、深呼吸をする。
やり取りを始めて約一ヶ月。もっと早く、その提案が出たっておかしくなかった。
今時マッチングアプリだって、もっと早く対面するだろう。
〝信頼できると思ったら〟。
きっとさきは、信頼してくれたということなのだ。
わたしだって、そう。信頼できると思ったら、のタイミングは、とっくに訪れていた。
(大丈夫かな……)
実際に会って、イメージと違うと思われたり、しないだろうか。
何か失敗して、メッセージのやり取りすらなくなってしまったりしないだろうか。
信号が青になったのを確認し、スマホをポケットに入れる。
周りを確認してから勢いよく自転車を走らせると、すぐに暑い陽が照り付けた。
最初から、わたし達は添い寝フレンドを探して、巡り合ったはずだ。
こうやって提案してくれている以上、さきは早く直接会って、添い寝フレンドとしての一歩を踏み出したいに決まっている。
家の前に自転車を置き、またスマホを手にした。
わたしが送った『もうすぐ夏休みだね』のメッセージの横には既読マークがついている。
さきの方にもそうしてマークがついているに違いない。
思えば、彼女から返事を急かされたことはなかった。未読だろうが、既読だろうが、単に気にしない人なのか、待つのが得意な人なのかはわからないけれど、さきはいつでも無理のないペースで居させてくれる人だ。
そのさきからの、明確に求められた意思表示だ。
よし、とスマホの画面をフリックする。
『会ってみる』
思い切って送信すると、わりとすぐに既読になった。
『了解』
そんなそっけない返事も、最初から変わらない。
さきはきっとイメージ通りの人なんだろうなあ、と思いながら、少しだけ笑った。
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