第3話 最低の店



 頭がガンガンとなっている。銅鑼ドラを耳元で連打されているみたいに辛い。


「くそ」


 頭をかきながら体を起こすと、そこは自分の寝室だった。カーテンの合間からは明るい光が漏れているところからするともう日中なのだろう。


 枕元に置いてある眼鏡を見つけ、それをかけてからふすまを開けると、あおはいなかった。

 居間にぶら下がっている振り子時計は二時を指していた。


「午後の二時だろう?」


 座布団の上に腰を下ろし、外を眺めると冬晴のいいお天気だった。円卓のちゃぶ台の上に置いてあるメモは蒼の字だ。

 昼食を用意していってくれたらしい。


「なんだか心配ばっかりかけるんだな……」


 自分が情けなく感じられた。


『その曲はやめろ!』


『もっと静かな曲にしろ~』


『楽しくないぞ!』


 昨晩の野次が頭から離れない。


 結局、昨晩は桜に促されるまま店でヴァイオリンを弾いた。曲はなんでもいいと言われたので、自分のレパートリーを披露したのだが。ともかくおやじたちの野次がひどい。特に、カウンターにいる野木という男は性格がひん曲がっているのではないかと言いたくなるほど、人の揚げ足ばかり取ってくる。


「くそ。なんなんだよ。あの店」


 もう金輪際行きたくはないが柴田の手前、そうもいかない。


 スマホを持ち上げて、さっそく柴田へ連絡を取る。


『どうだった?』


「どうって、先生! 一体、あそこはなんなんですか」


『桜はね。とっても腕がいいから。きっと学べることがたくさんあると思うんだよね。まあ、とりあえず来るなって言われなかったんでしょ? 桜に気に入ってもらったならよかった。頑張るんだよ。関口』


 柴田はそう言うと電話を切った。やはり間違いないということだ。柴田が自分では力不足だからと紹介してくれた人が彼女なのだ。


「どういうことなんだよ……気に入っただって? あれで?」


 意味がわからないのに、とにかくやるしかないというのだろうか。関口は頭をもしゃもしゃとかきむしってから大きくため息を吐く。


 それから風呂に向かった。


「こんなことしている場合じゃないんだよ……」


 本選まで期日は一か月に迫っていた。



***



「最近、関口坊ちゃまを見かけないんじゃないのか?」


 夕方、事務所で一同が介して仕事をしていると、ふと尾形が言い始める。他の職員たちもパソコンから手を離し、彼の話題に乗っかる態度だ。ただ仕事をしたくないだけなのだろう。尾形の話題提供にこれ見よがしにさぼる気なのだ。


「そうだな。——なあ、蒼。大丈夫なのか? 関口は」


 ——おれに聞く? 


 星野の意地の悪い言い方に、蒼は苦笑いを見せた。


「さあ? コンクールの準備で忙しいみたいですよ」


「それはそうだよな。もう一か月だもんね」


 吉田はカレンダーを見ながらうんうんとうなずいた。コンクール本選は正月明け、一月の十一日。もう一か月だ。


 ここのところ、関口は午前様ばかり。毎日のようにお酒とたばこ、そして女性の匂いを漂わせている。生活スタイルが全く真逆になってしまったのだ。なかなか話をする機会もない。それに、関口から何をしているのか話すこともないのだ。


 ——なんだか詮索するみたいで聞きにくいんだもん……。それに、本当にあれで練習になっているのかな? 大丈夫なのかな……。


 蒼は悶々とする気持ちを持て余していた。夜、遅くなることも知っているくせに、いつ帰ってくるのかと思うと、ゆっくり眠れないのだ。


 雪も降り始める時期だ。寒暖の差が大きく体調がいまいちだった。






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