第2話 芸術家の風貌


コンクール、申込者がなかなか多いらしい。録音審査の期日までまだあるのに、予想を上回っているらしいぞ」


「え~。こんな田舎のコンクールなのにですか?」


 昼休み。星野の話に吉田はカップラーメンを食べながら驚きの声を上げた。例のコンクールとは、梅沢市が誇る昭和の作曲家 星野一郎の生誕百周年記念で開催される予定の音楽コンクールだ。


「さてね。音楽家っていうのは日の目を見るのも大変だからな。こういう地方の小さいコンクールでも優勝して拍をつけたい奴はざらにいるんだろうよ」


 あおはお弁当を眺めてじっとしていた。


 ——やはり関口は出る気もないのだろうか。


川越かわごえ先生が審査員で来るのもあるんじゃないですか? この人、イケメンですよね~」


 吉田はリーフレットを眺めて苦笑した。そして、隣の尾形を見てため息を吐いた。


「お、おい! 今ため息吐いただろう? おれの顔と川越の顔見比べただろう?」


「見てないですよ」


「嘘だ!」


「見てないです。やだな。自意識過剰もいい加減にしてくださいよ」


「吉田!」


 賑やかになってきた事務室だが、水野谷たちおじさん三人組はテレビの前に移動する時間だ。朝ドラの再放送を見るのが日課だからだ。


 そんな騒ぎをよそに、蒼はデスクに置かれているそのコンクールのチラシに視線を落とした。さきほど、吉田たちが名前を上げていた男は審査員らしい。肩書はピアニストとなっている。少し不健康そうな、それでいて神経質そうな陰湿な雰囲気を醸し出している細面の男だ。髪には白髪が混じており老けて見えるが、そう年寄りでもなさそうだ。


 蒼の芸術家のイメージはどちらかと言えば川越だ。繊細で影があるような男。それに比べて……。


 ふと関口のことを思い出すと笑ってしまった。彼はどこにでもそうな若い男だ。長身でスマート。楕円形の眼鏡をかけているおかげで顔の印象がおぼろげだが、たまに視線が合うと、聡明な瞳の色をしていた。


 一人でにやにやとしていると、星野と視線が合う。はったとしたが遅かった。


「あ~、あ~。蒼が思い出し笑いしてる~。いやらし~」


「ち、違いますよ」


「じゃあ、なんで笑ってんだよ?」


「だから——!」


 星音堂せいおんどうの昼休みは賑やかだ。午前中は不在の遅番組も合流して大騒ぎ。市役所の本庁でこんなことをしていたら怒られるのだろうなと心のどこかで思ってはみても、蒼はこの雰囲気が大好きだった。



***



 その日の夕方。夜間帯利用者が来る前のラウンドのために廊下に出た。すると関口を見つけた。彼は掲示板の前に立ち尽くしてポスターを眺めていた。


 ——本当は出たいんじゃない?


「ねえ」


 蒼は隣に立って一緒にポスターを眺める。


「遅番か」


「うん。——ってかね」


「うん」


「これ、出たいんじゃないの」


 蒼の質問に関口は答える。


「——別に」


「じゃあ、なんで見ているの?」


「暇だから」


 ——嘘ばっかり。気になって仕方がないくせに。


「今日は台風が来ているそうだ。もうすでに風が強くなっているぞ。自転車だろう? 帰り送ろうか」


「え?」


 確かに。頑丈な星音堂の中にいると気が付きにくいが、中庭に視線を向けると、窓に雨が少し打ち付けている様子が見られた。


「台風でも練習するの?」


「来週定期演奏会だし、休んでいる場合じゃないだろう。まあ、来ないやつは来なければいい」


「また、そんな冷たいこと言って」


 蒼は苦笑した。


「そっか。じゃあ送ってもらおうかな」


「じゃあ、あとで」


 今日は火曜日。彼が星音堂に姿を現すことも物珍しくなくなってきた。


 週末は東京に帰っているようだが、基本的にはこちらで過ごしている様子が見て取れた。


 立ち去っていく関口の背中を見送ってから、コンクールの隣に貼られている梅沢市民オーケストラの定期演奏会ポスターに視線を遣る。


 演奏曲目は『メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調 Op.64』と大きく書かれている。他にも曲名が書かれているが……正直、どの曲も蒼にはよくわからないことだった。


「ヴァイオリン協奏曲って……」


 ——協奏曲って、楽器と楽器が一緒に演奏するんだっけ? あれ? それじゃあオーケストラと同じ? いやいや。確か。一人の人とみんなで演奏するっていうやつ?


「じゃあ」


 もしかして、ヴァイオリンとオーケストラの競演ってことは、ヴァイオリンは……。


「関口が弾くの?」


 なんだか胸がどきどきした。彼の演奏をまともに聴いたことがない蒼にとったら、もしかして初めての経験になるかも知れないからだ。すっかり気がついていなかったが、彼の演奏を聴くチャンスがあるかもしれない。そんな可能性が出てくると動悸が激しくなった。


 ——早くラウンドしてから予定見てみなくちゃ。


 ラウンドの続きをするために中庭を臨む廊下に立つ。


「あー。本当に台風か」


 なんだか胸がざわざわとするのは気のせいではない。無事に通り過ぎてくれるといいのだけれど。もともと、台風がこの地域を襲うなんてことはそうない話だったのに。昨今の気象状況は変化しているということだ。


 昨年も台風でひどい被害が出たばかり。室内の灯りで自分の顔が映っている窓を見つめながら首を振ってラウンドに戻った。







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