第10話 華麗なる裁き手



「なにを言う。大体な。おれが開きっぱなしだったら、お前は読み取り専用でしか開けないってことだろう? そうなったら、『誰かが使っている』って思うだろう。普通」


「そ、それは」


「無理矢理開いてみて『ああ、空いていますね』なんて客に良い顔するお前が悪い」


「おれが悪いって言うんですか? ひどいな~。言わせてもらいますけどね。いつもいつも、開きっぱなしじゃないですか。だからおれは『またいつものことだな』って思うわけですよ。だから――」


 二人が口論になりそうなのを聞いて、星野が間に入る。


「ちょ、ちょっ、待った、待った。お二人さん。今はそんなことを言い争ってる場合じゃねーだろ? 氏家さんも落ち着いて。なにも犯人捜ししたって仕方ないって」


 星野にたしなめられた二人は押し黙った。氏家もなんだかおろおろとしているし、これからどうなるのだろうか。いつもは和やかな雰囲気の職場が、一気にピリピリとしている様に心がどきどきとした。

 みんなが気まずい雰囲気のまま沈黙が訪れた時、事務室の扉が開いて水野谷が顔を出した。


「おいおい、なんだよ。辛気臭い顔しちゃって。なに? どうした?」


 あおは水野谷の登場にますますドキドキとした。


 ——怒られるのではないか?


 しかし氏家は課長補佐らしく、現状をすぐさま報告をした。


「大ホールの予約がダブルブッキングしていました。立て続けに予約に来た模様で、保存する間もなくの対応であったため、先に入っていたものが反映されておりませんでした。課長。申し訳ありませんでした」


 自分よりも年下の上司に頭を下げるって、どういう気持ちなのだろうか。蒼はそんなことを考えながら黙って様子を見守っていた。


 水野谷は怒るのだろうか?


 しかし彼は「え~」っと空返事をしてから、星野に声をかけた。


「星野、ダブルブッキングした団体はどこ?」


「市民合唱団と梅沢うめざわ高校音楽部です」


「そう」


 彼は飄々と返答すると、自分の椅子に座ってから電話をかけ始める。 そこにいた誰しもが固唾をのんで彼のことを見守っていた。問題を起こしてしまった高田と尾形は立ったままじっとしていた。


「あ、もしもし。いや~、どうも、どうも。梅沢市役所星音堂せいおんどうの水野谷ですよ。あはは、そうそう。いつも大変お世話になっております。ええ、ええ。いや、そんなの、いいんですよ」


 彼は世間話でもするように話をしていく。蒼が吉田を見ると彼は口元を緩めて水野谷を見ていた。


 ——これは大丈夫ってことか?


「それでね、団長さん。ちょっと相談があって……。実はね。市民合唱団さんの定演の日、少々ずらせます? え? ねえ。いや、冗談ではないんですよ。実はね、梅沢高の合唱部の子たちが、どうしてもその日に演奏会したいみたいで。ねえ——学生さんって、いろいろ大変でしょう?」


 それからふむふむとなにかを話した彼は、受話器を置いた。それからみんなを見渡す。


「そんな怖い顔しないで。大丈夫。市民合唱団の浅川あさかわさんに確認したところ、まだチラシ刷っていないんだって。高校生たちの予定を捻じ曲げさせるなんて、とてもできないって言ってくれたよ。ただし翌週に変更してもらったお礼として、前日の大ホール半日貸し切りを無料で提供する算段にした。予定入れておくように」


「わかりました」


 氏家はうなずく。それから申し訳なさそうに水野谷を見た。彼は何事もなかったかのようににこっと笑顔を見せる。


「まあ、エクセル管理も限界だな。星野、改善策考えといて」


「承知しました」


「ほらほら。定時じゃない。僕は帰りますよ。遅番以外の人は帰ること。お先に失礼しますね」


 側の鞄を抱え上げて、水野谷は事務所を出ていった。

 それを見送って蒼は感嘆のため息を吐いた。事務職員が一丸となっても解決できない問題を水野谷はいとも簡単に解決した。しかも、誰も嫌な気持ちにならない。

 市民合唱団は若人わこうどのために譲ってあげたという気持ちと、無料で半日大ホールを利用できるという特典付き。もちろん梅沢高校生たちには、この件は伝えるわけもない。

 事務所にいる職員たちも叱られることもない。データの管理の問題なのだから。管理体制の改善を星野に言いつけて終了。


「華麗なる裁き手……」


 蒼が呟くと吉田は、にこにことしていた。


「うちの課長。ああ見えて学習院出のお坊ちゃんでしょう? 人がいいって言うんだか。流刑地の責任者の割に優秀だからね」


 誰も咎められない。責められない。さっきまでのぎすぎすした雰囲気はどこへやら。いがみ合っていた二人は気まずい顔をしていた。


「すまん。尾形。おれが悪かった。すぐに保存処理しなくて……」


「いいえ。高田さん。おれも悪いんです。開いた時に保護ビューだったのに、むりくり予定入れちゃって。高校生相手だったし、いいカッコしたかったんです。きっと、おれ」


 それを見て、氏家も申し訳なさそうな顔だ。


「いやいや。おれもすまないな。お前たちのことを責めたって仕方がないことだ。改善策をちゃっちゃと考えて対処しなくちゃいけなかったのに。役に立たない課長補佐だよ。本当によう」


 それぞれが反省会みたいになっているのを見て、星野は「やめましょうよ」と中断させた。


「ともかく。ちょっと考えましょうよ。現実問題、エクセル管理以上のものは見当たらない。今回みたいなことが起きないように、対策を徹底するってーのが一番やることでしょう?」


「だな」


「課長は帰れって言うけど、おれ残れます」


 高田は氏家を見る。彼も頷いた。


「おれも時間は大丈夫だ。みんなで考えようか。吉田と蒼は?」


「大丈夫です」


 吉田の返答に乗っかって、蒼も頷く。


「じゃあ、作戦会議、始めましょうか」


 星野はホワイトボードを引っ張って来る。それぞれは自分の椅子を持参して、それを取り囲むように座った。星音堂事務作戦会議の開催であった——。

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