第2話 星の音楽ホール




 星音堂せいおんどう——。


 中核市へ移行を予定している人口29万人の地方都市である梅沢市うめざわし。星音堂はそこにある音楽ホールだ。昨今、行政が直で運営している文化施設は限りなく少なくなってきているが、星音堂は市役所の管轄に置かれていた。


 昭和六十二年に建てられ、県内で唯一パイプオルガンを有する音楽ホールとして話題を集める。


 特に自慢なのは、千人を収容できる大ホール。壁面は九谷焼の陶器で覆われ、床材は桜。日本で五本の指に入る残響時間を誇る。

 残響時間とは、音の響きが持続する時間のことだ。この時間が長いほど、響きが豊かになる。いわゆる浴室で歌うとうまく聞こえる効果を想像してもらえればよい。カラオケでも調子が悪い時は、エコーを強めに掛けるとうまく聞こえる。ピアノを弾く際、ペダルで音を伸ばせば綻びをごまかせる——そういうことだ。


 星音堂はその残響時間のおかげで、利用する側の好き嫌いがはっきりとしているホールでもある。演奏に適しているのは、独唱、独奏、室内楽、管弦楽などだ。一方、適さないのは、吹奏楽や大がかりな歌劇、ポップスなどのライブなどだ。


 星音堂は大ホール、二百人が収容可能な小ホール、大小六つの練習室。他に資料室等が併設されていた。職員たちはこれらの施設の運営、施設管理、催しの企画開催を担当する。


 正直に言うとあおは戸惑っていた。行政職として就職したのに、音楽ホールの管理を行うなんて——想像できなかったからだ。


「星音堂はねえ、本庁とは離れていてのんびりしていいところだよ」


 水野谷の運転する白い軽自動車の助手席に座っていると、彼は終始、話をしていた。蒼の緊張を和らげてくれようとしているのだろうか。そんなにおしゃべりなたちではないので、そう気を使われても困るのだが……。


 どうやら水野谷という男は、人が好さそうだということは間違いがなさそうだった。


「まあ施設の概要は、ゆっくり学べばいいよ。蒼は音楽に携わったことがあるの?」


「いいえ。すみません。音楽なんて……なにも知りません」


「そうなの? てっきり音楽の経験者なのかと思った。こんななところに新人で配属されるんだもの」


「そうなんですか?」


 それはこちらが聞きたいくらいだ。しかも『辺鄙』という言葉が気になった。『もしかして』どころか、やはり自分は変なところに配属されたのではないだろうか……。

 正直に言うと、市役所の仕組みなんてよくわかっていない。新人がどこに配置されるのが普通なのかとか、変なのかとか、そういう細かいことがわからなかったのだ。


 蒼は市内で生まれて市内で育った。星音堂を見たことがないかと問われると、「ノー」になるのだろうが、何分音楽とは縁遠い生活を送っていたおかげで、姿形はうろ覚えでしかない。確か中学校の校内合唱コンクールの会場として何度か訪れたかも知れないが、当時の記憶は薄れていて、あまり現実味がないものだった。


 星音堂に配属が決まってから、パンフレットやインターネットで写真を眺めてはいたものの、平面の情報は現実味がなく、どこか他人ごとのような気がしていた。


 そんな場所に今日これから、自分は足を踏み入れるのだ。そして、それは明日から毎日のように続く——。やはり実感がわかなかった。


 ところが本庁から車で五分程度。住宅街を抜けて、ぱっと開けたところにあるその施設を目視した瞬間。蒼は言い知れぬ、言葉にはできない気持ちになった。


 若葉繁る木々に囲まれて、そこに座する星音堂は、灰色のコンクリート造りだった。大胆にカットされている頭の部分は直線と曲線が交錯し、モダンな雰囲気を醸し出している。


 民家が立ち並ぶ中に、突如現れたそれは違和感を覚えさせてもいいくらいなのに、まったくそう感じられない。景観と完全に同化していた。そう。それはそこにという風格。

 写真で眺めていた時の感覚とは違ったその存在に、心がざわっと震えた。


 「わあ」という感嘆交じりの声を上げると、水野谷は「いいでしょう?」と得意げに笑った。


「今日から君の職場だ。どうか好きになって欲しいな」


「は、はい!」


 白い車は木々の合間を抜けて、職員駐車場と書かれた場所に入っていった。











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