幕間 ~名前のない怪物~
黒き竜のダンジョン最深部。
地下百十一階層――深い闇の世界。
延々と広がる奈落には、階層の入口から中心に向かう形で切り立った崖が続いている。
気絶した幼女を脇に抱えた怪物は、断崖の上り斜面をスレスレに飛行しながら、その先にある神殿へ向かっていた。
誕生し、自らが何者かもわからず悠久の時間を過ごした場所。そここそが彼の棲み処であり、本来の
「ここに戻るのも、あの日以来カ」
頂上に到着すると、怪物は石造りの建物の中へと進んだ。そのまま奥にある祭壇に攫ってきた幼女を寝かせ、改めて彼女の頭の上にあるものを確認する。
そこに浮かんでいるのは、〝
何度見てもやはり間違いない。この子供は、あの黒い翼の天使と同等か、もしくはそれに近しい存在である。
神殿を出て行く切っかけとなった
『貴方、名前は?』
『………………』
それは八年前のこと。
ある日突然やってきた黒い翼の天使の問いに、怪物は沈黙した。
ただ、この場所で生まれ、この場所にいる。
果たして自分は何者なのか。
怪物に、名前はなかった。
『可哀想』
哀れんだ黒い翼を持つ天使は、自らの正体と、世界の真相を怪物に告げた。
『いつか貴方も、何者かになれるといいね――』
その言葉を最後に、神とも呼べる存在は彼の前から姿を消した。以来、怪物は自らが何者なのかを考えるようになった。
自分は
否、それはただの役割に過ぎない。ならばここに居続ける限り、自分は何者にもなれないのだろう。
『せめて、名が欲しイ……』
やがて怪物は、自らの意思で旅立つことを決めた。途中、襲ってきた冒険者を捕食し、その身体と知識を手に入れた。
初めて見た外の世界は広く、空では百萬の星々が瞬いていた。すぐに冒険者の身体を捨て、怪物は城を目指して飛んだ。
上空から中庭に下り立つと、年老いた人間がいた。
冒険者と同じく捕食した。
老人は、国の重要な仕事を担う人物だった。怪物はその老人に成り代わることを決めると、王国を裏で操るため、王とその弟に呪いをかけた。企みは成功し、怪物は自分の心が少しだけ満たされるのを感じた。
それでもまだ足りない。もっともっと、自分の空白を埋めるものを欲した。
気づけば、あの天使との邂逅から八年の月日が流れていた。
今の傀儡は呪いをかけるまでもなく、自分を信じ切っている。このままいけば、やがて自分は人類の誰もが知る存在となるだろう。何もかもが思い通りにいっていた。
そんなある日のこと。ダンジョン攻略者が現れた。
神の技術が手に入ることは歓迎できる。だが、若く才能ある冒険者は今後、計画の弊害になる恐れがあった。
機会を窺って殺す。絶対に殺す。
そう決めた。
しかし、策略は防がれた。
呪いのダイヤモンドを素体としたゴーレム。あれを倒せる人間がいるなど信じられなかった。
――
あまりにも危険な存在だ。早急に、排除しなければ。
だが、立て続けに問題が発生した。失踪した王女の娘の存在が明らかになったのだ。
最初はあの女王の世迷い事だと思っていた。しかし、神の技術がそれを否定した。
新たな王族の血。それはダンジョン攻略者よりも緊急性が高い事案だった。
どうやって抹殺するか。
王子のように呪い殺すか。
それとも事故に見せかけるか。
授章式の前日、方法を模索するため、こっそりと様子を見にいった。観光から帰ってきた三姉妹が廊下を歩いている。
その様子を遠目から注視する。
そこで気づいた。幼女の頭の上に浮かぶ、
もはや王家の血筋などなんの意味も持たなかった。
まだ幼いとはいえ、絶対的な天使の力を宿している。
その事実だけが重要だった。
「ククッ、あとはこの力を我が物とするだけダ……」
名前のない怪物は祭壇に横たわる幼女の額に触れると、傀儡とするべく呪詛を唱えはじめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます