幕間 ~憂国の女王~

 八年前、現女王ミリーナの姉に当たるエリザ王女が忽然と姿を消した。以来、ミレニアム王家には不幸が相次ぐ。

 王女失踪の翌年には、先々代の王であったファルド国王が急病により崩御。その永逝はあまりに突然のことであり、人々は驚きと共に王の死を悼んだ。

 国葬が行なわれた後、王位継承順位一位にあったヴァンス公(現女王ミリーナの叔父に当たる)が即位するも、重圧からか新国王は次第に心を病み、先代国王のあとを追うように城内で自殺。王位に就いてまだ三年の月日しか流れていない冬のことだった。自らの喉元をナイフで削ぎ落とすように抉ったその身体は血に染まり、死に顔は生前の面影がないほどに苦痛で歪んでいたという。

 既に冷たくなっていたヴァンス国王を最初に発見したのは城の女中たちだった。自尽という王の最後に相応しくないその死に、当初はしばらく緘口令が敷かれていたが、最終的には事故死として表向きの発表がなされ逝去の報が流れることとなる。

 四年前、そんな経緯の最中、崩御したファルド国王の次女であるミリーナは二十三歳という若さでミレニアムの女王となった。

 しかし、王家の不幸は止まることなく続き、彼女が即位した翌年には夫であるアルドエラ侯爵が馬車同士の事故で轢死すると、その間に産まれた世子であるミハエル王子すらも病に臥してしまう。王都のあらゆる医療機関がその回復に尽力するも効果はなく、王子はこの数年城の一室に隔離され、現在も寝たきりの闘病生活を送っている。


「おかあさま、だいじょうぶだよ……」

「ああ、ミハエル……」

「……も、もうすぐ……てんしさまが、やってくるんだ……。ぼくたちを……た、たすけてくれるよ……」


 最近、女王が見舞いにくると、王子は譫言を繰り返すようになった。そんな日に日に弱っていく我が子を前に、ミリーナ女王にできることは奇跡が起きることを祈るのみだった。

 王宮の医師団は既に尽くせる手のすべてを尽くし、今は根治ではなく延命の処置を続けている。すでに王子の余命がほとんど残されていないことは明白だった。


「申しわけありません、女王陛下。本日の面会のお時間はここまでとさせてください」

「……わかりました。この子をどうかよろしくお願いします」

「はっ。変わらずに全力を尽くして参ります」

「ミハエル、また明日きますからね……」


 主治医に進言を受けた女王は、そっと王子の頬の感触を確かめたあとで隔離部屋を出た。そのまま赤い絨毯が敷かれた廊下を進み、中庭へ向かう。

 まだ手にははっきりと、幼い我が子の温もりが残っていた。


「風に当たりたいわ。少しだけ一人にさせて」


 付き添いの女中たちを廊下の岐路で待たせ、自分は花々が咲き誇る庭園を進んだ。中庭の中心にある噴水に辿り着くと、その縁に静かに腰を下ろし、女王は両手で顔を覆った。


「ミハエル……。お父様、叔父様、貴方……どうかあの子を連れていかないで……」


 幼い我が子が苦しむ姿を見るのは筆舌に尽くし難く、この数年間、女王は悲しみに暮れていた。

 もうじきミハエルはこの世を去るだろう。そう遠くない未来を思うと、女王は心が張り裂けそうだった。

 母と父を失い、叔父を失い、夫を失い、今度は我が子までも……。

 女王の前途に広がるの暗がりだった。

 そこに救済はない。

 それどころかこの先、我が子を亡くした苦しみの中でさえも、彼女は国のため、女王としての立場を貫いていかなければならなかった。

 王子が天に召されれば、他国に攻撃的な姿勢を崩さない鷹派の貴族や地方の権力者たちは黙っていない。間違いなく今後の王位継承問題を取り沙汰し、自分たちが操り易い傀儡として、遠い王族の血筋を後継者に推してくるはずだ。

 もし、そんな大義を持たない操り人形が王位に就けば、再び世界は五百年前の悲惨な様相に転化することだろう。世界に平和を齎したハインケル王の末裔として、それだけはなんとしても避けねばならなかった。


「………………」


 しかし、心を強く保とうとする一方で、ふっと思うことがある。

 こんなとき、あの人さえ居てくれればと。


「エリザ姉さん……」


 八年前に失踪した血を分けた姉。

 誰に対しても心を開き、常に天真爛漫だった彼女。

 生きていれば間違いなく自分に代わって女王になっていた。長女と次女という継承順位の差は当然のことながら、現女王のミリーナから見てもエリザは人の上に立つ者としての素質があった。

 いや、そもそも姉が失踪していなければ、父も叔父も逝去することはなかったに違いない。姉が持つ生来の明るさと温かさが呪いに似た不幸をも祓ったはずである。

 明確な根拠などないが、ミリーナがそう確信できるほどに、エリザという姉は一種神格的な一面を具えていた。


「もし、姉さんが帰ってきてくれれば」


 ――否、それ以上は考えまい。

 今は自分がこの国の女王なのだ。たらればの妄想に耽っている暇などない。今後の覇権争いを考えれば尚更のこと、真剣に執務に取り組まねば……。

 君主としての責務を果たすべく、女王は噴水の縁から腰を上げた。不意に遠くから子供の声が聞こえてきたのは、そのときだった。


「わぁー!」


 頭に赤いリボンをつけた小さな女の子が、噴水に向かって走ってきていた。その幼い顔を目にした瞬間、女王は思わず、はっと息を呑んだ。


 ……エリザ姉さん?


 いや、そんなはずはない。

 しかし、その子供は幼い頃の姉の姿に、あまりにもよく似ていた。


「お水がプッシャーってなってる、プッシャーって! わあぁ~~!!」


 大きな目を輝かせながらに噴水を見つめる幼女は、極一般的な市民の格好をしている。明らかに貴族階級の子ではなさそうだ。そもそもこの中庭は、立ち入り制限がかなり厳しく設定されている区画でもある。


「こら、リリ! 勝手に入っちゃダメだってば!」


 失踪した姉の面影を持つ幼女に、女王が驚きのあまり声を失っていると、もう一人赤い髪の少女が噴水に駆け寄ってきた。

 こちらも普通の市民の服装をしている。年齢的にこの子の姉だろうか。しかし、二人の顔立ちは姉妹と思えるほどには似ていないように見えた。


「ここは入っちゃダメなとこだって、ティシャさんも言ってたでしょ!」

「えー、しーちゃんのケチー!」

「文句いわない。ほら、戻るよ。こっちきて」

「あー、や~だぁ~!!」


 ズルズルと引き摺られていくリリと呼ばれた小さな女の子。その手を引っ張る赤髪の少女はまっすぐ引き返さずに女王の前にくると、騒がしくしたことを丁寧に謝罪した。その仕草に礼節は感じられたが、緊張は見られない。どうやら、女王を女王として認識していないようである。

 なるほど。自分の顔を知らないとなると、この子たちは王都の民ではないということか。


「……あの、もしかしてリリが何か失礼を?」


 視線を感じ取ったのか赤髪の少女がかしこまるのを見て、女王は慌てて首を横に振った。


「いえ、なんでもないの……」

「そうですか? ならよかったです」


 言って、最後に深々とお辞儀をすると、赤い髪の少女は姉にそっくりな女の子を連れて中庭から出ていった。

 途中、女王はその背中を呼び止めようか迷ったが、結局声はかけなかった。

 世界には同じ顔をした人間が三人はいるという。

 他人の空似である可能性は高い。

 それでも、執務をこなしているあいだ、どうしてもあのリリという女の子のことが頭を離れなかった。

 姉が失踪したのは八年前だ。あの子の年齢は六~八歳ほどに見えた。姉が失踪後、すぐに子供を産んだとなれば……。


「女王陛下、報告に参りました」


 陽の沈む頃、執務室に腹心のキリル大臣がやってきたので、女王は逡巡しながらも思い切って中庭であったことを打ち明けた。


「おそらくその子供は、先ほど進言させて頂いた黒覇者レジェンド受章者様の妹君かと思われます」


 当然ながらダンジョン攻略者が現れたことは女王の耳にも入っていた。しかし、実務はキリル大臣に一任している。攻略者であるエミカ・キングモールという人物の詳細まではまだ知り得ていなかった。


「その者と直接お話がしたいわ」

「近い内にその席は必ず用意できるでしょう。ですが、話をするだけではその妹君がエリザ王女の実子であるかどうかまでは確かめようがありません。それにもしこちらの勘違いであった場合はキングモール氏にも失礼かと」

「そうね……」

「はい。なのでそこで一つ、良案がございます」


 キリル大臣が進言したのは、先日のアリスバレー・ダンジョン攻略によって齎された新技術を使う方法だった。


「基本的には個人を識別するための技術なのですが、双方の体液や毛髪、もしくは皮膚の一部などがあれば両者の血縁関係の有無なども調べることが可能です」


 姉のエリザの部屋は失踪した当時のままになっている。先々代の国王が女中たちの入室を禁じたため、ほとんど掃除もされていないはずだ。それに確か、浴室にはヘアブラシも残されていた。

 姉の検体は自分で入手できる。

 問題は、あの子供のほうである。

 女王はその役目を、自分が一番信頼している部下に任せることにした。


「――お呼びでしょうか、陛下」


 その夜、女王は姉の部屋で毛髪の採取に成功すると、すぐさまその者を呼び出し、もう片方の検体を入手するよう指示を出した。

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