23.番台娘エミカ・キングモール


 ギルドの空き地にできた温泉場は、アラクネ会長に〝モグラの湯〟と名づけられて営業を開始。初めのうちこそお客さんもまばらだったけど、数週間もすれば口伝えに評判が広がって客足も伸びていった。

 現在、すでにオープンして二ヶ月が経過。私の生活は、モグラ屋の頃に比べるとまたがらりと変わっていた。

 というわけで今回はこの私、番台娘エミカ・キングモールの華麗なる一日をご紹介しよう。


「ふわぁ、眠ぅ……」


 まだ陽も昇らぬ早朝四時、起床。

 番台の朝は早い。


「うりゃりゃああぁーーー!」


 朝五時。湯煙が舞う中、デッキブラシを使って掃除を開始。場内を駆けたあとは洗い場の周辺や脱衣所も綺麗にして回る。身体を清める場所である湯治場が汚いなんてもってのほかだ。掃除はほこり一つ残さず入念に行なう。


「おまたせしましたー、モグラの湯開店でーす! いらっしゃいませ~!」


 六~七時頃になると、朝風呂目当てのお客さんがぽつぽつとやってくる。みんなこの露天湯の虜となった常連さんたちだ。番台で入浴料を受け取り、女性客は赤の布(会長の話では〝暖簾〟というらしい)がかかった入口へ、男性客は青の布がかかった入口へ。それぞれ案内する。

 それが過ぎると夕方までは暇……とはいかず、私は温泉場の塀の見回りに向かう。


「――あっ、こらぁー!!」


 そして、不届き者を発見。

 ただちにデッキブラシを手に武力介入に移る。


「げっ!? おい、モグがきたぞ!!」

「早く逃げるでござる!!」

「えっ、ちょっ!?」

「ガキども、またお前らかぁ~!!」


 のぞき魔は近所の少年三人組。年齢はシホルと同じぐらいだと思う。最近お客さんからの苦情も増えていたので見回りを強化していたところだ。

 遭遇したのはこれで三度目のこと。前回、前々回は、あと一歩のところで取り逃がしてしまった。なので、今日こそは――!!


「「「うわっ!!」」」


 こちらの気迫に押され焦りが出たのか、のぞきのため塀の傍で肩車をしてた彼らは一斉にバランスを崩した。

 よし、チャンス! 颯爽と現場に駆けつけた私は、無様にも地面に転がった犯人たちに向けてデッキブラシを突きつけた。


「今日という今日は逃がさん! 逆さ吊りにしてやる!!」

「痛てて……。ちっ、なんだよ、うっせーなっ!」

「オレらは女湯がどうなってるのか、ちょっと見てただけだっつーの!」

「そうでござる! ボクたちはただ知的好奇心を満たそうとしていただけ! それが一体なんの罪になるというのでござるか!?」

「なっ!?」


 三対一という状況が彼らを増長させているのだろう。まさかの逆ギレにたじろぐ。てか、ござるってどこの方言だ。


「ぐぬぬ、こいつらぁ……!」


 いや、落ち着け私。

 こういう時こそ年長者として、正しい大人の理屈で相手を言い負かさなければだった。


「ねえ、君たちさ……人の迷惑になることしちゃダメだよね?」

「別にモグには関係ねーし!」

「関係なくないよ。私はここの番台だし、私だってここの温泉を利用してる客の一人だよ。入浴中、誰かにイヤらしい目でのぞかれてたら気分が悪いし、落ち着いて入ってらんないよ」

「「「……はぁー?」」」


 そこで三人組は互いの顔を見合わせると、くすくすと声を出して笑いはじめた。


「おい、何がそんなにおかしい……?」

「だ、だってよぉ! そんな〝凹凸のない身体〟で……くっ、ぷはは!!」

「ぎゃははは、安心しろって! お前みたいな〝まな板オンナ〟誰も見ねーから!!」

「ぷーくすくす、これはひどい勘違いを見たでござるよ!! ぷーくすくす、もう一個オマケにぷーくすくす!!」


 ――ブチッ!


 私の中で、不意に何かが切れた音がした。

 同時、五本の爪が傍にあった樹木に勢いよく突き刺さる。

 そして、少し間を置いて、軋む音。


 ――ミシミシミシミシミシ!


「「「え?」」」




 ――ガガッ、

 ――ミシミシミシ、ガガガッ、

 ――ガ、ガガッ、ミシミシミシミシミシミシ、ガッ、ガガガッ!!

 ――ギギッ、ギギギギギ……バギッッ!!


 ――ズッドオ”オ”オォーーーンッッッ!!!




「「「………………」」」


 あ、まずい。

 自然にはなんの罪もないのに、つい怒りに我を忘れてひどいことを。いかん、冷静にならなくては……。

 少年三人組は時間が止まったように、口をあんぐりと開けて固まっていた。

 ま、無理もないよね。たった今までバカにしてた相手が、木の幹を握力だけでなんて芸当を目の前でやってのけたんだから。

 だけど、これでお互いクールダウンして、まともな話し合いができるかもしれない。

 私は決して暴力による解決を望まない。必要なのは、しっかり言葉を交わし合った上で相手に悪かった点を認めてもらうこと。それさえ叶えば暴言を含めて彼らのすべてを許せるだろう。なぜなら私は、寛大な精神の持ち主なのだ。身体に凹凸がないだとか、まな板オンナだとか、ぷーくすくすだとか、ぷーくすくすだとか、ぷーくすくすだとか言われても怒ったりしないし、未来永劫根に持って壮大な復讐の計画を立てたりなんかもしないし、少年らを絶望のどん底に叩きつけたりなんかもしない。

 うん。

 だから話し合おうじゃないか。

 それさえ済めば、すべては敵味方なしノーサイド

 明るい未来が待ってるよ。

 穏やかで友好的な対話をするために、ふさわしい最初の一言は何か。

 答えを導き出すと、私は満面の笑みでそれを口にした。


「埋 め る ぞ」


「「「す、すすすみませんでしたあああぁぁっ~~~!!」」」


 次の瞬間、三人組は蜘蛛の子を散らすように雑木林の中を駆けていった。


「あっ、逃げた!? いや、まいっか……」


 さすがにこれに懲りて、もう二度と悪さなんてしないはず。

 対話どうかつを終えて番台に戻ると、私は繁盛する夕方からの接客をこなし、夜九時頃に入浴客が途切れたのを見計らって入口の暖簾を下げた。

 これにて本日の営業は終了。

 締めの仕事である売り上げの計算に入る。

 一日の平均利用客が男女合わせて大体二百人前後。

 入浴料は一律三百マネンなので、基本的な利益だけでも六万ほど。

 それにプラスして、シホルからもらったアイデアを参考に、果汁を混ぜた冷たいミルクや、温泉を利用して作ったゆで卵の販売なども行なっている。その他にタオルや着替えの貸し出し金などを含めると、大体一日の平均売り上げは総額で十万前後。その中の約一割ほどが私の純粋な取り分となる。

 今日も売り上げとしては高すぎず低すぎずで安定。

 ギルドの金庫に売り上げ金を保管すると、私は脱衣所に向かった。

 オーバーオール、シャツ、下着、順々に脱いで洗い場に直行。汚れを入念に洗い流して綺麗な身体になると、手足を伸ばして湯船に浸かる。

 一日の疲れを取るこの時間が最近の私のささやかな楽しみだ。


「ふへぇ……」


 温泉の熱がジンジンと伝わってくる中、四角い夜空を見上げると、そこには瞬く満天の星々。風で舞う湯煙の中、明滅する小さな光たちは現実感が薄く、とても幻想的だ。

 ああ、こんなすばらしい場所を独り占めできるなんて。思わず、口元がほころんでしまう。


「今度シホルとリリも連れてきてあげよう……あ、でもリリは嫌がるか」


 そこで一度、ドボンっと頭のてっぺんまで浸かったあとで再浮上。


「ぷはぁ~!」


 私は湯船に浸かると、けっこう考え事をするタイプだ。そのまま目をつぶり、今後の経営と二億の借金について思案をめぐらせる。

 一日の売り上げの十万マネン。そのうちの半分が借金の返済に充てられる。

 一日で五万なので、一年で千八百万ほど。

 現状、単純計算で全額返し終えるのに十年以上かかる計算だ。


「やっぱ、もっとお客さんを増やすべきかなぁ……」


 モグラの湯の利用客のほとんどは、地元の人間か地元の冒険者で固定されている。旅人や流れ商人が集まる場所で呼びこみをすれば、劇的に売り上げを伸ばすことができるかもしれない。

 あと、温泉を飲んでも効能が出るらしいから、そのまま売るって方法もありだね。女湯の北側の湯柱から直接汲めば綺麗だし、それと〝女湯の湯〟とか、別の意味でも売れそう……あ、いやいや、それは倫理的にまずいか。


「うん。ま、地道にやろ……地道にね……」


 ふと、全身の疲れがほぐれていく感覚。

 温かくて、気持ちよくて、ちょっと眠い。

 そんでもって、なんか色々とどうでもよくなっちゃう。


「ふにゃぁ……」


 あと十年、この生活を続けるのも悪くない。

 いっそのこと冒険者業を辞めたって――




 ――ひゅうううううぅ~ん!




「……ん?」


 その時だった。

 突如として空からが降ってきたのは。


 ――ドッバーーーーーンッッ!!


「はひゃあっ!?」


 耳を劈く轟音に、すっとんきょうな悲鳴をあげた次の瞬間、私は湯船に浮かぶ白い翼を見た。

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