幕間 ~受付嬢、憂う~


 穏やかな気候と、恵まれた晴天。

 解放された窓枠からは、チュンチュンと小鳥の囀りが聴こえてくる。それはいつにも増して爽やかで長閑な早朝だった。


「はぁー」


 そんな牧歌的な雰囲気とは裏腹に、冒険者ギルドで受付嬢を勤めるユイ・ユウェナリスの心情は灰色に曇りがかっていた。


「あの子、本当に大丈夫かしら……」


 来客の少ない朝のひと時。比較的に暇な時間帯ということもあり、思わずため息とともに独り言が漏れる。

 ユイが抱える不安の種は一つだった。


「妙に素っ気ないし、やっぱりどう考えても怪しいわよね……」


 エミカ・キングモール。

 ここ最近のあの幼なじみの羽振りの良さは異常だった。先日は真っ昼間から高級な肉をあくどい顔で頬張っていたし、どこから手に入れたのかこれまた高そうな小型の魔道具までオーバーオールのポケットに忍ばせていた。

 そして、極めつけは昨日のこと。市場でばったり顔を合わせた妹のシホルからは「近頃、エミ姉の無駄遣いがひどいんです」という言質まで入手済みである。

 すでに状況証拠は申し分なし。エミカの行動を見る限り、やはりどこからか大金を手にしているのは間違いないだろう。

 しかし、一体どうやって?

 まさか何か良からぬことに首を突っ込んでいるのではないか?

 それを立証する確たる証拠はないが、漠然とした不安はユイの中で日に日に募っていくばかりだった。


「というか」


 ふと、そこではたと気づく。

 自分が、いつもあの幼なじみの心配ばかりさせられていることに。


「なんだか、無性に腹が立ってきたわ……」


 あっけらかんとしたいつものエミカの気の抜けた顔が過り、どうすることもできない怒りが沸々と込み上げてくる。

 おそらくこれまでの積み重ねがそうさせるのだろう。思えばエミカと出会ってからの約十年間、ずっとこんな心配を繰り返してきた気がする。


 四年前、十一歳でギルドの受付を勤めるようになるまで、ユイは祖父母の家で暮らしていた。当時、その隣近所にキングモール家があり二人の姉妹とはその頃からの付き合いである。物心つく前からの仲と言っても過言ではないだろう。

 妹のシホルが穏和で大人びた性格な一方で、姉のエミカは男子顔負けの活発すぎる女の子だった。好奇心旺盛な上、生来から一切後先を考えないタイプの彼女にこれまで散々手を焼かされ続けてきた。完全な貧乏くじである。他にも同年代の遊び仲間は数多くいたにもかかわらず、なぜか毎度エミカが引き起こす惨事の火消しや尻拭いをする羽目になるのは決まってユイだった。


『もー、エミカとは絶交だから!』

『ゼッコーってなぁーに? おいしいの?』

『……』


 決して短くない付き合いである。幼なじみとして愛想を尽かしかけたことも一度や二度ならずあった。

 だが、事件を起こした翌日にはもう何もかも綺麗さっぱり忘れ、エミカはまたあっけらかんとした様子で遊びに誘いにやってきた。いつもそんな幼なじみを前にする度、ユイの抱いていた怒りは諦めの感情とともに霧散。幼少期は、まさに毎日がその繰り返しだった。


「本当にずるいんだから……」


 要するに、憎めない幼なじみなのだ。

 自分の年齢が一つ上であることを踏まえて、手のかかる妹だとも思えていればまだマシだったかもしれない。

 それでも、ユイとエミカの二人は上下に差のある関係ではなく、幼い頃よりずっと変わることなく対等な友人としての付き合いを築いてきた。

 それは出会って数年後、祖父母の厚意から街で唯一の初等学校にユイだけが通うようになってからも疎遠になることなく続き、そして、エミカの母親が亡くなったあとも決して変わることはなかった。


『うわぁーん、ユイ~! 地下一階だけでたくさん稼げる方法おしえてぇ~~!!』

『………………』


 それは街の有力者でもある冒険者ギルドの会長にスカウトされ、ユイが受付嬢として働きはじめるようになって早々のことだった。


『もう、しかたないわね……』


(というか、母親が亡くなったときは意地でも泣かなかったくせに。どうしてこのタイミングで泣くのよ)

 わんわんと号泣するエミカに相談され、半分は呆れながら、しかしもう半分はほっとしながら、ユイは一番簡単で安全な仕事として魔石クズ拾いを勧めた。それから四年間も幼なじみが同じ仕事を続けるとは、その当時はまさか思いもしなかったが。


『あなた最近やたらと羽振りがいいわね』

『ギクッ……!』


 そして、馬鹿で放っておけないエミカとの腐れ縁は途切れることなく続き、現在に至る。

 冒険者稼業をはじめてからこれまでずっとお金に困っていた幼なじみ。そんな彼女に起こった異変。それに付随して思い当たることは一つしかなかった。

 その両手に宿る、〝封印されし暗黒土竜〟である。

 冒険者ギルドの長であるアラクネ会長にも相談はしたが、彼女はいつもの不敵な笑みを漏らしながら「へー、前代未聞ね」と答えるだけで適切な助言など一切してくれなかった。元最強の冒険者と評されるだけあり、その実力も知識も折り紙付きである。しかし、相変わらず当てになるのか当てにならないのか、正直ユイにとってはよくわからない人物でもあった。


 ――決して無茶はしないように。

 エミカには一応そう釘は刺しておいた。

 それでも、このままでは埒が明かないのも事実だ。

 もしエミカの両手に寄生したあの得体の知れないモンスターが害あるものであった場合、事態は一刻を争うはずである。そういった面でも、ユイの心配はただただ募るばかりだった。


「本当に、どうしたものかしら……」

「あらユイちゃ~ん、難しい顔してどうしたのー?」


 本格的に腕を組んで悩んでいると、そこで青い神官服を身に纏ったハーフエルフが受付口にひょっこり姿を現した。


「あ、ホワンホワンさん、おはようございます」

「はろはろー」


 ヒーラーを専門にする彼女はユイにとってなじみの冒険者の一人だ。先日はエミカの護衛依頼にも無理を言って参加してもらった手前、些か貸しがある相手でもあった。


「ため息なんか吐いちゃって、まさか恋のお悩みかなぁ? うふふ、そーいうことならこのホワンホワンお姉さんが相談に乗っちゃうよー!」

「そんなんじゃありませんから……」


 多少動揺しつつ否定したあと、ユイは正直に幼なじみのことだと打ち明けた。


「エミカちゃんがどうかしたのー?」

「最近羽振りが良すぎるんですよ。個人で依頼を受けている様子もないのに、お金を湯水のように使っているみたいで……。ホワンホワンさん、あの子のこと他の冒険者さんたちから何か聞いていませんか?」


 ひょっとするとパーティーを組んで狩りハントがうまくいっている可能性もある。真相をたしかめるにはちょうどいい機会だった。


「エミカちゃんかぁ……あ、そういえば、ガスケさんとなんか一緒に仕事してるみたいな噂は聞いたかも」


 そこで上がったのは先日エミカの護衛を頼んだ別の冒険者の名だった。


「ソードマンのガスケさんですか」


 軽口で女性好きなのが玉に瑕どころか相当に瑕だが、優秀な冒険者であることは間違いない。

 なるほど、彼にレクチャーを受けることでついにエミカも冒険者として真っ当に稼ぐ道を見つけたというわけか。

 ポジティブな予想の裏付けが取れて、ユイはようやく安堵の胸を撫で下ろした。


「ガスケさんの好み的にもエミカは範囲外だろうし……うん、絶対に安心よね。というかあの人、年増にしか興味ないはずだし」

「それ、どういう意味かなぁ?」


 安心したせいか、うっかり内の声が漏れてしまった。同時、何かのも踏んでしまったらしい。

 受付から顔を上げたところで引き攣った笑みを浮かべるホワンホワンと目が合ったユイは、慌てて首を横に振った。


「いえ、こっちの話です!」

「ふぅーん……ならいいけど。あ、というか私、報酬をもらいにきたんだったー」


 そのまま支払いの手続きを終え、ユイが情報のお礼を口にすると、ホワンホワンは去り際の最後に緩やかな口調で助言をくれた。


「エミカちゃんだってユイちゃんが心配してるのなんて重々承知のはずだよー。私はね、そういうときこそ友達を信じてあげるのが一番大事なことだと思うなぁ~」

「……信じる、ですか」


 たしかに、借金まみれだった幼なじみの生活水準が向上していることは素直に祝福すべきことで、手放しで喜ぶべきことなのだろう。


「そうよね、私ってば変に勘繰りすぎていたのかも」


 ホワンホワンが受付口を去ったあと、ユイは自分に言い聞かせるように呟いた。

 そうだ。

 エミカだって、さすがにあの状態で後先考えず無茶なんてするはずがない。

 羽振りがいいのも、真っ当な冒険者としてようやく軌道に乗りはじめただけのこと。

 何よりあの子だっていつまでも傍若無人な子供のはずがない。一般的な常識を身につけ、日々正しい大人へと成長しつつあるのだ。


「それを私、最初からあの子を疑いの目で――」


 最愛の友人に対する自らの行ないを恥じ、そして改めて事態を楽観的に捉えようとした、まさにその瞬間だった。




 ――ゴゴゴゴゴッ!!




 それは来た。


「えっ?」


 得体の知れない不気味な異音と、足元から響く震動。ユイが地鳴りだと気づいたさらに次の瞬間、ギルドの裏手のほうから凄まじい爆発音が轟いた。

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