第92話 知識の総量が人格


 もりもりと食べる芥子係長を見ていたら、その姿は完全に僕の中で佳苗ちゃんと重なっていた。

 そうだよね。

 これが佳苗ちゃんだよね。

 うんうん。


 なんか、今自覚したんだけど、僕、やたらと優しい眼差しで佳苗ちゃんのことを見ていたんだな……。他の誰に対しても、こんな表情はしない。芥子係長が対象になったからこそ、自分がなにをしていたか気がつけたんだ。


「鰯、もう1匹あるけど、焼き足す?」

 僕、自分の中に巻き上がる感情を打ち消すように、そう聞いた。

 そして、言ってから、自分の口調が係長に対するものでなかったことに気がついた。


 でも……。

「お願いします」

 そう応えた口調は、完全に佳苗ちゃんのものだったんだ。

 僕は喜々として鰯に塩をして、串を打ったよ。熾火で魚を焼くのは、こうするしかないからね。

 なんか、とても嬉しかったんだ。



 すべてを綺麗に食べ尽くしたあと、僕はお茶を淹れて係長に出した。

 江戸での接待の経験があるから、最後の最後で手を抜くようなことはしなかった。僕は、きちんといいお茶の葉を買っておいたんだんだよ。

 係長、いつになく優しい顔になっていた。やっぱり、「食は人を良くする」のかもしれないね。


 そして次の瞬間、僕は絶句したんだけど……。

 係長、ふと思いついたように、持ってきた荷物からその中身を取り出した。

 それは大きな枕。

 これを見た瞬間の僕の驚きと戸惑い、わかってもらえると思う。


「ほら」

 そう言って、係長、僕にその枕を渡す。

 僕はそれを抱くように受け取って、っていうか、あまりに大きいからそうにしか持つ方法がなかったんだ。


「これ……、これはなんですか?

 どうしろと?」

「枕だ」

「それはさすがにわかりますっ!」

「今晩から、これを使え」

「……意味わかんない」

 そう答えた僕から、係長は枕を奪い取った。


「ほら、ここだ」

「なんでしょう?」

 って、なんで枕カバーを掻き分けると電源プラグが出てくるんだ、この枕は?


「脳内の言語領域にテンポラル時間語を仕込む枕だ。

 今から70年後に確立する技術だから、誰にも見せるな。

 空き巣が入ることも考慮して、使わない時は電源プラグはこまめに枕の中に戻しておけ。

 このあたり、絶対油断するなよ」

「これって、睡眠学習っすか?」

 なんか、怪しい広告があったよね、そういう感じの。


「違う。

 そんないい加減なものじゃない。

 ナノレベルの空間転移技術を高精度化した結果、脳内の人為的三次元高密度シナプスの構築に成功したんだ。

 催眠術なんかでも架空の記憶を植え付けることはできるが、これは比べ物になにらないほど高度なことができる。

 ただ、悪用された場合、あまりに危険な技術なので、法的に定められた機関でしか使うことはできない。この装置の台数も、厳重に管理されている。使用にあたっての、知識の種類も極めて限定されている。

 時間整備局時間管理部内でも、時間管理課のみに使用が許可されている。この枕で2日も寝れば、テンポラルはおろか危機管理と未来の交通機関の運転免許までいける。過去なら、乗馬から駱駝までいけるぞ。

 あとは任務によって、特例的に使えることがあるな。

 ただ、あくまで記憶に留まるのだが……」

 うん、係長の最後に言いたいことはわかる気がする。


「記憶のとおり肉体を動かすためには、それなりのトレーニングが必要ということですね。

 高度な肉体操作の記憶を持つほど、それについて来れるように肉体も鍛えておかねばならない、と」

「そうだ。

 頭では5mの跳躍をしたはずなのに、肉体の方が3mしか跳んでいなければ、いかなる結果もついてこない」

 それはわかるけれど、脳内に知識を移動させられるだけでもすげーことだよ。


「で、係長。

 とりあえずは、テンポラルだけでしょうか?」

そう聞いた僕の口調は、かなり不純なものに満ちていた思う。

「まぁ、そうせっつくな。

 まずはテンポラルにしておけ。

 少なくとも最初の1回目は、脳に掛かる負担の度合いが未知数だ。

 その加減と限界は個人によって異なる。最初の1回目が終わらないと、雄世さんの脳のそれがわからない。

 なのに、それを無視して利用すると、廃人にだってなりかねないぞ」

 ……なるほど。


 言われてみればそのとおりかもしれない。直接脳をいじくるって、慎重過ぎるくらいでいいのかもしれないな。

 ま、法的な問題抜きにしても、全知全能になろうとしても、基本的には無理だよなー。それこそ脳の容量を増やさない限り。で、それをしたらもう人類の範疇にいられないだろう。



「佳苗ちゃんも、これを使ったんですね……」

「そうだ。

 とりあえず異動が決まった段階で、雄世さんの分の学習機も送られてくる手筈だった。だが、この時間に私のものがあったからな。時を越えてこれを運ぶのは最小限にしたいということで、私のものを渡すことになった。

 まぁ、私ももう法の許す範囲で覚えられることは、ほぼ残っていないのだけれどな」

 なるほど。

 江戸生まれの佳苗ちゃんが、この時代でしっくりと生活できているわけだ。そして、芥子係長としての人格が完全なわけもわかった気がするよ。

 得た知識の総量が人格なんだから。

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