第67話 マニュアル化
従業員に仕事を覚えさせたら、ノウハウを奪われた挙げ句に独立されてしまう。
だからと言って、修行不要で独りで独立してやっていけない状態に押し留めておくってのも、それはそれで人道に反する気がするな。労働の搾取って感じがするし、その人の未来を奪っている感、ハンパない。
繁盛しているラーメン屋での、この辺のせめぎ合いって、きっと熾烈なんだろうなあ。
「ああ、まぁそうだな。
蕎麦の元締めが、配下の蕎麦屋台に『はずれ屋』の方法を真似させて、味の底上げさせたよな。うちも、うちのレシピで出汁を大量にとってもらうために、そのくらいのノウハウの流出は良しとした。でも、すべてのノウハウをほいほいと渡すわけには行かないからなぁ。
やっぱり、基幹技術に相当するものは出さないようにしないとなぁ」
僕の心配に、是田も同意する。
うーむ、難しいなぁ。
大工や寿司職人の技なら、「盗め」でいい。盗まれた方に損害は生じないし、盗んだ方の個人の内なる財産として、代替わりしても世代を超えて技は伝わっていく。
でも、会社とかの一定の大きさの組織の持つ技術となると、そうはいかない。盗まれたら組織が立ち行かなくなって倒産の危機を迎えるし、従業員たちは露頭迷うことになってその損害は果てしなく大きい。
そして盗んだ方は、いきなり一定の経済的価値を所有することになるんだ……。
僕、是田と話していて、「諦めが肝心」って言葉が頭に浮かんでいた。
「是田さん、今回は欲張るのは止めましょう。
まずは、おひささんが休みを取れる体制を作る、それをまずは第一目標にしませんか?
それができれば、棟梁の話も自動的に受けられるようになります。
おひささんが『1日2日休んでも店は回る、でも7日休んだら回らない』、このあたりが落とし所にしたらどうでしょう?」
そう、チェーン店の社長になって、左うちわは諦めるしかないか……。
「だな。
俺たちは、俺たちの時間のファストフードのマニュアルを検索して、見れる範囲でその内容を知ることができる。
それを活かして、おひささんの腕というキーポイントは外さないようにして、情報漏洩に対する契約ってのも考えて、マニュアル化をしていこう。
水道の関係でこれからもっと時間を取られるかもしれないし、チェーン店の社長はともかくにしても、絶対に必要なことだ」
「はい、そうですね」
僕はそう返事をしながら、ぜんぜん上水道の事業には関係ないと思っていた佳苗ちゃんとおひささんが、やっぱり重要な役割を果たすことになるのに内心驚いていた。
食い物関係ってのが基幹産業だからなのかもしれないけれど、巡り合わせってのは不思議なもんだよなぁ。
「おひささん、ちょっとお願いがあるんですけれど……」
その日の営業終了直前、僕がそう声をかけると、おひささん、目を瞠るようにして「なんでしょう?」って応じた。
僕と是田、言葉を選んで慎重に話す。
マニュアル化のお願いって、こちらの真意になんの裏がなくても、技術を持っている人の側から見たら、「バカにするな」とか、「軽く見られたものだ」とか、「ひょっとして馘首?」とか、拗れを生む原因になるからだ。
てか、マニュアル化について情報端末で調べたら、そんなことが書いてあったんだ。
「ひろちゃんという幼い娘さんもいる中で、おひささんには数日に一度は休みが取れるようにしたいと。『はずれ屋』を再開してからも、一度も休んでいないみたいだし……。あ、休みの日も給金は出せるようにしますから。
あと、接待料理についても、牧野様だけでなく大工の棟梁が持ってきてくれた話を受けて宴席を受注するにしても、おひささん以外に作れる人はいません。
そんな中で、『はずれ屋』の仕事だけが、おひささん以外の人に分業できるかもしれない仕事だと思って……。
その他の2つは、どうやってもおひささん以外の人には代われないからね」
僕、必死で言葉を選ぶ。
「比古の言うとおりと考えていまして……。
ただ、あくまでも比古の言うとおりなだけで、裏はなくて、『おひささんの仕事が簡単で誰にでもできる』とか、思っているわけじゃない。
ただ、茹でる、晒す、具を切って乗せると、3人がかりならなんとかおひささんの代わりになるかもと思ってね。
その3人のために手筈を記して欲しいんだ。
蕎麦に乗せる具を作ることとかの中心については、相変わらずおひささんに頼るしかないし、その中心からおひささんを外す気は毛頭ない。
ただ、そういう誤解をして欲しくな……」
おひささん、笑い出した。
僕たちが、あまりに必死な表情だったのが可笑しかったのかもしれない。
「結構でございますよ。
蕎麦を茹で、仕上げる手順を書きましょう。
そこまでお気になさらずとも、目太様と比古様のお気持はわかり申します。
ありがたき仕儀にて……」
「うわあ、よかったー。
こういうお願いって、馘首にさせられるとか誤解されて、けっこう大変なことになる例もあるらしくて、ひやひやしながら話していたんですよね」
思わず僕、思っているまんまのことがそのまま口から出てしまった。
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