第41話 男泣き


 葦簀越しに、そっと小屋掛け屋台の中を覗き込む。

 そこには僕たちの予想通りの姿があった。

 沢井氏(仮)が地面に膝をついて、男泣きに泣いていたんだ。

 ここで僕たち、初めて沢井氏(仮)の気持ちを最初から思いやることができた。警戒心抜きに、だ。

 

 沢井氏(仮)、ほぼ確実に死刑になるというのに、「はずれ屋」から離れなかった。江戸の木曽の山ん中とかに逃げたら、さすがの時間整備局だって探すのに手がかかる。沢井氏(仮)はおそらくだけど、死刑になるにしても、自分の時間に帰りたかったんだろうね。


 気持ちはわからないでもない。

 前回、僕たちも江戸に置き去りにされた。その時の身体を締め付けるような不安感、焦燥感、それを僕たちは忘れてはいない。自分という存在の根っこが、一方的に取り上げられちゃうような気がするんだよ。


 沢井氏(仮)も、死刑になる不安と自分の時間から捨てられる不安、その2つを天秤にかけたとき、死刑になる不安の方がまだマシだったんだ。

 で、僕たちのような未来からの来訪者が、二度と現れないかもしれない不安に耐えて、1年を待った。

 そして僕たちが現れた時の沢井氏(仮)の喜びというか安堵、想像がつかなくもない。

 そりゃあ、「佃」を「伸」にするサービスぐらいはするよね。それに、そこに思い至るってことは、重労働の中、佃煮すら食べられない生活をしていたってことだ。


 だから沢井氏(仮)は、僕たちになんとか取り入ろうとした。

 主犯格の生宝氏も、その秘書も更新世ベース基地でこき使われている。でも、彼らにはそこで過ごすこと自体への不安はない。夜には安心して寝られるだろう。それに対して、沢井氏(仮)は日常生活に至るまでのすべてが不安だったはずだ。


 例えば、ここで泣いていることもそうだ。

 貧乏長屋で暮らしていると、薄板一枚向こうは隣の世帯だ。僕たちの時間での手厚いプライバシー保護なんかない。

 いい歳をした男が泣いていたら、長屋の住人が揃って覗きに来るだろう。だから、ここに泣きにくるしかなかったんだと思うよ。


 で、沢井氏(仮)、僕たちになんの権限もないことは100も承知で、でもその上で精一杯有能なところを見せて、恩を売ることで少しでも不安から解放されようとした。

 なのに、水道を引くのは物理的にどうにもならないって結論になってしまった。これは辛いだろうな。

 僕たちはこれがどうにもダメだとなれば、最終的には沢井氏(仮)を置き去りにして帰ることになるだろう。そんな事態も容易に想像できて、余計に辛かったんだろうな。


 生宝氏がすべてをゲロって、立件できて裁判に移行もできて、時間整備局が沢井氏(仮)を迎えに行くときがくるかもしれない。

 でもそれも、10年後かもしれないし、ひょっとしたら永遠に来ないかもしれない。生宝氏がすべてをゲロるタイミングなんて、生宝氏本人と神様しかわからないんだから。

 これって、実は相当に残酷なことだったのかもしれないね。


 僕は……、たぶん是田も、自分たちが置き去りにされた経験があってもなお、沢井氏(仮)の今の境遇のことを「死刑で死ぬよりはマシでしょ」としか考えていなかった。時間整備局の上の方は、もっと単純に泳がしておいてと、恩着せがましく思っているんだろうな。

 僕、いろいろ考えさせられちゃったよ。



 僕たち、わざわざ大きな音を立てて葦簀を開けた。

 そして、とっさに床に伏せた沢井氏(仮)に気が付かないふりで、背負いの大篭を回収した。

 そこからたまに後ろを振り返って沢井氏(仮)が付いてこないことを確認しながら寛永寺裏まで歩き、僕と是田は一言も口を利かないまま、いいや、利く気持ちになれないまま再び一気に紀州まで跳んだ。

 僕たち、自分たち自身の警戒心に、ほとほと嫌気が差したんだ。



 昨日の第一村人は、ミカンを用意して待っていてくれた。商売はとんとん拍子に進み、今日は一両を遥かに超える額の儲けが見込めそうだ。

 ここで僕、心の奥底に引っかかっていた沢井氏(仮)のために、第一村人に1つ質問をした。


「ミカンの害獣駆除とか、この村では……」

「昨日、隣の作兵衛が鉄砲持って山に入ったから、アナグマぐらいはとったもなぁ」

 鉄砲かぁ。

 江戸の農村は、結構たくさんの火縄銃があったんだよね。

 開墾すると、野生動物との接点ができる。したら、撃って食っちゃうんだ。

 で、面白いのは、「百姓一揆における鉄砲相互不使用原則」があったこと。

 領主側も農民側も、一揆のときに鉄砲を持ち出さないんだよ。

 なんなんだろうね、このお互いの信頼感。


 とにかく、そんなこんだで江戸の農村は、案外たくさんのたんぱく質を食べていた。

 田んぼと用水路があれば、フナだのドジョウだのタニシだのは毎日だって食べられる日常食だし、川にはコイやらアユだのウナギがいる。庭先養鶏だってあるし、野鳥も結構食べていた。それに、鹿だの猪だのの害獣も撃ったら食べないわけがない。まして今は、戦国の気風が残る元禄以前なんだから、動物を締めて食べることに抵抗はほぼない。それこそ生類憐れみの令以前なんだから、犬だって食肉のうちなんだ。


 このあたり、すべてを貨幣経済に頼らざるを得ない江戸とは違う。

 だから、なんか手に入るはずなんだよ。

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