第29話 紀文になる(ならないけど)
是田と僕、おひささんたちの長屋に向かって歩き出した。
今晩は、貸布団屋の布団で、佳苗ちゃんの部屋で寝ることになる。
江戸は蕎麦の屋台の元締もいるけど、貸布団の元締もいるんだよ。
「芥子係長と沢井氏が共に『改正時間整備改善法』の穴に気がついていて、俺たちが気づかないのはなぜかな?」
是田が歩きながら呟く。
たぶん、僕に話しかけるのが半分、自分に問うているのが半分なんだろう。
「僕たち、真面目すぎるんだとは思います。
違法行為どころか、脱法行為も許せないという目で見ちゃっていますからね。
で、係長にせよ、沢井氏にせよ、脱法行為のエキスパートみたいじゃないですか。
特に、性格的に」
「ああ、そうだな、性格的に」
そう是田が返し、僕たちなんとなく笑いあった。我ながら思うけど、ちょっと珍しいことかもね。
「とりあえず、なんとかして答えを見つけなきゃだけど、ヒントはいくつかあったよな」
「はい。
その方法は、土木工事にも金儲けにも使えるってのも、大きなヒントですよね」
僕は素直に答える。
鰻のせいかもしれないけど、今日はそんな気分だったんだよ。
「じゃあ、土木工事ってのはなんなんだろうな」
是田の問いに僕は黙り込む。
そのまま歩を進めながら、うん、歩いているからこそ思いついた答えだけど……。
「移動、でしょうか?」
と僕は口に出していた。
「移動?」
訝しげに是田が聞くので、僕は自分の考えを説明する。
「はい。
僕たちの時間の土木工事は違うと思うんですけど、江戸の時間の中での土木工事は土の移動、石の移動、木材の移動って気がします」
僕の言葉に、是田、曖昧に頷く。
「そうだな。
利根川の水利、江戸城の建築に伴う石垣づくり、江戸湾の埋め立て、みんなそんな感じだな。
ていうか、よくもまあ、人力でここまでの規模のことをやるもんだよな、人類って」
「……はい」
僕も地形を変えて、地図に残るような大規模な工事を人力のみで行うことに、感動せざるをえないよ。
「で、
「雄世の言う土の移動、石の移動、木材の移動……、木材は地中への基礎づくりの埋設とかだろうけど、そういうのならもはやチート的に楽だろうな。
機外に大量の土をくくりつけて、一気に空間転移しちゃえばいいんだから」
「はい、その応用で機を地面に伏せさせて空間転移したら穴だって掘れますし、輸送なら土でも水でも木材でも『どんとこい』って感じですよね」
「ああ、まったくだ……」
ん……?
「是田さん。
時間跳躍先での空間転移とそれに伴う輸送って、法的制限ありましたっけ?」
「ないよな、たしか……」
「私もないと記憶していますけれど、なんでないんでしょ?
こんなに影響力大きいのに」
「必要ないからだろ」
「は?」
是田の答えのそっけなさに、僕はびっくりした。
「そもそもさ、時間跳躍だって空間跳躍だって同じようにエネルギー食うし、それはタダじゃない。コストが掛かるってことだ。
それに成し遂げられなかった大規模土木工事に協力するってことになると、そもそも『察知回避義務』に反することは避けられないし、時間貿易ができない以上、大儲けしてもその儲けを時間を超えて持って帰れない。
その一方で申請される大抵の『人道的時間改変計画書』の中身は、人の移動だ。人道的に誰かの命を助けるってのは、その人を別のところに逃がすとか、助ける人を近づけるってのが多いからな。
文物と人の移動の制限は、『人道的時間改変』を妨げる。はっきり言ってナンセンスなんだよ」
「なるほど、言われてみればまったくそのとおりなんですけれど、じゃあ、僕たち紀伊国屋文左衛門になれちゃうじゃないですか?」
僕、思わず興奮してそう反論する。
紀伊国屋文左衛門、通称「紀文」。
今の江戸で30歳くらいのはずだ。
史実ではなく、あくまで後世の創作なんだけど、こんな話が残っている。
彼が20代の頃、紀州ではミカンが豊作だった。
なのに海が荒れていて輸送ができず、江戸ではミカンが高騰していた。
当然紀州では暴落していたから、紀伊国屋文左衛門は命がけで船を出し、ミカンを運び大儲けをした。そして、そのさまが「沖の暗いのに白帆が見ゆる、あれは紀ノ国ミカン船」と謳われたんだ。
「そりゃあさ、紀伊国屋文左衛門の話は伝説みたいなもんだから、俺たちが
でも、紀伊国屋文左衛門にはなれないだろ」
素で返されると、僕も素に返って鼻白んだ表情になった。
ま、そのとおりだ。
江戸に永住するのでない限り、大儲けしても意味がない。
基本的に時間跳躍先への永住という一方通行は、ほぼありえないからだ。法的には『人道的時間改変計画書』の計画を果たすための最小の期間となっているし、過去においてどれほどの富豪になろうが、医療とか空調とか飯の味とか、到底元々いた時間には追いつかない。
どれほどの王侯貴族であろうが、病気になれば麻酔もないまま痛さ苦しさに悶え苦しんで死ぬんだ。
そう言った日常の辛さと、自分たちの時間で得ていた快適さとのギャップ、それに気がついて逃げ帰ることになるのがオチだ。
これは、申請者の時間改変に対する考えが、ゲーム感覚であればあるほど言えることだ。
ゲーム黎明期のものを僕も遊んだことがあるけど、「復活の呪文」ってやつだけで挫折した。
昔の人が昔の環境でなんとも思わないことでも、僕たちには些細なことが耐えられないんだよ。
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