第27話 茹でガエル


 沢井氏は僕たちの組織の考えをよく知っている。

 その上で、さらに僕たちに恩を売った。

 そして、便宜を図れと言っている。


 まぁ、親に手紙を届けるのは駄目だ。僕たちが沢井氏とコンタクトを取っていることがバレてしまうからだ。

 その一方で、ステーキは大したことにはならない。

 その2つの条件を同時に出してきたところに、沢井氏の狡猾さを感じる。

 つまり、僕たちを茹でカエルにしようって考えが透けて見えるんだよ。


 茹でカエルってのは、こういう話だ。

 生物学的には正しくない寓話だけど、カエルは、いきなり熱湯に入れると驚いて逃げ出す。ところが、常温の水に入れてゆっくりと水温を上げていくと、逃げ出すタイミングがわからないまま最後には茹でられて死んでしまうという。

 つまり、僕たちは沢井氏の親への手紙を届けることは熱湯として拒絶するけれど、ステーキというぬるい温度の要望は叶えるかもしれない。恩義を受けたという気持ちもあるし。

 で、一旦ステーキという要望を叶えたら、その要望を叶えたこと自体を根拠として、もうちょっとだけ温度の高い要望が出される。そしてその繰り返しの中でずるずると温度が上がり続けて、いつの間にか僕たちは沢井氏の親への手紙を届けていて、共犯関係になっているってことだ。

 そして、その行き着く先は茹で上がった破滅ってこと。


 これは怖い。

 だから、僕たちは職場研修でもこう言われている。

「恩義を受けたとしても、それが不正に立脚するものだとしたら、それは1つ目の誤りだ。そして、その恩義に報いるために法をまげたら、それは2つ目の誤りになってしまう」と。

 つまり、誤りは1つにしておけということ。だから、問題は僕たちの気持ちなんだよ。恩義を受けても、それを忘れたように振る舞わなければいけないし、辛くても耐えるしかないんだ。


 

「そうですか。

 あなたが僕たちとの良好な関係を保ちたいと言われるのであれば、僕たちにも異存はありません。

 共存は不可能ではないでしょう。

 ただ言っておきますが、僕たちはあなたが沢井さんだということを疑っています。そして、あなたが本当に沢井さんだという確証を得たら、僕たちは通報しないといけないんです」

 僕、言いながら思うんだけど、なんてわざとらしい一線なんだ。


 司法取引なんて概念もあるけれど、それは僕たちみたいなぺいぺいが判断できることじゃない。だから、白々しくてもこう逃げるしかないんだよ。

「知らなかった」「疑っていたけど証拠がなかった」は、まぁ許される。だけど、「庇っていた」は絶対に許されないからね。


「生宝の件を知っていて、私自ら名乗っていても、なお私が沢井ではないと?」

 おお、ツッコんでくるねぇ。

 でも、その必死さに逆に安心したよ。


 沢井氏は沢井氏で、追い詰められた気持ちでいるんだな。つまり、「死刑になってもいいから帰りたい」とまで思っているということだ。

 でも、まぁ考えてみればさ……。

 沢井氏が江戸から離れてどこかの寒村に身を潜めたら、時間整備局だってその捜索には手がかかる。時間をピンポイントで特定して、移動の後を追わなければだからね。でも沢井氏は、未来の自分の時間との接点があるかもしれない「はずれ屋」から、離れることはできなかったんだ。


人間の持つ故郷へ向かいたい気持ちってのは、つくづく不思議なものだよねぇ。僕たちだってその気持ちは痛いほどわかるよ。


 僕に代わって、是田が口を開いた。

「あなたが江戸で時間整備局局員をオチョクッて、私たちの対応を動画サイトに上げようって人ではないと証明できますか?」

 是田が質問に質問で返す。

 さすがに上手いな。

 これでもう、ここにいる沢井氏が本人と認められるかどうかは水掛け論になってしまった。


 沢井氏、下唇を噛んで一瞬間考えていたけれど、いきなり妙にさばさばとした表情になった。

「わかりました。

 諦めますよ。

 でも、最後にもう1つだけ教えて下さい。

 あなたたちは、どのような目的でここへ跳躍してきたのですか?

 時間整備局職員は、申請のあった案件の完了確認のために跳ぶものだと思ってましたけれど……」

 うん、さすがは時間跳躍機のオペレーターだけあって詳しいね。


「政策自主研究として、申請者たちにモデルケースとして見てもらうための優良事例を作るためです」

 と、是田。

「ほう、そんな仕事もあるんですね」

「イレギュラーな仕事なのは間違いないですよ」

 と、僕。


「具体的に、どんな事例だと優良と見做されているんですか。

 後学のために教えて下さいよ。

 あ、私に後学は意味がないとか言わないでくださいよ」

「そんなことは言いませんよ。

 さっきも言いましたが、あなたが沢井氏だという確証を私たちは持っていないのですから。

 あくまでですが、人道的措置ですよ。

 今回は、江戸の技術で隅田川の中洲まで水道を引きたいということです」

 僕の説明に、沢井氏(仮)は驚いたという表情を見せた。


「まぁ、詳しくは後ほど。

 ここだといろいろな人に聞かれかねませんし、開店準備でてんてこ舞いの佳苗が、遠慮しながらも怖い目でこちらを見ています」

 是田がそう話を中断した。

 うん、客まで並び始めていたね。

 ごめんごめん。

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