第6話 女衒商売


 で……。

 生宝いほう氏を探し当てられなかったら、いよいよ大江戸八百八町で僕と是田は生き抜かなければならない。ここでいきなり野垂れ死んだりしたら、それこそ犬死だ。

 芥子係長にとって、僕たちの命がたんぽぽの綿毛より軽くても、僕たち自身にとっては唯一無二の自分の命なんだから。


 もしかしたら、芥子係長が人事異動でいなくなった後に、次の係長が率いる三係の面々がこの時代に現れることだってないとはいえない。事故現場の確認ってことでね。

 生きてさえいれば、拾ってもらえるかもしれない。だから、生き延びなきゃ。

 確率論的には絶望の数字だけど、そこに希望を繋いで。



 こうなったらもう、座り込んでいても仕方ない。

 寒いし暗くなってきたし。


 生宝氏の計画は、以下のとおり。

 時間跳躍機で新宿、おっと、内藤宿に来て準備を進め、甲州街道に網を張る。

 明日早朝、馬でここを駆け抜ける信州松本藩士を見つけたら、人目を避けられるポイントで彼を塩尻の先まで空間転移させる。

 この時代の新宿は未だに原野の広がる田舎の一画に過ぎないし、まだまだ木々の生い茂る場所も多い。だから、松本藩士を人目につかずにピックアップするチャンスは、いくらでもある。

 そして、塩尻、松本城の間でドロップオフするのはさらに楽なはずだ。



 だから僕たちは、内藤宿に向かって歩き始めた。たかが6kmくらい、一時間半も歩けば到着できる。

 内藤宿も非公式とはいえ一応は甲州街道の宿場、生宝いほう氏に縋らなくったって、宿だってごはんを食べるところだってあるはずだ。いくら遭難状態でも、公務員が申請者にそこまでは甘えられないからね。


 ただ、真っ暗になってしまったら、生宝氏を探すのも大変になる。

 急がなくては、だ。



 急ぎ足に歩き続け……。

 長いようで短い時間だったと思う。

 内藤宿の手前、いくつかの建物が見えだしていて、太陽は富士山の見える山際にかかっていたけど、まだ空は明るかった。


 そこに生じた違和感に、僕は顔を上げた。

 その正体は、したしたっという複数の足音。

 横で、無言のままもくもくと歩き続けていた是田も、同じく視線を上げる。


 女の子だ。

 お世辞にも綺麗とは言えない粗末な着物を乱し、髪も乱し、必死に駆けてきている。

 その後ろからは、小綺麗ではあるけれど、あまりまともそうではない男が追いかけてきていた。


 僕と是田は顔を見合わせた。

「どうする?」

 という意志の確認だ。


 僕たち、基本的に現地人同士の揉め事には手を出さない。

 手を出したら、法的にまずいからね。「察知回避義務」どころか、無許可での時間改変だ。

 でも、それは手を出さなくて済むからという側面も大きい。時間跳躍機があれば、文字通り問題を避けて通れるからだ。

 だから、たぶん今回は逃げられない。

 だって、ほら、時間跳躍機が係長ごと行方不明なせいで、俺たちはここから逃げられないから。


 俺たちが対応に迷っている間もあらばこそ。

「お助けくださいっ」

 そう言って、娘、僕の後ろに回り込む。

 次の瞬間には、追いかけてきた男が俺の目の前に立っていた。


「旦那、その娘っ子を渡しちゃくれませんか」

 うん、歯切れがいいな。鯔背いなせな若いもんって感じがする。もっとも、ガラも悪いけど。

 下から睨みあげる目つきが、うん、係長にそっくりだ。たちが悪くて。


「渡したっていいけどさ。

 ただ、お前さんがかどわかしではないってことは知っときたいね」

 僕、そう答えた。

 まぁ、まだ僕は中立だ。

 この娘を渡すにせよ庇うにせよ、後の時間の流れに影響を及ぼさないという一点が判断の根拠になる。だから、この言葉は事なかれ主義から出たものに近い。

 つまり、言い訳を聞いてちょっとでも筋が通っていたら、この娘を引き渡せばいいんだ。


「あっしは、まぁ、あまり大きな声じゃ言えませんが、女衒ぜげんをやってましてね。

 その娘は、5両で本人から買ったんでございやすよ」

「えっ、本人からってどういうことだい?」

「あっしの知ったこっちゃありませんが、この娘が5両で自分を売るっていうから、買ったんでやすよ」

「じゃ、経緯はわからないにしても、お前さんの方が正しいってことになる。

 つまりさ、この娘が勝手に逃げ出したってことなんだね?」

 俺は、そう答える。


 過去の人身売買について、僕たちの時間の常識で偉そうなことを言ったってなにも良いことはない。もう少し大々的に人道的時間改変がされて、そういう習慣がなくなった後ならともかく、だ。

 それに、自分で自分を売るなんて、踏み込んだらヤバそうな事情があるに決まっている。


「娘、この人の言うことが本当ならば、諦めて戻るんだな」

 と、これは是田。

 こういういざこざに踏み込まないって意味じゃ、僕と是田は同じ考えだから、同じような対応になる。


「こ、この人の言うとおりではございますが……」

「は?

 が……、のあとはなにが続くんだい?」

 と、これは僕。


「この身を売ることは納得しております。

 とはいえ、この女衒に抱かれる筋合いはございません。

 私は、この女衒の商品であって、慰みものではございませぬ」

「ふざけんな。

 あっしが買って、あっしが売るまでは、お前はあっしのもんだ。

 煮て食おうが焼いて食おうが、お前に口を出せる筋合いはねぇ。

 なのに、あっしのきんたま蹴飛ばして、あまつさえ逃げ出すたぁ、何事だ!!」

「逃げてはおりませぬ。

 現に、ここまで一緒に来たではありませぬか」

「あー、わかった、わかった」

 と僕は、2人の口論に割って入った。

 女衒の男と娘に挟まれて、真ん中で聞く口論はよりやかましく感じるんだ。


「では……」

 って、僕の体の裏表から声がする。

 って、僕に大岡裁きを求めるんかいっ。って、大岡忠相はもっとずっとあとの時代の人だけど。

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