時空系公務員の受難
林海
江戸に置き去り……
プロローグ 僕たち、置き去り
あえて言おう。
すべての間違いは、暴走した世論のままになされた「歴史維持法」から「改正時間整備改善法」に至る、立て続けの法改正だった。
つまり、「歴史は守られるべきもの」から、「『人道的ではない』と社会通念上判断できる事由があれば、歴史の改変は許容される」と世の意識が変わったのだ。
世界政府直轄のお役所、「歴史維持局」は「時間整備局」に組織改編させられ、僕たちの仕事の中身はまったく別のものに変わった。
そのおかげで因果は巡り巡って、時間整備局職員の僕、
僕たちを放り出したのは、時間整備課時間改善四係、
直接に係長を怒らせて、この時代に置き去りにされる事態の原因を作ったのは是田。
一体全体、これから先どうしたら……。
今や歴史自体は理屈が合えば
だけど、その申請書を「改正時間整備改善法」に沿ってチェックし、「人道的ではないから」とふるい落とす仕事をしてきた僕たちには、江戸での無双を実行しようなんて気持ちにはなれない。
かと言って、必死で守らなきゃとも思わないんだけど、ね。
それに、いくら置き去りにされたからって、歴史改変を無申請、無許可のまま行えば極刑が待っている。
「改正時間整備改善法」違反の罰則は、懲役ですらない。
いきなり終身禁固か死刑なんだ。つまり、国家が存在した時代の、「国家反逆罪」に相当するほどの重罪ということだし、死刑廃止論者ですらぐうの音も出ないほど論破されて、「この法律違反に関してのみは」と、賛成に回ったらしい。
例えば今だって、なにか未来のものを江戸のここに持ち込めていて、それを売って大儲けできればしばらくは楽に生きていける。だけど、それは明確に「改正時間整備改善法」違反になる。
時代を超えて行う時間貿易で有罪になったら、情状酌量の余地はまったくない。ほぼ例外なく、地裁レベルでもいきなり死刑だ。ちなみに過去の判例で、控訴や上告をしたとしても判決が覆った例はないし、再審請求が通った例は皆無だ。
そして、僕たちは公務員で、事務分掌上この法律の許認可運用をしている以上、この法による制限を「知らなかった」という言い訳すら許されない。
大体において、僕と是田ほど冒険に不向きな人材はいないだろうな。
かつて、別の世界や時間軸に転生するとか、転移するとか、そういう小説が流行った時代があるらしい。この、現在僕たちがいる国で、だ。
今や僕はそういう小説の主人公と同じ立場で、心ならずも江戸時代に転移してしまったということになる。しかも歴史は変えていいわけだから、「改正時間整備改善法」抜きで考えれば無限に広がるゲームフィールドにいるんだとも言える。
ところが、僕たちは許認可系の仕事をしていた公務員で、他の時代とか、他の世界で生き延びていく
江戸幕府だって相当高度な行政力を持ってはいるけれど、法解釈や過去判例の読み込み、申請案件の行政訴訟対応を踏まえた許認可判断なんて僕たちの能力、近代法成立以前の時代だからなんの役にも立たない。
まぁ、そもそも江戸幕府は世襲制だから、就職できないけれど。
ちなみに許認可系の仕事をしたことがある公務員であれば、たいてい一つや二つ行政訴訟で訴えられて、被告席に座った経験を持っている。
あまりにクレーマー側の度が過ぎると、ラウンド法廷で和解勧告なんてこともある。
ま、住んでいるところの地方裁判所に行ってみるといい。本日の裁判予定が貼り出されているけど、いかに行政訴訟が多いかわかる。
そして日々、かなりの数の勝訴を行政側は得ているのだけれど、それが報じられることは決してないんだ。
負ければ大騒ぎで、どんな小さな案件でも全国的なニュースになってしまうけれど。
それらに対する細心の注意を要するノウハウは、近代法成立以前の江戸ではまるっと必要とされないから、僕たちは新たに別の生き方を探すしかない。
それに……。
僕独りならまだしも、是田という馬鹿と一緒に置き去りだ。
是田という
うーんと、是田の人生は、ボーリングで説明できるんだ。
こいつが投げるボールは、基本的に真ん中のピンを正確に外すので、絶対に全部のピンを倒すことはできない。そして、まれに真ん中のピンに玉が当たると、ど真ん中過ぎて両脇のピンが残る。だからいつもストライクは取れないし、真ん中に入れば入ったで、スペアさえもなかなか取れないんだ。
しかも、過去に一度ストライクを取ったことがあると本人は豪語するんだけど、それは隣の無関係の人達のレーンに間違って乱入して投げた結果なんだよね。
一事が万事、是田のやることは、的を外している。こんなヤツと一緒ってのは、先行き真っ暗だよ。
そして、だ。
とりあえず、どこの世界であっても最強の道具、「先立つもの」さえも僕たちは十分に持ってはいない。
僕たちは、この時代の小粒(一分金、およそ1万円相当 )を身体のあちこちに忍ばせてはあるものの、2人あわせても10両(40万円相当)にも満たない額だ。
この小粒は時間を超える出張の際に、非常用として「時間整備局」から持たされているものだ。つまり、個人のポケットマネーではないから、使っちまうと自分たちの時代に戻れたとしても、始末書を書かされることになる。そして、使っちまった
公務員社会は減点主義だから、功績はほぼ考慮されない。
異動して、運悪くその時期からクレーマーが現れだしたとしたら、その職員の責任にされて評価は下がり、出世の道は閉ざされる。そういう理不尽さが、いつでもつきまとっている社会なんだ。
だから、始末書を書いたなんて過去は、退職まで付いて回る。その中身の良い悪いではない。「始末書を書いた」ということ、それ自体がアウトなんだ。だって、非常用に用意された小粒を使ったということは、最初に立てた出張計画に不備があった、つまり計画が立てられない職員だという論理になるからね。
減点主義を象徴することだけど、人事課に配属されると賞罰の「罰」のある職員を全員覚えさせられるって話もあるくらいだ。職員の「賞」を覚える必要はないらしいけどね。
行政系、技術系どっちにしても、そういう公務員の掟は鉄壁だったし、新たに生まれた僕たち、時間系の公務員もそういう文化を引き継いでいる。
つまり……。
今や人類寿命200歳時代、勤務期間も100年を超える。
たとえ自分の時間に戻れたとしても、もはや、僕たちの人生は一世紀の期間、ずーっと浮かばれないってことだ。
これ、どう転んでも、僕たちの人生は終わりなんじゃないだろうか……。
そんな予測が浮かんできて、僕、江戸の夕暮れの中で暗澹たる気持ちになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます