第2章 美少女と彼女
第25話 彼女と登校
朝の冷たい空気が布団からはみ出た顔を覆い尽くし、自然と目が覚める。しかしすぐに目は閉じて、無意識のうちに乱れた布団にくるまる。それから再び意識が呼び覚まされ、重く閉じた瞼が段々と上がっていく。意識はまだ朦朧としていた。ぼんやりとした視界の向こう側にあるのが、いつも見上げている天井だと気付くまでにしばらく時間がかかるくらいだった。
そして、朝の冷気に身を曝されながらも、ようやく起き上がる。
いつもと同じ天井。いつもと同じような目覚め。いつもと同じ部屋の風景。
しかし、心のなかはいつもと違う感覚だった。気持ちが高ぶっていたのだ。
いつもと同じ朝じゃない。
思い当たることはあった。頭のなかに真っ先に浮かんだ心春だ。
そうだ、俺が長い間想い続けてきた心春は、もうただの幼馴染じゃない。俺の彼女なんだ。
「心春が俺の彼女か……」
言葉にしてみるだけで、ひしひしと実感が湧いてきて、朝の寒さで奪われた精気が取り戻されていくようだった。
そんな高揚感に身を包まれながら、俺は時計を見る。
あっ、やっべ……
俺は急いで学校の準備をして、階段をかけ降りた。
※ ※ ※ ※ ※ ※
「あれいつもより早いわね?」
既に制服に身を包んだ状態で朝食の席に現れた俺を見て、母親は驚いたように俺に問いかける。
「ちょっとね……」
何とか言葉を濁す。彼女ができたとか、母親に面と向かって言うのは恥ずかしすぎる。
「ねぇ、それって……」
俺の視界の端で朝食を食べていたパジャマ姿の花恋がニヤッと口角を上げた。
「彼女さんのお迎えですか?」
「なっ!?」
「あら」
花恋の野郎、なぜ知っているんだ!? まさか、また……
力強く花恋を睨み付けると、花恋はニヒヒっと笑ってみせた。
「夜に窓を開けるなんて不用心ですよ~」
やっぱり。
「お前、また盗み聞きしていやがったな」
俺が問い詰めようと近付くと、花恋はわざとらしく手を横に振った。
「違う違う。昨夜ぐーぜん部屋の窓を開けていたら、ぐーぜん二人が話しているときで、ぐーぜん私の耳にもそれが届いただけだよ」
「ぐーぜんで済んだら警察は要らないんだよ!!」
何がぐーぜんだ…………十二月の極寒の夜に窓を開けるやつがいるか!!
「良かったねー、お兄ちゃんの片想いじゃなくて」
相変わらずムカつく笑みを浮かべている花恋だったが、まるで自分のことのように俺と心春のことを喜んでくれているようだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※
うーん、ピンポンする勇気はないよな……
昨夜の勢いはどこへ行ってしまったのか、心春の家を前にして急に緊張してきた。
一体どんな顔をして会えばいいんだろう?
「行ってきまーす!」
そう思った矢先、扉がガチャリと開いて、心春の元気のよい声が漏れ出してきた。
「あれ、ひかる……?」
心春は俺と目を合わせるなり、赤面した。さすがに昨日の今日のこと。何事もなかったかのように会うなんて、仏でも不可能だ。
「待ってた。一緒に登校しようと思って……」
「で、でも、他の生徒に見られたら……そ、その…………恥ずかしいよ……」
心春は恥ずかしそうに下を俯いた。
「それでも……途中まででも良いから、一緒に行きたい」
「……うん」
「行こっか?」
心春は静かに頷いて、俺たちは歩き始めた。心春は少し下を向いて、俺は心春の横顔を横目でチラチラと忍び見ながら、互いに無言のままで進んでいった。
何を話せばいいのか分からない。今まで心春とどういう話をしていたのか思い出せなくなる。
互いの手の甲が微かに触れて、ビクッと肩を揺らす。心春の小さくてすらりとした手に目が行く。
お化け屋敷で怖くないように、ナンパ避けに、寒そうだから、etc.
今まで幾度となく繋いだ手。言い訳をして掴んだ手。
でも、もう言い訳なんて要らない。
俺は心春の手をとってギュッと握りしめた。ピクッと心春は肩を震わせた。心春がチラリとこちらの顔を覗いているのに気づいていながら、俺は必死に目をそらし続けた。今まで手を繋いできたときよりも、明らかに体は熱くなっていた。
すると、心春はもぞもぞと手を動かし始めた。
昨夜俺たちのペースで進んでいけばいいって言ったばかりなのに、手を繋いで登校なんて急ぎすぎたか?
俺が慌てて心春から手を離そうとすると、心春はその手を離さずに、俺の手に指を絡めた。それはいわゆる恋人繋ぎ。
思わず心春を見ると、横から覗く心春の耳は真っ赤に染まり上がっていた。
心春がチラッとこちらを見れば互いに赤面した状態で目が合って、お互い急いで顔を逸らせた。気まずい。
「じ、実はこうやって二人で登校するのって初めてだよね?」
「あ、ああ、確かに……家は隣なのに、心春と一緒に登校しているのがすごい不思議だ……」
あれ?
「ってこれ、初めて一緒に下校したときも同じような会話してたぞ?」
俺が思わず笑みを溢すと、心春の緊張した面持ちも崩れて、笑みを漏らした。
「あれ、そんなことあったけ?」
「ほらほら、文化祭準備で居残ったときの……」
「ああ! あったね、そんなことも……ふふっ」
「楽しかったな文化祭……二学期がもう終わりなんて早いね」
「うん、あっという間だった」
心春は感慨に浸るように言った。
「そういえばさ、みんなに伝える? 俺たちが付き合ってること」
「絶対無理! 『私たち実は幼馴染です』ならまだしも、『私の彼氏です』だなんて恥ずか死ぬ」
「確かに……俺の場合はマジで死ぬ、殺される」
心春はキョトンとした様子で首をかしげた。
「でも、渚とゆずにはちゃんと伝えときたいな……相談とかもしてたし……」
「心春、恋愛相談してたんだ……」
思わず顔がにやけてしまった。心春が本当に俺のことを好きなんだということが、夢ではなかったのだと思うと、むず痒いようですごく嬉しい。
「やっぱなし! 今のなし!」
手で顔を隠しながら全力で否定する。かわいい。
「ひかるは上原くんとか沖村くんには話さないの?」
心春は無理やり話の軌道を修正する。その頬はまだ赤みを帯びている。
「颯心ならまあ……凌平には絶対に言わない。俺が死ぬのがオチだ」
「なにそれ、どういうオチ? バットエンド?」
心春はクスクスと笑って言った。
決して冗談じゃないんだけどなあ……
「だから凌平には言えないから、颯心にも言わない。でも、心春が七瀬と藤島に伝えたいなら、それは全部心春に任せるよ」
駅に着いて、改札の前で二人で登校する時間はあっという間に終わってしまう。
「じゃあ、俺は疑われないようにいつもの時間の電車に乗るから」
「うん、また学校で会おうね」
「ああ」
絡み合わせた指を名残惜しくもゆっくりとほどいていく。
しかし、離しかけた手に、心春は指をもう一度絡め直した。
「心春?」
「やっぱりさ……ホームまでは一緒にいかない?」
「……うん、いいよ」
もう一度手を握りしめてから、俺たちは駅の階段を上っていった。心春が出来るだけゆっくりのペースで足を動かしているのが分かる。そんなことをしても電車が来る時間は変わらないから結局同じなのに……
そんなことを思いながらも、可愛い彼女に歩幅を合わせた。
「じゃあ、今度こそお別れだね……」
「ちょっとちょっと、そんな暗い顔するなよ、今生の別れってわけじゃないだろ?」
少し寂しそうな顔をする心春にニコッと笑いかけて、自分の目線にある心春の頭に軽く触れた。心春も頬を上げてニッコリと笑った。
線路の向こうの方から、電車が向かってくる音が聞こえてくる。
心春は俺の腕を引き寄せて、頭を俺の肩に落とした。そして俺の腕をギュッと抱き締めた。
「ど、どうしたんだ、心春!?」
「……ひかるだって昨日同じことしてたでしょ?」
「まあそうだけども……」
俺だって名残惜しいのは同じなのに。こんなに強く抱き締められたら、このまま離れることができなくなりそうだった。
「心春、電車来てる……」
「うん……でも、もう少しだけ……」
そして電車の扉が開くと、心春は強く抱き締めていた俺の腕を素早く離して、後ろも振り返らずに電車に駆け込んでいく。俺はその場を動けないまま、心春の後ろ姿を目で追いかけた。
電車に乗った心春は、顔を真っ赤にしながら、それでも名残惜しそうにこちらに振り向いて、胸の前で控え目に手を振った。
ああ…………。
体に残った温もりの幸福感。だが、それと同時に周りからの視線が物凄く痛い。
早く電車来てくれ!
※ ※ ※ ※ ※ ※
はあ……
思い出しただけでも恥ずかしくなってきた。
何でさっき私はあんなことをして……どうやら今まで気持ちを抑えていた分の反動らしい。さっきは想いが溢れて止まらなくなってしまった。一度ダムが決壊したら水は止まらなくなる。
つまり、そういうこと。
水は止まらないくせに、後から恥ずかしさだけが込み上げてきた。
「あっ、心春。おはよう」
「おはよーう!」
「お、おはよう……」
二人の顔を見るなり、心臓の鼓動が速くなっていくのを感じた。
自分の席の方へ歩いていくと、二人もちょこちょことついてきて、近くの席に座った。
それからいつものように雑談に流れていくけど、全然話が入ってこない。
二人にひかるのことを伝えたいんだけど、それを阻止したいかのように心臓の鼓動が増してくる。
ううっ……なんか急に緊張してきた……
「心春、どうかしたの?」
「……えっ?」
「いやなんか上の空だから……」
「心春ちゃん、私の聞いてた?」
「あっ、ごめんちょっとボーッとしてた」
「もうひどいっ! じゃあ、最初から話すけどね。まず駅の近くに素晴らしい水族館があるらしくて……」
話始めようとしたゆずだったけど、言葉を止めて、私の後ろの方へ視線を向ける。
「あっ、秋谷くんおはよー!」
無意識のうちに体がビクッと反応した。
「……ああ、おはよう」
恐る恐る振り返ると、ゆずの視線の向こうにいたのはひかるだった。ひかるの顔を見ると、ひかるはプイッと顔を逸らして、自身の席に座った。それから一向にこっちを見ない。
もしかしてひかるも意識してる? いつもなら全然顔に出さないのに、今日は動揺が隠せてない。
「心春、何かあった?」
「えっ!」
横を見ると、渚がジトーっと私の顔を見つめていた。
「顔にすごい出てるよ」
「ッ!?」
思わず自身の頬に触れる。ひかるのことを言えないくらい私の顔も熱くなっていた。
隣に座っていたひかるも、居心地の悪そうな様子で立ち上がる。
「秋谷、何があったの?」
ひかるの様子がおかしいのにも気付いた渚は去ろうとするひかるを呼び止めた。
「……別に何も」
そのままひかるは逃げるようにして上原くんと沖村くんのところに走っていった。
「何があったの、心春ちゃん?」
「いや、そのですねぇ……えっと……」
「ははーん、そういうことね」
私が言葉に詰まっていると、渚は全てを察した様子で言った。
「な、なぎさ……?」
「あとで洗いざらい話してもらうからね。どっちから告白したのかとか」
すぐにバレた……完全にバレた……別に後から話すつもりだったから良いけどさ!
恥じらいからまたも体温が上がっていっているのが分かる。
「えっ、そうなの……?」
ゆずが私の顔を覗き込む。私が黙ったまま目を逸らしていると、ゆずもそれが肯定の意だと気付いたようで満面の笑みを浮かべる。
「うそっー! おめでとう、心春ちゃん!!」
ゆずが笑顔で私の手をギュッと握り、激しく上下させる。
「あ、ありがとう……」
二人に伝えられたのはいいけど、すごい恥ずかしいよ……
「それでそれで!! どっちから告白したの!?」
「告白の言葉は?」
「待って待って、落ち着いてよ二人とも」
そのあと二人には昨日のことを話した。自分のことのように喜んでくれるのは嬉しかったけど、さすがに恥ずかしすぎました。
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