第103話 西への出立
東の森でカーズと密会した翌日。
俺はゼネヒットの西門前で、とある人物を待っていた。
そろそろ正午に差し掛かる時間だろうか、顔に差し込んでくる日光を遮るために、俺は頭のフードを深く被り直す。
抱えた膝に額を押し付けながら、こっそりと周囲の様子を伺う姿は、どこか怪しく見えるかもしれない。
とはいえ、他にも同じように座り込んでいる人間が大勢いるため、疑われる恐れは少ないだろう。
大勢の奴隷にひかれる荷車や、何やら荷物を運んでいる馬車など、西門前は意外と動きが多い。
そんな中で俺が待っている人物はというと、クリュエルだ。
昨晩、カーズから聞いた話を受け、少し考えた俺はメアリー救出に手を貸すことにした。
なにしろ、メアリーは俺にとっても、記憶の欠片という重要な意味を持っている人物だ。
ここらで一度、恩を売っておくのも悪くない。
まぁ、当然ながらヴァンデンスや母さんには渋い顔をされたけど……。
「ねぇ、ニッシュ。あれ、クリュエルじゃない?」
体育座りをしている俺の、膝下に潜り込んでいたシエルが囁きかけてくる。
どれだよ、と小さく呟いた俺は、西門の方に目をやる。
確かに、それっぽい一人の女性が、馬に乗ってこちらに近づいて来ている。
俺と同じようにフード付きの外套を羽織ってはいるものの、顔を隠すつもりは無いらしい。
肩に背負っているのは、旅の荷物だろうか。ボロボロの袋を担いでいる。
昨晩話した時に、「出発する前に準備が必要だ」と言っていたが、これの事だろう。
堂々と進むその姿を一瞥した俺は、しかし、何か挨拶をするでもなく、彼女が目の前を通り過ぎてゆくのを見届けた。
クリュエルもまた、道端に座り込んでいる俺達に視線を投げることなく、黙々と足を動かしている。
そうして、彼女が俺の目の前を通り過ぎていった数分後に、俺はゆっくりと立ち上がった。
地べたにうずくまっていたシエルも、俺に合わせて動き出す。
なるべく自然な素振りで、西に向けて歩き出した俺は、少しずつ歩調を速めた。
本来であれば、馬車か何かで出発することができればよかったのだが、あいにく俺は一般の市民とは言えない。
妥協案として、傭兵としてゼネヒットの中に入ることができるクリュエルが、馬を一頭借りることになったのだ。
出来れば、この先の道で待ち合わせることができれば良かったんだが……。
「俺、よく考えればゼネヒットの東側の地理しか知らないんだよなぁ……エリオット領なんて、そもそも聞いたことなかったし。あ、旧……か」
「今は、ロゴフスキ領だったかしら? その辺の話は正直、私も頭が混乱しそうだわ」
少し先を進んでいるクリュエルの後を追うように、小走りを始めた俺は、周囲を見渡した。
ゼネヒットは広い平原のど真ん中にあるらしく、東も西も、平坦な道が続いている。
そんな平原の端々に、小さな森や山が連なっている感じだ。
特筆する点があるとすれば、近くに俺たちが住んでいるダンジョンがあるくらいか。
そして、俺達が目指しているロゴフスキ領とやらは、ゼネヒットから西に2日の位置にあるらしい。
「なんて村だったっけ?」
「デカウ村……とか言ってたわね。詳細は後で、聞きましょ。今はそれよりも、合流しなきゃ」
「そうなんだけどなぁ……なんか、思ってたよりも進むの速くない? 合流がゼネヒットに近すぎたら、バレる可能性があるのは分かるけど。もう少しペースを落としてくれても良いよな?」
「……がんばれニッシュ」
「くそっ! シエルは良いよなぁ、俺の肩にしがみついてればいいんだからよぉ~」
口から漏れ出る弱音を吐き切った俺は、周囲に人がいなくなっていることを確認し、大きく息を吸った。
そして、先を進むクリュエルに向かって駆け出す。
走ってしまえば意外とすぐに辿り着くもので、彼女の馬に追いついた俺は、改めて周囲の視線を警戒しながらも、馬に飛び乗る。
「遅かったじゃないか」
乗り慣れていない馬の背中に、苦戦する俺。
そんな俺に向けて、クリュエルが肩越しに声を掛けてきた。
「そうか? まぁ、リスクはなるべく避けた方が良いからな」
正直に文句を言いたい気持ちを押さえつけ、俺は強がってみせる。
そんな俺の強がりをすでに見抜いているのか、クリュエルは小さく鼻を鳴らすと、自身の腰をパンパンと叩いて見せた。
彼女の動作の真意を測りかねた俺は、思わず問い返す。
「ん? 何?」
「掴まれ」
「へ? なんで?」
「満足に騎乗できないのなら、アタシにしっかりと掴まれ。じゃないと振り落とされるぞ?」
「あぁ~! そういうこと」
口では納得して見せた俺だったが、心の準備はできていなかった。
とはいえ、全く支えのない状態を続けることは到底不可能だ。
背に腹は代えられない、と意を決した俺は、両腕でクリュエルの腰に抱き着いた。
途端、女性特有の柔らかな肉感が両腕に触れる。
俺の短い腕では、彼女の腰に抱き着いてどれだけ両手を伸ばしても、手が届くことはなった。
仕方がないので、クリュエルの横腹辺りに手を添えておく。
これは完全に俺の偏見なのだが、彼女の身体はもう少し硬いのだと、思っていた。
「もっとしっかりと掴まれ。そんなことじゃ、あっという間に振り落とされるぞ」
「えぇ!? わ、分かった!」
手を添えるだけではダメらしい。
どうすればいいものかと考えた挙句、腹を括った俺は、両手でしっかりと彼女の腹筋にしがみついた。
手のひらや二の腕から、汗がにじむような熱がじわじわと伝わってくる。
そんな折、クリュエルが何かを堪えるように、小さく息を漏らした。
「……っ!?」
咄嗟に腕の力を弱めそうになった俺に対し、シエルが告げる。
「ニッシュ、あんた、そういうところは年相応なのね……」
「当たり前だろ!? ほっとけ! こちとらまだまだ9歳だ!」
前回の記憶を含めれば、プラス10歳。それ以外も全て含めたら……俺は何歳になるんだ?
悠長にそんなことを考えていられたのは、ほんの数秒だった。
なぜなら、俺がしっかりと掴まったのを確認したクリュエルが、馬に合図を出したからだ。
当然、発破をかけられた馬は指示に従い、全速力で駆け始める。
そうなってしまえば、俺はもう、必死にクリュエルにしがみつくしかできないのだった。
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