第104話 小さな罪悪感
ゼネヒットを出発してから6時間くらいが経ったのだろうか。
西の空をオレンジ色に染め上げている太陽と、少し冷えてきた風が、時間の経過を教えてくれる。
流石に暗い中進むのは危険とのことで、野宿の準備を終えた俺とクリュエルは、焚火を挟んで対面に座っていた。
火の傍には、ベーコンを貫いている数本の木の棒が突き立てられており、香ばしい香りを放っている。
もうすぐそれらのご馳走にありつける、と腹の虫を鳴かせていた俺の頭の上で、シエルが思い出したように呟いた。
「そういえば、今回の経緯を道中に教えてもらえるって話だったけど、いつになったら教えてくれるわけ?」
彼女の言葉を聞いて思い出した俺は、ボーっとしている頭を覚醒させながら呟く。
「そういえばそうだったな……忘れてた」
「ニッシュ、あんたねぇ……」
そんな俺達のことを一瞥したクリュエルは、だるそうに溜息を吐くと、ゆっくりと話し始めた。
「経緯か……まぁ、知っておいた方が後々のためにもなるか」
そこで一度言葉を区切った彼女は、おもむろにベーコンの棒に手を伸ばし、それを口に運んだ。
その様を見た俺は、同じように棒を手に取ると、ベーコンにかぶりつく。
香ばしい肉汁が口いっぱいに広がり、俺はその幸せをこれでもかと言うほどに噛み締めた。
一通りベーコンを食い切ったところで、クリュエルが再び話し始める。
「お前たちは、エリオット家のことをどれだけ知っている?」
「全く知らん」
「そうか……」
ベーコンの刺さっていた棒を、焚火に放り投げたクリュエルは、水筒の水を一口飲むと話を続ける。
「旧エリオット領は、エレハイム王国において最も穀物の生産量が多い地域だ。領土の半分以上が農地で、当然ながら、課せられている税の大半も穀物によるものが多い……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。えっと、そんな難しい話なのか? 俺、経済とか政治とか、よくわかんないんだけど……」
突然始まったクリュエルの解説に、思わず戸惑った俺は、彼女の言葉を遮った。
思っていた話と全然違う感じで、正直困る。
エレハイム王国? 穀物? 領土? 税?
聞くのは良いけど、せめてメモを取らせてほしい。
と、俺が困惑を表情に現している間、クリュエルはじっと俺のことを睨みつけてくる。
その視線には、並々ならぬ怒りが込められているようで、ついにはその気持ちが言葉として出てきてしまったようだ。
「……続きを話しても良いか? アタシは話を遮られるのが、大嫌いなんだ」
「……すみません、続きをお願いします」
ここは素直に謝っておこう、と謝罪を口にした俺は、直後、その判断を後悔することになる。
「ん。で、だ。エリオット家の当主はより効率的に収益を上げる方法を考えた。それが、ウォルフ家の持つ交易路を取り込み、安価で他の地域に穀物を売り出すという案だ」
『ウォルフ家!? ちょっと待て、ウォルフ家はどこから出てきた? 察するに、商人の家なのか? だから、販路を持っているということ? その販路を利用したい……と』
淡々と話を始めた彼女の言葉を、もう一度遮る勇気もなく、俺は頭の中で話を整理することに専念した。
「そしてその案は、ある程度成功の兆しを見せていたんだ。それはもう、エリオット家とウォルフ家の間で血縁関係を結ぶほどに」
『血縁関係? 要するに、政略結婚か? これまた察するに、メアリー・エリオットがウォルフ家の誰かと結婚したってことかな? いや、これはただの推測だよな』
情報量の多い話に困惑しながらも、俺は俺なりに話を整理してゆく。
しかし、そんな俺の状況を鑑みることなく、クリュエルは話を続けた。
「だが、そんな両家の動きを快く思わない者が現れた。それが、ロゴフスキ家を筆頭とする他の貴族だ」
『ロゴフスキ家!? あ~、それが、現在のロゴフスキ領を統治してるのか……ってか、次々に新しい単語を出してくるなよ!?』
「彼らにとって、エリオット領の穀物が他の領地にて安価で取引されてしまうことは、なんとしても避けたかったんだろう」
『なるほどな……エリオットとウォルフだけが儲かるから、他の貴族が嫉妬したと』
なんとなく事情を掴めてきた俺は、その後の話の流れも、ある程度推測できていた。
そんな俺の考えを肯定するかのように、クリュエルが告げる。
「そこで、ロゴフスキ家がとった行動は、至極単純なものだった」
「……妨害したのね」
彼女の言葉を聞いて呟いたのは、シエルだ。
シエルもまた、俺と同じく、この先の展開がなんとなく予想できているらしい。
「そうだ……妨害工作を依頼されたハウンズは、何らかの方法を使ってエリオット家とウォルフ家を没落させたんだ」
「没落……。一つ疑問だけど、どっちの家も、国にとっては重要な存在じゃないのか?」
俺はふと抱いた疑問をクリュエルに投げかける。
それが話を遮ってしまうことになるのでは、と一瞬焦ったが、質問に関しては問題ないらしい。
「重要な存在だからこそ、許されない重罪を犯した時、その立場は危うくなる。例えば、王家への謀反とかな」
「謀反……!?」
驚くシエルを横目に、俺は妙に納得してしまった。
エリオット家やウォルフ家が国家転覆を企んでいる。
とでも言って、何者かが王家に取り入り、今後の領地運営を担う家としてロゴフスキ家を担ぎ上げた。
そんなシナリオを考えることくらいは、恐らく誰にでもできるだろう。
そう、考えるだけならば。
実際に実行に移せるかどうかは、また別の話だ。
それを、ハウンズはやってのけたっていうのか?
もし本当だとするならば、俺の考えていた以上に厄介な組織なのかもしれない。
ゼネヒットをハウンズの手から解放しただけで、俺や母さんは本当に平和な生活を送ることができるだろうか?
今までのクリュエルの話を整理した俺は、シエルが投げかけた質問に耳を傾けた。
「で? 没落してしまったメアリーを、どうしてあんたたちは助けようとするわけ?」
「ハウンズに対抗するための力になってもらうためだ。特に、彼女の使う氷魔法は、必ず必要になってくる」
シエルの疑問に答えたクリュエル。
その回答内容に、俺は小さな疑問を抱く。
確かに、前回見たメアリー・エリオットの氷魔法は、驚異的だった。
目の前で氷漬けにされてゆくマーニャの姿は、あまりにも印象に残っている。
同時に、恐怖も心に刻まれているかもしれない。
だからこそ、抱いた疑問を俺は投げかける。
「氷魔法が? どうしてだ? バーバリウスがよく使うのも氷魔法だったよな? なら、炎魔法の方が効果があるんじゃないか?」
「随分詳しいな……だが、考えは甘い。確かに、普通はそう考えるのが当然だが……」
少し話しすぎたか? と焦りを抱くも、既に遅い。
軽く流してくれたことに感謝しつつも、俺はもう一つ、ふと思いついた疑問をクリュエルにぶつけてみたくなった。
「話は変わるんだけど、一つ聞いても良いか?」
「なんだ?」
了承することなく、問い返してくるクリュエルに、俺は少しだけ躊躇しながら質問する。
「アンタ……バディはどこにいるんだ?」
「……」
「ニッシュ!?」
クリュエルの沈黙と、シエルの驚愕。
二人の反応は至極当然だろう。
というのも、俺は以前にこの質問を別の人物にぶつけている。
ゲイリーだ。
前回の時からずっと気になっていたこと。
モノポリーの面々は皆一様にバディが傍にいない。
はじめはバーバリウスと同じように、何らかの目的があって隠しているのかと思ったが。
どうやらそうではない。
そもそも話にも上がらないし、存在を全く感じさせないのだ。
まるで、それが通常だといって取り繕うように。
「初めて会った時から、一瞬たりとも姿を見たことがないんだけど」
ゲイリーに聞いた時は、答えをはぐらかされた。
なんでも、この世界ではバディについて詳しく聞く行為は、重大なマナー違反らしい。
よっぽど親密な関係でないと、タブーらしいのだ。
だからこそ、少しばかり躊躇したのだが、そんな躊躇いは必要なかったらしい。
「……聞かない方が良い」
短く応えたクリュエルの言葉には、怒りも戸惑いも込もっていない。
唯一俺が感じ取ったのは、小さな罪悪感だろうか?
どちらにしろ、俺はそれ以上の情報を聞き出すことはできなかったのだった。
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