第80話 不敵な笑み

 突然姿を消したみすぼらしい男。


 その男と完全に同じ容姿をしている5人の男が、どうやってか牢屋の中に現れ、私の拘束を解き始めた。


 恐らく魔法なのだろう、無理やりに引きちぎられて床に転がっている枷を見下ろした私は、一人呆けていた。


「貴様! 何を!」


「何って、騎士様ともあろうお方なら、おじさんが今何をしたのかくらい、理解してんだろ?」


 私を騎士から見えないように背中に隠している男が、獅子の言葉に返答する。


 先ほど負って座り込んでいた面影はどこにもない。


 飄々としたその物言いは、確実に騎士たちの苛立ちを増長させてしまう。


「……リンクか」


「さすが騎士様。どうせあんたも使えるんだろ? おじさんとしては、あまり使いたくなかったんだけど…… まぁ、出し惜しみしてる場合じゃないしな。ここらで改めて、師匠の良いところを弟子に見せなきゃいけないんだ」


「アラン……こちらもリンクを行なう。準備は良いな?」


「仕方あるまい」


 肩を竦めて見せる男と、苛立ちを見せる騎士の会話を聞きながら、私は頭をフル回転させていた。


 状況から考えて、このみすぼらしい男は何かしらの理由で私を助けに来たらしい。


 否、助けに来たとは限らない。


 連れ出して、利用するため。ハウンズから奪い取るために、ここに来たのかもしれない。


『だとするなら、この男は例のモノポリーとかいう組織の人間?』


 私がここゼネヒットに移送される原因となった組織。聞いた話では、かなり残虐な組織らしい。


 正直、ハウンズもモノポリーも、信用できる組織とは考えられない。


 いや、よくよく考えれば、牢屋の前にいるのは騎士だ。それはつまり、エレハイム王国の騎士。


 上手く交渉すれば、ここから連れ出してくれるかもしれない。


 私がそんな考えに至ったその時。右側に立っていた男が静かに耳打ちしてきた。


「アルマ、考え事してるところ悪いんだけど、そろそろ動くからな」


「え?」


 掛けられた言葉に、私がなんと返せばいいのか迷っていると、あっという間に状況が動き出す。


「覚悟しろ」


 牢屋の前で剣を構えていた騎士、ジャックが手にしていた剣を鞘に納めたかと思うと、傍に立っているアランのたてがみを撫でる。


 途端、アランの放っていた光が一層輝きを増し、あたりはすさまじい光に包まれた。


 とても目を開けていられなかった私が、左手で目元を隠したその時、何者かが私を抱え上げる。


「え? ちょっと!?」


「おじさんに掴まってろ!」


 耳元から聞こえた男の声は、まぎれもなく、先ほどのみすぼらしい姿の男のもの。


 そんな私たちを囲むように立つ男たちが、勢いよく、三本の巨大な刃に引き裂かれる。


 轟音と共に空間を薙いだその爪は、鉄格子や壁もろとも、私を囲んでいた男たちを消し飛ばした。


 しかし、目の前で繰り広げられたその光景は、不思議なことに、ひどく美しく感じられる。


 なぜなら、消し飛ばされたはずの男達は、血しぶきをあげて倒れたのではなく、無数のカラフルな蝶へと変貌したからだ。


「な、にが……」


「今のおじさんに、物理攻撃は効かないぞっと!」


 呆ける私を抱えた男が、そう呟きながら駆けだす。


 向かう先には、豪快に切り裂かれてしまった鉄格子。


 まるで紙のように切り裂かれてしまった鉄格子に、もはや人を捕えておく機能は無かった。


 未だに煌々と輝いている騎士達の光と、私たちを囲むように舞い上がる無数の蝶。


 あまりに眩しすぎる視界を、何とか薄めようと目を細めた私は、鉄格子の奥でキラリと光る何かを目にした。


「逃がすものかぁ!」


 途端、牢屋中に鳴り響くジャックの怒号。


 怒り狂うその怒号に続くように、先ほどと同様の轟音が、正面から迫りくる。


「ひっ!?」


 思わず男にしがみついて、痛みに耐えようと目を閉じた私は、妙な浮遊感と衝撃を全身に覚え、恐る恐る目を開ける。


 刹那、私の眼前を、猛烈な轟音が通り過ぎて行った。


 恐らく、ジャックから繰り出される攻撃に対して、男は私を担いだまま飛び込んでいったようだ。


 視界の先に鉄格子の切断面と床が見えることから、そう推測できる。


 まるで、辺りの光景がスローモーションにでもなったかのような錯覚に陥った私は、男に抱えられたまま、ジャック達の脇をすり抜けてゆく。


 ジャックの姿は、先ほどまでの騎士の姿から打って変わっている。


 短かった赤い髪は、床に届いてしまうほど長くゴワゴワとしたものになっている。


 身にまとっていた金色の甲冑も、いつの間にか床に転がっていて、その素肌が露わになっている。


 体格は元の二倍から三倍にまで増幅しており、見るからに全身の筋肉量が増大しているようだ。


 それらの変化を説明するかのように、傍らに立っていたはずの獅子、アランは、姿を消している。


 まさに、獅子と人間が合体したかのような姿。


 これが、リンクというものなのだろうか。


 ゆっくりと流れるときの中で、ジャックの姿を見ながら考えていた私は、不意に、彼と視線が交差したことに気づく。


 それはつまり、ジャックが私たちに気が付いたことを意味している。


 振り向きざまにもう一度繰り出される爪の攻撃。


 その攻撃を、宙に浮いている私と男が、回避することなど、できるわけもない。


 股から頭頂部にかけて、ジャックの強烈な爪に切り裂かれた私達は、真っ二つに割れた。


 と、一瞬思った私は、自身の意識が無数に分裂して再び収束してゆく感覚に溺れ、思い切り咽てしまう。


「かはっ……がっ! な、なにが!?」


 猛烈な吐き気と頭痛が、全身を襲う。


「悪い悪い、避けきれなかった。初めてだと気持ち悪いよな? もう少し我慢してくれ、何とか、あの獣野郎を撒くから」


 思わず漏れ出た私の呟きに、男が走りながら申し訳なさそうに答える。


 そこで初めて、私は状況を理解した。


 先ほどのジャックの攻撃で、私と男は確実に切り裂かれたのは間違いない。


 ところが、男の能力のおかげで、無数の蝶に分裂し、難を逃れることができた。そういうことだろう。


「待て!」


 階段への通路を走る男に向けて、ジャックが背後から怒声を浴びせかける。


 しかし、男は全く足を止めるつもりはないらしく、私を抱えたまま全力疾走を続けた。


 私はというと、胃の中を引っ掻き回されたかのような猛烈な不快感に、体中を引っ掻き回されていた。


 恐らく、先ほど無数の蝶に分裂し、元に戻ったことが原因だろう。


 そう自分の中で結論付けた私は、ふと男の顔を見上げ、呟く。


「なんで笑ってられるのよ……」


 まるでこの状況を楽しんでいるかのように、男は不敵な笑みを浮かべていたのだった。

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