祓い屋・彼岸堂 怪異奇譚[改稿中]

如月 仍

◇ Introduction ◇

【 序幕 】[改稿:12/2完了]

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 怪異とは。


 1.現実ではありえないと思うような現象。

 2.ばけもの。あやかし。



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 ◆ ◆ ◆



 午前九時半。祓い屋助手の朝は、少し遅い時間から始まる。夜更かしの得意な主のおかげで、慌ただしいはずの朝の時間は、他人と比べて余裕がある。


 通勤通学ラッシュを過ぎた下り電車の車内は、此処まで来ると人もまばらだ。電車が速度を落として駅舎に滑り込み、ややあって視界の端に映る景色が静止画に変わった。


 耳につけたイヤホンは、基本的に外さない。当然、駅員のアナウンスは聞こえない。ちらりと上げた視線で見慣れた景色に到着したことを確かめて、開いたドアからホームへとスニーカーの足裏をつける。



 改札を出ると広がる蔵造りの町並みは、今日も今日とて変わらない。この時間、都心へ出るため改札に入っていく者は居ても、出てくる者は滅多なことが無い限り居ない。それが若者の姿であれば、尚更珍しい。


 すっかり顔見知りになった駅前商店の店先に集まった朝の早い住人たちが、改札を抜け出てきた俺の姿に気付いて、三々五々に手を振る。今日は一本遅い電車に乗ったから、話すのは昼時になりそうだ。



「焼き鳥弁当二つ、昼飯で!また後で来ます!」



 片耳だけイヤホンを外して、大きめの声で告げる。横断歩道を渡ってしまうと、これから向かう場所への遠回りになることは住人たちにも分かっているから、わざわざ呼びつけたりしない。


 少しの間を置いて。ふっくらとした顔立ちをした焼き鳥屋の店主がニコニコと笑いながら、店先から顔を覗かせる。ゆっくりと両手でつくられた大きな丸に、挨拶代わりに軽くお辞儀をしてから、目的地へと向かって再び歩き始める。


 行ってらっしゃい。今日も頑張ってくるんだよ。俺より数倍長く生きている住人たちの、温もりのこもった言葉と視線が気恥ずかしい。



 暇を持て余している住人たちに、ひと時の別れを告げた後。改札の正面から右手側にぐるりと大きく迂回をして、駅舎の裏側へと回る。この時、店の目の前に放り出される裏道には入らないでおく。横断歩道を渡った先、目前に見えている白い漆喰壁に囲まれた大きな屋敷で、まず済ませなければならない用事がある。


 達筆で書かれた表札の下がった門扉の前で立ち止まると、備え付けられた赤銅色の郵便受けの蓋を開ける。朝刊がひと束、その上に手紙が三通。朝一番で届けられた郵便物を回収するのが、助手の第一任務だ。


 此処に住まう主は、屋敷の郵便受けを覗かない。理由は、単純明快。郵便受けが遠くて、取りに行くのが面倒くさいから。呆れるほど、子供じみている。


 急を要する重要な郵便物は、放っておいても店に直接届けられる。配達員は屋敷の主が数日間、郵便受けを覗かないことを散々知っているからだ。人の善意に甘えるのも、大概にしてほしい。


 もっとも。俺が彼女の助手を務めるようになってから、溜まりに溜まった郵便物を抱えた、困り顔の配達員が店まで来ることは、めっきり少なくなった。



 朝の散歩代わりに、外壁に沿って歩いていく。灰色の軒丸瓦のきまるがわらに所々刻まれた、彼岸の花。彼岸屋敷と呼ばれる所以ゆえんは、厳密に云うと屋敷の立地にある。


 だから、店の名前にも彼岸の二文字がついている。存外、名前なんて安直だ。秋になると、屋敷が真っ赤に染まるほど、彼岸花が咲き乱れるらしい。幻想的な光景を、助手になったばかりの俺はまだ見たことがない。



 外壁が途切れても、諦めず大通りまで進む。大通りと云っても、片側一車線の細い道路である。駅から十分も歩いて離れてしまえば、車通りどころか散歩する住人の姿すら忽然こつぜんと消えてしまう。


 十数年も前に閉店した店が建ち並ぶ中、店を開けているのはウチくらいだ。客入りのまったくない状態を店を開けていると表現するのは、おかしな話になってくるのかもしれないが、そこは一旦話を置いておく。店内に薄く埃の積もったレトロな喫茶店を越えれば、ようやく目的地に辿り着いて、そこで朝の散歩は終わりを告げる。



「……さてと」



 くすんだ金字で〈彼岸堂ひがんどう〉と印字された、磨りガラスの扉向こう。そこが俺の働く、アルバイト先だ。無くさないようリュックサックにつけたワイヤーリールを引っ張って、古い金属製の鍵を鍵穴へ差し込む。くるりと手首を捻れば、カチンッと施錠の解除された感触が指先に伝わる。


 店名と同色のドアノブをゆっくりと手前に引けば、朝の空気にドアベルの鳴る透き通った音が溶けた。つるんとした板張りの床は、そろそろ掃除をしなければならない頃合だ。足裏に感じた砂独特のざらりとした感覚に、思わず顔を顰める。持ち込んでいるのは俺自身だと、頭では分かっている。


 鬱蒼うっそうとした本棚の森を潜り抜ければ、今度はいわく付きの品々との対面が待っている。正直、勘弁してほしい。記憶に無い新顔が突然増えていた時には、殊更ことさら心臓の縮む思いがする。


 この店の主の特等席であるアンティーク調の机の隣に、助手就任の翌日には、同じような机がひとつ増えた。パソコンとノートを広げて、書き物ができる程度。取ってつけたような机と椅子だが、置いてあった机を少し端に寄せてみたり、骨董品やらの配置を変えてまで、俺の居場所を作ってくれた彼女には感謝している。


 店の奥にある、電灯のスイッチを人差し指で弾けば、ふわりとした明るさが店内を充たす。それほど明るくはないが、手元の本を読むにはちょうどいい。そんな明るさだ。


 郵便受けから取り出して来た、朝刊と手紙を店主の机の上に置く。左隣に据えられた、俺専用のちんまりとした椅子の背にリュックサックを引っ掛けて、置かれた骨董品のたぐいを倒さないように隙間を縫って、店内の左右にある横広な磨りガラスの小窓を押し開ける。



「おはよう……相変わらず、早いな?」


「おはようございます。いつも通りですよ」



 夜のうちにこごった店内の空気が、完全に新鮮な空気と入れ替わった頃。店と屋敷を繋ぐ最奥の扉がバタンと開いて、眠たそうな顔をした店主が姿を現す。


 若菜色の着物に袖を通した彼女は性懲しょうこりもなく、明け方まであれこれと仕事を片付けていたと見える。髪を結うのすら面倒になったのか、クリーム色のサテン地のシュシュで横にまとめられただけの髪に苦笑いする。



「依頼は?」


「三通、入ってました」


「……ろくでもない依頼じゃなければ良いんだが」


「碌でもない依頼でも。どうせ俺が返事書くんですから、破り捨てないでくださいね?」


「奇特な奴だな」


「それが助手の仕事ですから」



 カチリ。時計の針が動く。


 時刻は、午前十一時。時計の短針が十一の文字を指すと同時に、俺の仕事は今日も始まる。



 ◆ ◆ ◆


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