060 例の少年と囚われの少女。
と言ってもエインズの考える全速力は、魔族やニーナの全速力とは次元が違う。いつの間にか倒していたドワーフはともかく、エインズの中で魔族は「エインズ基準」で強い事になっている。
この辺りで1エインズという単位を定めた方がいいのだろうか。
「覚悟しろソルジャー!」
「キャッ!?」
「危ない! ひとまず宿に戻って荷物を! ニーナ、全速力で走って!」
「ちょ、ちょっと!?」
「あ、あの、エインズ様、あっ」
エインズはニーナに声を掛け、次の瞬間にはもう数十メルタも先にいた。チャッキーがやんわりと制止しようとしたのも虚しく、ニーナだけが置いて行かれる。
チャッキーが以前、誰かを守るための全力はセーフという謎ルールを告げたため、エインズは全く加減せずに走っているのだ。
ニーナもこの状態なら流石にエインズも「本気」を出すと思っていたのだが、彼だけが「皆本気を出さないだけで本当は強いんだぞというのはハッタリだ」という事を知らない。
「チャッキー、ドアノブ!」
「はい!」
息のピッタリ合った連携で扉を開き、そして部屋に着いて荷物を持ち、ニーナが付いてきていない事に気づいた時には、ニーナは既に魔族に捕まっていた。
新米ソルジャーの腕前などたかが知れている。銃で狙うにしても相手の数が多く、しかもニーナはこの期に及んでまだ、ジタの仲間である魔族を殺すことを躊躇っていたのだ。
ニーナのその優しさや仲間意識は、今回に限っては仇となってしまった。
「ちょっとあんたたち! こんな事して……知らないわよ! こ、これが人族向けのパフォーマンスの一環ってことは分かってるんだから!」
「何を言っている? ソルジャー相手なら魔族は人族を攻撃できる。フハハハ、久しぶりに嬲り放題だ!」
「ほ、本気!? 誰か、誰か助けて! ジタさん! ジタさん!」
「ジタ様は先に飛べる者が城へとお連れした。ジタ様に手を出しておいて、自分だけ助かりたくてジタ様に慈悲を乞うとは、全くソルジャーって奴は身勝手が過ぎる」
魔族は友好的なはずの村人を脅し、門を開けさせる。村の門を出れば、暗闇の中では村からは様子が分からない。もう助けを呼んでも誰にも伝わらない。
「な、何だか魔族の様子がおかしい。お、俺連れの子に伝えてくる!」
「ああ、冗談ではなさそう……ん? 何だあれ」
心配した門番の村人がエインズに知らせようと走り出した時、その目にはこちらに猛スピードで走ってくるエインズの姿が見えた。その手にはしっかりニーナの鞄も抱えられている。
「あの嬢ちゃんの連れの坊主が冗談みたいな速度でこっちに来るぞ」
エインズにしては珍しく気が利いているが……おそらく鞄の中に固形のものがあれば潰れていると思われる。
「なんて速さだ……坊主! 嬢ちゃんがま、魔族軍の連中に攫われた!」
「えっ!?」
1エインズ……すなわち俊足な者の3倍ほどの速度で走り寄って来たエインズは、門のギリギリ手前でなんとか止まって振り返る。
「これは先程までの演技とは事情が異なるようですね、急ぎましょう!」
「やっぱりこれ、本気なんだ……そうだよね、ニーナの方が俺より美味しそうに見えるだろうし」
「わたくしが『エインズ様は美味しくない』などと言ってしまったばっかりに、ニーナ様が捕まってしまうとは」
「今更俺の方が美味しいと言っても信じてもらえないよね、早く助けよう!」
多少ずれた思考回路でも、エインズとチャッキーは真剣そのもの。助けようとする姿勢だけを見て評価したい所だ。
宵闇の中、北門を出て草原から暗い森の中へと猛スピードで駆けだすと、ほどなくしてチャッキーの耳にはニーナが騒ぐ声が飛び込んできた。
「エインズ様、ニーナ様の声が左前方から聞こえます!」
「分かった! チャッキーはリュックに!」
速過ぎて避け切れず、エインズは若い針葉樹にぶつかっては薙ぎ倒しながら魔王軍を追う。最初こそ痛いと言ったがそれきり避ける様子がないのは、言うほど痛くなかったのだろう。
「見つけた!」
そう叫んでから10秒も経たずに、エインズは魔王軍の一番後方に居た者の前に回り込んだ。
「お前……逃げたと思ったら今頃助けに来たのか!」
「そ、そうだ! ニーナを離せ!」
エインズの声が暗い森の中にこだまする。それはニーナの耳には入っており、力比べではこの上なく頼りになる声の主に、涙声で叫んだ。
「ここよ! エインズ!」
「ニーナ様はこの少し先です、ニーナ様の救出だけを考えましょう」
「う、うん。お、お前ら、に、ニーナを返せ!」
やはり意気込んで来たものの、魔族に囲まれ睨まれると怖気づいてしまう。リュックサックから出て肩に乗っていたチャッキーを抱きしめ、エインズはそれでも勇敢に睨み返す。
「なんだ、ガキが1人で助けに来ただと?」
低い声が心なしか高いところから聞こえ、集団の先から地響きを立てて1体の魔族が現れる。それは身長3メータ程、袖なしの粗末なベストに腰布を巻いた単眼の巨人サイクロプスだった。
その脇にはニーナがしっかりと抱えられている。
「ニーナ!」
「エインズ!」
ニーナは涙でぐちゃぐちゃになった顔で声を震わせ、不安と希望の入り混じった視線を送る。
「フハハ、小僧、怯えて足が震えているぞ? 猫を人形のように抱きしめてそんなに怖いか? ハハハ!」
「お、俺たちは魔族と敵対はしたくないんだ! ジタさんを返した、それでいいだろう!」
「ジタ様を返したからこれで貸し借り無し、だと? 笑わせる」
サイクロプスは大きな1つ目を見開き、エインズをあざ笑うように覗き込む。
「俺もお前も今は貸し借り無しのゼロだ。俺達魔族はソルジャーなら殺せる、お前はソルジャー、それがすべてさ。だから俺たちは今からソルジャー殺しを楽しむ。当然の権利だ」
サイクロプスの言葉に、周囲の魔族たちも不気味に笑って同意する。エインズもニーナも確かにソルジャーだ。けれど魔族と争いたいとは思っていない。が、どうやらここにいる魔族たちはそうではないらしい。
「お前らソルジャーが罪のない魔族を問答無用で殺せて、俺たちは罪のないソルジャーを殺しては駄目なんて、不公平だよなあ?」
「殺される瞬間の恐怖って、一番美味いんだぜ?」
「そうだな、この女が四肢を折られる様子でも見物させるか」
「や、やだ! やめて! エインズ助けて!」
「ハハハ! お前らソルジャーが1度でも魔族の命乞いを聞き入れた事があったか?」
サイクロプスは、エインズへと向けたニヤニヤした笑顔をそのままに、抱えていたニーナの腕に大きな手を絡めた。
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